スチャラカもくれんタマスダれ
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四本目の刀

「龍華よ。俺は思うんだがな、お前が造る宝貝でまともなものがあった例しがあるか?」
 細面の青年の言葉に、龍華と呼ばれた女は顔をひくつかせた。一見して豪華と判る衣装である。燃え立つような赤を基調とした服に数々の装飾を飾り付けている女である。
「ほほう。私の造った宝貝にケチをつけるつもりかね護玄先生よ」
 護玄は黙って頷いた。龍華とは対照的に質素な服装に身を包む彼は、道服の紅い襟から腕を出して龍華に見せつけるように人差し指を立てた。
「俺がケチをつけているんじゃなくて、お前が造る宝貝に問題があるといっているんだ。そこのところを取り違えないでくれ」
 瞳に挑戦的な光を宿した龍華は表情を変えずに言い放つ。
「一人では私の工房まで来ることのできない仙人が偉そうに」
 ぴくっと護玄の唇の端が歪んだ。思わず握りしめた拳を緩めて、もう片方の手の中指を立てる
「それに、どうしてお前は危険な宝貝ばかり制作しているんだ。俺はいつも龍華がへまをやらかしはしないだろうかと気が気でないんだぞ」
「手を貸してくれることには感謝しているが、そこまで干渉される謂われはない」
 まるで悪びれのない龍華の表情に、護玄は自分は何故こんなことを話しているのだろうかと疑心暗鬼に襲われる。あまりに相手が正々堂々としていると、自分が間違っているのだろうかと思い悩んでしまう、そんな男なのだ。
 既に自分に背中を向けて研究に没頭している龍華に、辛抱強く護玄は言葉を重ねる。口を開く前に部屋を一通り見回して、
「ならば、実例を挙げて示してやろうか?」
 護玄は龍華の背中が微かに震えたのを見過ごさなかった。机に無造作におかれている指輪を手にとって、龍華を睨みつける。
「例えば、この鬼神環だ。戦闘能力の向上と引き替えに寿命を消耗する。お前はこの指輪を遣いにやろうとした俺の弟子に渡しただろ」
「それは、お前の弟子が道中危険な獣に会っても大丈夫なようにだな」
 微妙に視線をそらしている龍華の瞳を真正面に見据え、
「余計に危険だ! 丁度俺が見送りに出ていたからいいものを、万が一のことがあったらお前はどうしてくれるつもりだったんだ!」
 激昂する護玄を珍しいものを見るような目つきで眺めて、龍華は事も無げにいった。
「結局何も無かったからよいではないか」
「結果も大事だが経過もそれ以上に重視すべきだ!」
 ワナワナと震える手を押さえつけて護玄は次に、黒真珠の輝きを放つ球を掴んで龍華の目の前につきつける。
「護玄よ。今、私は宝貝の制作に忙しいのだが」
 真面目くさった龍華の言葉を遮って、震える声で護玄は詰め寄った。
「極めつけはこの凶鎖丸だ。『これも君の修行だ』とか何とか都合のいいこと言って弟子に渡したな。いつまでたっても帰ってこない弟子を心配して捜してみれば、草原で飢餓状態に陥っていたんだぞ! 俺が近づいたら仙術で追い払おうとするし、摩耗した精神が回復するまで50年もかかったんだ!」
 思い出すことによって更に怒りが募った護玄は龍華の襟を掴んで問いただす。仙界でも穏和な仙人として通っている護玄のこのような表情は珍しかった。一方の龍華はやる気のない表情で、
「そんなこともあったな。まあ、私も若かったからな」
「憤!」
 日頃の温厚さはどこへやら、壁に叩きつけるような形で護玄は龍華を投げ飛ばした。壁を二つ突き破ってようやく勢いは衰えた。龍華は立ち上がると素直に頭を下げる。
「すまなかった」
「まあ、いい。それで今回は何を造ってるんだ?」
 きちんと謝られるとそれ以上強気に出ることが出来ないのが、良くも悪くも護玄という仙人の性格だった。
 慚愧の表情から一転、よく聞いてくれたと言わんばかりの笑顔で龍華は頷いた。
「刀だ」
 護玄は刀と聞いた途端に、呆れたように溜息をついた。
「またか。同じものばかり作っていてよく飽きないな」
 龍華は強く反論する。
「同じ刀と言ったが、違った手法を使って似たような性能の宝貝を造る実験をしているんだ」
「……ほう? 自分に合った手法を見つけようとしているわけか」
「そうではない。どの技法にも一長一短があるものだからな。ともあれ、護玄が気に病むような事はないさ」
 そう思えたはずなのに、いつの間にか大事になっているのが問題なのだ、と護玄は考えた。しかし言っても聞く奴ではないから、と意趣を変えて話しかける。
「そうだといいのだがな」
 その言葉を残して、護玄は龍華の工房から出ていこうとした。
「待て」
 その背中に龍華は声をかける。
「四海獄を持っていっていいぞ」
「すまん。ありがたく借りてゆく」
 護玄は入り口近くの棚の上におかれていた瓢箪を掴む。
『護玄様、まずは右でございます』
 四海獄の言葉に被さるように、工房の戸がぴしゃりと閉められた。

「次は左でございます」
 四海獄の声に従って体の向きを変える護玄。その口から漏れる溜息を聞き四海獄はからかうような声を出した。若者をたしなめる老人のような声だった。
「どうなさいました。やはり、仙人としての矜持にかかわりますか?」
「よくもこのような複雑な道を覚えていられるな」
「護玄様ならこの九遙洞の道のりを覚えることなど朝飯前でございましょうに」
 浮かない顔で護玄は答える。不審と諦観が混ざり合った面もちで、
「そうなんだろうけどな……どうしてか覚えられないのだよ」
 護玄の左手が抱えている瓢箪こそが四海獄である。龍華が宝貝制作の手始めとして作ったもので、だからなのか物騒な機能も厄介な性格も抱えていなかった。ここ九遙洞随一の常識人であると密かに護玄は思っている。
 九遙洞は龍華が仙人として認められた時に与えられた仙洞である。
 仙洞というと大げさだが、成りたての仙人に与えられるのは一個の山である。これをどう使うかはその仙人の自由であった。
 仙界からすれば人間界は蟻のような広さで、つまり仙界は非常に広範である。とはいってもその大きさには自然と限界というものがあり、当然仙界に存在する山も有限個しかない。
 多くの仙人はより大きな山を仙洞として選んできた為、新人が仙洞を構える候補地となる山の大きさは時が経つにつれてだんだんと小さくなっていった。
 その結果、狭い空間を有効に利用するために空間湾曲や空間圧縮を繰り返し果てには、未曾有の迷路が出来てしまうという寸法である。
 二人は暫く最小限の言葉を交わすだけで九遙洞を進んでいたが、おずおずと四海獄が口を開く。
「失礼かもしれませんが、どうして護玄様は龍華様にこれほど親身になってくださるのですか?」
 質問を受けた護玄は首をひねって考え込んだ。
「ううむ。まあ、一言でいうならば」
 四海獄が息を詰めて護玄の言葉を待っていた。
「危なくて放っておけないからだな」
 少し間をおいて、恐る恐る四海獄は言葉を返す。
「まるで意中の女性に対する言葉のようですが」
 四海獄の返事に護玄は苦笑する。
「よしてくれ。今にも点火しそうな爆弾に想いを寄せるような変質者じゃないぞ、俺は」
「しかし私が言うのも龍華様に恐縮ですが、龍華様に関わっても良いことは無いと思いますが」
 主人を主人とも思わないその言い草に護玄ははっきりと失笑して答える。
「人間関係は損得だけで計れるものではないだろう?」
「しかし……」
 尚も四海獄は納得する様子を見せなかった。護玄にもどう説明すればいいのかは判らなかった。
「では、初めて龍華様を見たときの感想はどんなものだったでしょうか?」
「生意気そうな面だな、と思ったな。あのときよりは少しはましになった、と思いたいものだが、どうだか」
 護玄は四海獄に促されて、初めて龍華と会った日のことを思い出していた。



 ここは仙界の一角、九泉原である。九つの泉を持つことからそう呼ばれる草原に二人 男が対峙していた。一人は腕を組んで相手の出方を窺っている護玄で、瞳からは相手を 定めようとしていることが読みとれた。
 護玄に対峙しているまだ若い男−仙人・道士の住まう仙人界において外見が問題になることはないのだが−は数枚の符を手にジリジリと円を描くようにして歩く。男は、僅かではあるが自分が次第に後退していっていることに気づいていない。
「来ないのか? なら、こちらから行くぞ」
 護玄は懐から二枚の符を取り出した。護玄が念を込めると符は炎で形取られた鳥の姿にまとまった。召還術ではない。自らの出自から、護玄は召還術という系列があまり好きではなかった。今護玄は、炎の符と風の符を組み合わせて炎の鳥を作ったのだ。
 そのことを理解しているのかいないのか、男は符をぎゅっと握りしめる。
「行け」
 護玄の命令に従って、鳥は護玄の手を放れて男へと襲いかかる。男も炎の鳥を甘んじて受けるつもりはなかったようだ。男の手の中で符が姿を変えて宙に水たまりを作り出す。
 護玄と男の中間に現れた水球に炎の鳥は怯まなかった。水球に没する鳥を見て男の顔に初めて安堵の表情が表れる。
 鳥が水球に衝突した速度、水球の大きさと抵抗を考えてはじき出した時間になっても鳥が水球を抜けた様子はない。鳥を仕留めたと思った男は次の攻撃に移ろうと水球から目を逸らした。
 その瞬間、水球を形作る水が何かに切り裂かれるようにして辺りに弾け飛んだ。周囲に散らばる水を突っ切り空を舞う炎の鳥。目を逸らしていた男に反応する時間はなかった。
 鳥は男の腹に接触する。男の体を「くの字」に折り曲げて鳥は飛んだ。
 やがてふっと鳥は大気に溶け込むように消える。暫く惰性で飛びながら、次第に高度を落として男は背中から大地に打ち付けられた。
「いたた……」
 痛い、で済んでいるのは草が衝撃を和らげてくれたおかげである。護玄は背中をさすっている男に歩いて近づいた。その顔に先程までの厳しさはない。
「大丈夫か?」
「ええまあ……」
 男は尚も背中をさすっていたが、痛みにしかめていた顔を苦笑いに変えた。
「ちょっとやりすぎじゃありませんか先生?」
 そう、この男は護玄の弟子である。そして、先程の戦闘は弟子の実力を見るための模擬試験のようなものだ。
「すまんすまん」
「こっちは道士なんですから。勘弁して下さいよ」
「だが道士であるからには、さっきの自分の防御が通用しなかった理由くらいは判るだろ?」
 弟子は護玄にうまく返されて苦笑いに苦みを加えた。男は首を横に振って、否定の意志を表す。
「一つ。なぜ水は火を消せなかったのか。
 一つ。炎の鳥と接触したお前の服に焦げた跡がない理由は」
「うーん……」
 首をひねって考える弟子が、時折りちらとこちらを見ている視線に気づかないふりをして護玄は再び炎と風の符を使って炎の鳥を再現する。師匠として助け船を出すことができるのはここまでだった。さて弟子はどんな答えを返してくれるだろうかと、護玄は楽しみでならない。
「護玄よ」
 突然降ってわいた声に、護玄は心当たりがあった。声が飛んできた方向へ首を巡らせば、予想通りの顔がそこにある。護玄は慌てず礼をとった。
「お久しぶりです、師匠」
「その者はおぬしの弟子であったか?
「はい、まだまだ仙人への道は遠いかと思いますが」
 目で早く礼をとらないか、と護玄は弟子を叱りつける。慌ててしゃがむ弟子から師匠へと視線を移す。それにしても、
「今日はどんな御用でございましょうか」
「それは道すがらおいおい話すことにしよう。では行くぞ」
 そして護玄の師匠は護玄がついてくることを確かめずに姿を消した。
「ああもうあの師匠は! 今日の検証を400字詰め原稿用紙五枚に書いて明日までに提出しろよ!」
 後半を弟子に向けて言った護玄は、自らも姿を消す。残された護玄の弟子は呟く。
「五枚はきついですよ、師匠……」

「今回の用事だがな……」
 護玄の師匠は護玄が追いついたと知るとすぐに話し始める。
「わしの兄弟子の弟子という形になった混沌氏の流れを引く方−便宜上、小混沌氏と呼ぶことにしよう−は覚えておるな?」
「はい」
「今度、小混沌氏が弟子をとることになってな、神農流仙術との方針の違いで何かとややこしいことが起きることが予測される」
「はい」
 なにやらきな臭い話になってきたぞ、と護玄は身構えて話しを聞く。
「そこで小混沌氏の弟子の教育の補佐をお主に頼みたい」
 ほら、やはり面倒そうな話ではないか……。しかし、小混沌氏が弟子に採ることにした者に対する興味が無いと言えば嘘になる。
「そこでまあ、今日は初顔合わせということになるだろう」
「どういった人か今から楽しみですよ」
「それは、実際に見てみるのが早いだろうて」
 社会的儀礼の護玄の言葉に師匠はニヤリと笑った。師匠が笑った。護玄の脳裏に師匠が笑った後に降りかかってきた数々の災いが走馬燈のように連想されてゆく。
 頭を押さえて悩む護玄に師匠は言った。
「どうした? 今からそんなことではこれからが不安だぞ?」
 師匠の不安を増長させるような言葉に、いやわざと増長させているのだろうが、護玄は頭に本物の鈍痛が走るのを感じた。

「誰だこいつ?」
 のっけからの言葉に、護玄はこいつは礼儀作法を一から教え直す必要があると思った。だが、曖昧な笑みで怒りを押し隠して護玄は挨拶する。
「やあ、初めまして。俺の名は護玄。君の……そうだな、兄弟子のようなことをやらせてもらう」
「なんだよそれは。断る」
 間髪入れずに返ってきた生意気ざかりの言葉に護玄はかつてない激昂を感じた。護玄の師匠は「ああ、あいつだよ」と指し示すとさっさと帰ってしまっている。
「断ることはできない。これは決まりだからな」
「知ったものかよ」
 一発殴らせて貰う、そう決心する護玄の目の前で、
「ぶぎゅっ」
 奇妙な声は、目の前の少女が発していた。少女の頭を押さえつけている老人には見覚えがあった。
「お久しぶりです」
 護玄の礼に、老人は嬉しそうな顔を見せる。
「おお護玄君か。いや君も大変だな、この馬鹿のお守りを押しつけられるとは」
「誰が馬鹿だ! ええいこの手を離せ師匠殿」
 少女を押さえつけていたしわくちゃの手が、護玄が目を離した隙にすらりとした文句のつけようもない程の美を体現した手に変わっていた。皺に埋もれた顔は妖艶な微笑みに取って代わられる。このどちらもが、小混沌氏である。時間の流れの外にいる小混沌氏に決まった姿はないのだ。
「初対面の人間に挨拶も出来ないような奴は馬鹿と呼ぶしかないね」
 護玄の記憶に残っている限り、小混沌氏はこのような小憎らしい皮肉たっぷりの言辞を舌に乗せる人間ではなかったはずなのだが……。不思議に思う護玄の前で、嫌々やっていることが一目で分かる態度で少女は言った。
「私の名前は龍華だ。以後決して忘れないように」
「ああ、こんな馬鹿の名前、忘れようとしても無理だろうよ」
 筋骨隆々の腕が万力のように龍華の頭を締め付けていた。
「ぐええ……」
「ここは私に免じて許してはくださいませんか」
 ぱっと小混沌氏は龍華の頭から手を離す。
「優しいな護玄君は。ほれ龍華、助けて下さってありがとうございました、と言わんか」
 龍華の眉が危険な角度に跳ね上がる。
「助けて下さってありがとうございました、護玄様」
 平板な声で龍華は言った。それでも満足そうに小混沌氏は洞府へ引き上げていった。後には、龍華と護玄の二人が残される。
「お前も帰ったらどうだ?」
 挑戦的な目つきと言葉。この自信はどこから沸いてくるのだろうかと護玄は考えた。
「お前はどうするつもりだ?」
「そうだな。折角仙界に来たんだし、そこいらを散歩するさ」
 龍華は眩しそうに空を見上げる。人間界と比べて高い空に、少女は何を思ったのだろう。
龍華に訊ねようとした護玄は思い直して、何も言わないことにした。自分が仙界に昇ったときのことは今でも鮮烈な印象と共にある。
 高く、清冽な空は今までの世界と違うことを自分に強く訴えかけていた。空だけではない。これまで見たことがないような草花と、陶酔感へと高められた清涼な風。新たな世界に自分だけがいるのだという高揚感と孤独感。

 付かず離れずの距離で護玄は龍華を追っていた。仙界に来てまだ間もない龍華は仙界の明地を知らないだろう。教えてやろうとも思うのだが、龍華の背中が対話を拒絶しているような気がして、なかなか護玄は話を切り出せなかった。
「おい、どこまでついて来る気だよ」
「俺はお前のお守り兼護衛役だからな。お前が行くところならどこまでもついていかないといけないんだ」
 ちっ、とあからさまに舌打ちを見せた龍華はそれでも腹立ちが収まらないのか足下の草を踏みにじる。
「面倒な仕事だろ? ほっぽっちまえ」
 そういうわけにもいかないだろ、と言おうと口を開いた護玄の視界に緑斑の生物が入る。
「お、蛙か」
 馬鹿! と叫ぶ暇もない。草原を疾走して龍華を突き飛ばす護玄。
「とっと。なにしやがる!」
 威勢良く啖呵を切った龍華は、護玄の手に握られているものに視線を落とす。護玄の手からそれを辿ると、蛙の口に辿り着く。ばね舌蛙と通称される、亜音速で舌を飛ばして獲物の肉を削り取るようにして捕食する蛙で、相手の大きさに関係なく戦いを挑む獰猛性で知られている。
 龍華の視線に気づいた護玄は舌を放す。舌が口に収まると蛙は一目散に逃げ出した。
「判ったな? 仙界は楽園とは違うんだ。言っておくが、今の蛙はまだ可愛いもんだぞ」
「ほう」
 龍華の目がキラリと輝き、面白そうだな、と思っていることが護玄にも分かった。どういう構造の精神を持っているんだと、護玄は胸中で絶叫する。
「ならば、護玄先生の知っている中でも最も凶悪な獣の住む場所に案内してもらおうか」
 虚勢を張っているのではない。龍華の好奇心に満ちた挑戦的な瞳は、彼女の本心からの言葉であると物語っている。
「いざという時に俺がどうにかできる奴だぞ……」
 嘘をついて適当な相手を選ぶという選択肢もあったのだが、この少女には誤魔化しは通用しないのではないかと、そう思わせる何かがあった。この少女はまだ道士として取り立てられてもいない。その実力は全くの未知数だというのに。
 初めて護玄はこの龍華という厄介者に興味を覚える。そして龍華に向かって手を伸ばす。
「掴まれよ。仙術で飛ばすからな」
 年相応の笑みで答えて、素直に龍華は護玄の手を握った。



「なるほど、そのようなことがあったのですか」
「とまあ、こんなものだな」
「それからどうなったのでしょうか?」
 四海獄に問われて、護玄の顔が苦渋に歪む。
「危険だと言ってあったのに、龍華の奴はべたべた触るんだよ。その横で俺は必死にそいつと格闘していたんだ。龍華を守りながらな」
「ははは……」
 これには四海獄も苦笑するしかなかった。
「ところで、まだ出口につかないのか?」
「……」
 二人の間に沈黙の帳が降りる。
「お、おい」
「お話が長くなりそうでしたので、遠回りをしていたのですが……はて、ここはどこでしょうかな」
「し、四海獄ぅ!」
「冗談でございますよ。このまま真っ直ぐお進み下さい」
 疑心暗鬼に捕らわれた表情で護玄は真正面の扉を開けた。途端に差し込んできた強い光に、護玄は暗闇に慣れた瞳を咄嗟に腕で覆い隠す。
「はあ。心臓に悪い思いをさせてくれるなよ」
「……申し訳ございません。あ、それとこれは龍華様からの伝言なのですが、『また一週間後に来い。完成品を見せてやるから』とのことです」
 護玄は片手を軽く上げて同意を示す。
「あ、そういえばお前はどうするんだ?」
 瓢箪の四海獄は自分の力では動けない。
「また一週間後、九遙洞をご案内させていただくまで、ここでゆっくりさせていただきますよ」
「そうか? 済まないな」
 次第に遠ざかってゆく護玄仙人を視界に留め、四海獄は自らの感覚を一つ一つ閉ざしていった。



「ねえー、ねえねえねえねえ、聞いた聞いた聞いた聞いた殷雷」
 自分にくっついてくる深霜をゆっくりと引き剥がしながら殷雷は答える。
「知らん知らん知らん」
 深霜は殷雷が自分を剥がそうとしていることに不満そうな顔を見せるものの、更に強くしがみついた。
「私たちの仲間がもうすぐ完成するそうよ」
「先に言わないでよ恵潤」
「おお恵潤良いところに。こいつを剥がしてくれ」
 肩をすくめる恵潤を見て、殷雷は抵抗をやめる。両者の力は拮抗していて、引き剥がすことは不可能だと判断したからだ。
「龍華は初めから四本の刀を造るつもりだったようね」
「んー、私は殷雷がいれば他の刀なんていらないのに、龍華も変よね」
 変なのはお前だとこっそりと呟く殷雷。それを耳ざとく深霜が聞きとがめる。
「あら、それはどういうことよ殷雷」
「ああもう、邪魔だひっつくな!」
 渾身の力を込めれば深霜を引き剥がすことだって出来るのだが、それをしない出来ないことが殷雷刀の欠陥であった。
「そちらは騒がしいな」
 筋骨隆々の大男−爆燎槍が呆れたように鼻を鳴らす。
「うるせえよジジイ」
「まだ敬老精神が身に付いておらんのか」
「へっ、自分で自分がジジイと認めてりゃ世話ないよな」
「減らず愚痴も相変わらずのようだな若造」
 言葉に付随して拳が振るわれる。
「ぐへっ」
「大丈夫、殷雷?」
 すばやく殷雷に駆け寄る深霜。しかし、深霜は殴られる前に殷雷から飛び退いていた。
「まあ、あちらの五月蠅い人たちは放っておいて。お酒でもどうかな?」
「美女の酌とはおつなものだな。ではゆこう」
 談笑して去ってゆく爆燎と恵潤に殷雷は必死に声を投げかける。
「待て、俺も誘ってくれ恵潤!」
「きいいいっ! お酌なら私がいくらでもやってあげるわよ」
「うおおおっ!?」
 えび固めを決められた殷雷の悲鳴が空に轟く。



 近づいてくる足音に気づき、四海獄は”目を覚ました”。内蔵時計を利用して時間を計る。
「ぴったり一週間後ですな護玄様」
 顎をなでつつ護玄は答える。
「そうだな。では、案内してくれるか」
「お任せ下さい」
 相変わらず複雑怪奇な仙術的迷路−攻めてきた敵を閉じこめる罠ではないのかと好意的に解釈すればいいのだろうか−を抜けると、龍華の工房が見えてきた。
「……むう、やはりどこをどう通ってきたのか分からん」
「畏れ多い言葉かもしれませんが、方向感覚が狂っておられるのでは?」
「いや、寧ろ優れているはずなんだがな」
 首を捻っても分かるものではないと諦めて、工房へ一歩足を踏み入れる。
 ぐさっ。
 苦痛は遅れてやってきた。
「ぐぅ……?」
 慌てて足下に目を向けると鋼のカスが足裏に突き刺さっていた。ぶつぶつ不満を漏らしながら足裏から抜いた屑を棚の上に置いて、改めて内部を見渡す。
 中央におかれていた机はひしゃげて原型を留めていない。たった今屑を置いた棚も、何かに押されたように真ん中がくびれていた。床には設計用紙と見られる紙が無造作に散らばっていて通し番号から判断するに順序正しく落ちているようには思えなかった。
「よう、護玄」
 工房の隣の部屋から疲れた表情で龍華が姿を現す。隣の部屋は実験器具を閉まっておく準備室、ということに一応はなっているのだが主要な実験器具はこの部屋に仕舞われている。実験器具を仕舞う棚は頑丈に造ってあるため、どうやら無事そうなのだが、内部の衝撃緩和がうまく働いたかは実際に蓋を開けてみるまで分からないだろう。
 震える声で護玄は言った。
「これは一体どういうことだ?」
 多分に気まずい表情で龍華は答える。
「ちょっとした実験過程での失敗というやつだな」
『龍華様、お体に怪我はありませんか?』
「ああ、この程度でやられるほど私はやわじゃない」
 龍華の腰に護玄の見覚えのない刀がぶら下がっていた。おそらくはこれが四本目の刀なのだろう。護玄の視線に気づいて、ぽんと龍華は腰の鞘を叩く。
「こいつが最新作、静嵐刀だ」
 静かな嵐? どことなく名前に矛盾があるような気がするが、口を出す問題でもないだろうと護玄は判断する。
「殷雷たちと同じように、静嵐には風を操る能力を持たせた。強度は他の刀と変わりない」
 風=静かな嵐という発想なんだろうかなと、護玄は考える。
「まあいいか。ちょっと貸してみな」
 護玄は手を龍華につきだす。龍華は少し渋る様子を見せながら、静嵐刀を放った。空中で一回転し、刀はぴたりと護玄の手に収まる。
 刀鍛冶が刀の出来を確かめるのと同じ目で、護玄は静嵐刀をするどく見つめる。刃の紋様はこれまでのどの三振りとも共通点がない。つまり、製法が違っているということだ。
 切れ味。これは、刃の反り具合や研磨により決まる。問題なしと護玄は判断した。以前の愚断剣の様に不必要なまでの切れ味はなく、かといってなまくらとも違う。
 握りも護玄の手に吸い付くかのようだ。多少の変形を可能にしているようだ。ただし、この手法を用いると強度に難点が残る。
 刀としての機能に問題はないようであった。となれば……護玄は静嵐に呼びかける。
「聞こえているか?」
「はい。私の創造者龍華の大恩ある護玄仙人ですね?」
「恩があると思っているならば、いつか返してほしいものだがな」
 それを期待する護玄ではなかった。続けて静嵐に呼びかける。
「お前に……いや、何でもない。気にするな」
 当人に「お前は欠陥があるか?」と聞いて正答が出てくるはずもない。
「まあ、これから精進することだな」
 今のところ、問題はないようだ。もっとも、問題は使用して暫く経った頃に頻発するものだが、とこれまで龍華の宝貝が原因の騒動に巻き込まれている護玄は皮肉げに唇を歪める。
「しかし……?」
 どこかに違和感がある。勘と経験がそう護玄に訴えかけていた。
「ところで龍華、実験過程での失敗と言っていたが、何の実験だったんだ?」
「なんてことはない衝撃耐久能力測定だが?」
「嘘をつくなよ。なんてことはない測定で」
 壊れた壁を指さして、続ける。
「こうなるはずないだろ」
「本当だ」
 龍華は隣の部屋から一枚の紙を探し出して護玄に渡した。
 衝撃の大きさと、それに対する応力の強さを表にしてある。

衝撃実験(静嵐刀)
衝撃    応力
5.000 4.725
10.000 10.347
50.000 39.124
100.000 156.930
...
10000.000 7325.534
50000.000
...
1000000.000
「龍華よ。途中の欄から記入がないのはどうしてだ?」
 龍華は黙って壊れた壁を指さした。測定できなかったと龍華は言っているのだと護玄は
判断する。そして、今感じている違和感の正体に気づく護玄。
「同じ実験を他の刀には適用してないか?」
 龍華はああ、と頷くと床を持ち上げた。そこにある紙の束が実験結果らしい。
 整理方法を考えておけよと釘を差して護玄は二枚の紙を見比べる。

衝撃実験(殷雷刀)
衝撃    応力
5.000 4.999
10.000 9.999
50.000 49.998
100.000 99.997
...
10000.000 9996.247
50000.000 4938.771
...
1000000.000 972084.095

 護玄は自らの違和感の根拠をそこに見いだした。そして、胸の支えがすっと降りた――どころか、はっきりと怒りを口調に表していた。
「龍華よ。この静嵐刀の数値はどういうわけだ?」
 龍華は黙して語らない。
「どうして静嵐刀の数値はこんなにばらついている」
 疑問を通り越して確信に辿り着いた護玄は宣言した。
「お前、混沌の制御に失敗しただろ」
「それは違う」
 間髪入れずに返ってきた返答に、護玄は更に強い口調で、
「嘘はよせ。だったらどうして、くどいようだが数値が……」
 突然護玄は口を噤んだ。
 あきらかに数値がばらついていると判る記録を、どうして途中で取りやめずに事故を起こすまで続けたんだ?
 その疑問を解消する答えは一つしかない。すなわち、
「まさか、故意に混沌を解放したのか?」
「さすが護玄先生。観察力は一流だな」
「何故?」
「制御された混沌なんぞ、混沌とは言えないだろう?」
 何を言ってるんだろう、と言った口調で答えを返す龍華の面がいつも通りであることを確認して、護玄は迷わず頭を抱えた。
 混沌とは、全ての仙術の源である。混沌は種種さまざまな力が混ざったものだと考えてもよいだろう。
 仙人は、混沌の中から望む力の単数もしくは複数をうまく引き出して、仙術を発現させる。符とはある決まった力のみを発現させる為に用いられるものであり、宝貝には符と同じ仕組みを複雑に組み合わせて内蔵してある。
 その混沌の制御をわざと龍華は省略したのだ!

「おーい護玄。大丈夫か?」
 護玄はそれまでの煩悶が嘘であったかのようにすっくと立ち上がると、踵を返して工房から出ていこうとする。
『護玄様?』
 護玄は入り口に手をかけて重い息を吐きだした。
「龍華の師匠殿に伝えてくる」
 龍華の動きは機敏だった。師の言葉に動き出し、護玄が溜息を終えて顔を上げた時には先回りしていた。
「護玄、話し合おうじゃないか」
「これは話し合いで済む問題ではないぞ、龍華」
「混沌の制御を抜かしたわけではない」
「最悪の事態を考えれば抜かしたのと一緒だ!」
 護玄は裾にしがみついていた龍華の手を払った。龍華の瞳に怒りの色が燃え上がる。龍華が懐に手を入れたのを見て、護玄を懐に手を入れ防御の符を探る。
 龍華は迷いの色を見せず符の力を解き放った。しかし、それは攻撃用の符ではない。防御の符を取り出して発動寸前にそのことに気づき、護玄は訊ねた。
「龍華。今、何をした?」
 涼やかな微笑みを浮かべて龍華は言った。
「なあに。空間捕捉を妨害する仙陣をこの九遙洞にばらまいただけだ。帰るなら自分の脚で帰ってくれ」
「何時の間にそんなものを……」
 驚愕と困惑を滲ませた護玄の言葉に、龍華は高らかに笑った。
「備えあれば憂いなし、だな」
「どうせなら他の憂いに使うんだな」
 護玄はそれ以上龍華を相手にせずに、今度こそ九遙洞の構造を把握してやると意気込んで、龍華の工房を離れていった。



 護玄が視界から消えるまで見送った龍華の顔に、意地悪い笑みが浮かんだ。それもそのはず、護玄が選んだ道は行く先で幾重にも分かれているにも関わらず、そのいずれの結末も行き止まりになっているのである。
 しめしめとほくそ笑んで工房に戻る龍華。足を工房に踏み入れて、その動きが止まる。
 龍華の鋭敏な感覚に引っかかる怪訝さ。部屋に背中を向けていた僅かの間に何かがあったはずだとくまなく目を配る。
 違和感の正体は、机の中央においてある茶色の封筒だった。その封筒を見るや龍華の表情が一変する。いつも興味に輝いている瞳は胡乱となり、頬に冷や汗が伝わって、装飾具を通って床にぽたぽたとこぼれ落ちる。
 封筒に大きく赤で書かれた「勅」の文字。
 戦慄く唇で龍華は呟く。
「師匠殿、今度は何を言いつけるつもりだ」
 既に幾度となく見ているはずのその文字に焦燥を禁じ得ない自分、それは更に苛立ちを募らせることとなる。終わりのない悪循環だ。
 断ち切る手段は中身を確かめること、これが唯一である。ともなれば震えそうになる手を鞭打ち封書を開き目を通す。子供が書き殴ったような文字に眉をひそめる龍華。
『じゅげむじゅげむ劫光のすりきれ海砂利水魚の水行末雲来末風雷末食う寝るところに住むところやぶからこうじのぶらこうじパイポパイポパイポのシューリンガンシューリンガンのグリーンダイグリーンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助さん、を1秒以内に50回唱えよ』
 びりっ。
「さて、護玄は今頃どこで迷っていやがるか」
 封書を破り捨てた龍華はあらぬ方向を向いて――絶句する。たった今破いた封書が無事な姿で龍華の眼前に浮かんでいるのである。
 龍華は黙って工房を移動する。封書は龍華を追尾して動く。見苦しく舌打ちして龍華は頭を押さえる。と見せかけて火炎術を放った。為すすべもなく炎に包まれる封書を、全体に火が回り灰が床に積もり空間に何もなくなるまで見つめる。それでも飽き足りないのか念入りに灰を靴で踏みなじり、更に水を召還して徹底して消火する。
 人心地ついて、目を上に向ければ、焦げ目一つなくふよふよと浮かんでいる封書。龍華は大きく息を吐いた。
「じゅげむじゅげむ……」
 九遙山全体に響き渡る大声で龍華は繰り返した。3度目の挑戦でようやく設定された目標を突破する。憎々しげに睨みつけられる中で封書の文面が変化した。書聖もかくやという達筆な筆遣いで綴られた文字に嫌々ながらも目を通す。
「何々、『近頃、岐山近郊で牛鬼が……』何て書いてあるんだこれは?」
 達筆すぎて読みとれない文字はやはり問題ではなかろうかと、愚痴をこぼしながら何とか読みとろうと努力する。
『牛鬼が修行中の道士を襲う事件が頻発している。ただちに現地に飛び、牛鬼の巣を壊滅させること』
 牛鬼とは首から上は牛の頭でその下は人間の体、ただし腕は左右併せて六本という妖怪の一種族である。総じて知能は人間に比べ低く好戦的で、人間の腰ほどもある太さの六本腕を自在に操り獲物を狩る。臓器が好物であり、特に人間のそれのは仲間割れを起こして奪う者がいるほどである。
「牛鬼程度なら私が出かけるまでもないだろう。そうだな、丁度こいつの実力を計る良い機会だ」

 その足で龍華は九遙洞の一室へと向かった。そこには今まで造った宝貝たち――勿論欠陥宝貝は除いてだが――専用の部屋だ。一室とは言っても無限環機能を使い、あるべき空間の数千倍に広さを拡張している。
 龍華の姿を認めた宝貝達に緊張が走る。今回は誰が選ばれるのかと興味津々の宝貝たちの視線を受ける龍華はいつも通り、不敵な表情を崩さない。どこ吹く風に肩で風を切って進む。
「殷雷、深霜、恵潤はいるか?」
 失望の溜息があちこちから聞こえた。龍華の周りに集まって来ていた宝貝たちは一様に興味を無くした顔つきで三々五々に散ってゆく。
 不機嫌そうな殷雷、殷雷の首に腕をかけて嬉しそうにしている深霜、冷めた眼差しで自分を見つめる恵潤を順番に眺め、
「岐山近郊で牛鬼が暴れ回っているらしい。巣を探し出して叩き潰してこい」
 そう告げると、三人の眼は鋭く光り武人の顔つきに変わる。
「相手は何匹いるんだ?」
「不明だ」
 面倒だな、と呟く殷雷に内心龍華は同意するが、顔には出さない。
「質問。相手の巣を探し出す宝貝は無いの?」
「無い」
 げ、と呻く殷雷。面倒だからって押しつけるつもりだな、との言葉を無視して龍華は腰に差していた刀を掲げた。三人の瞳に好奇の光が灯るのを確かめて、
「これがお前らの仲間、静嵐刀だ。仲良くしてやりな」
 三人がいる場所へ軽く放り投げる。刀は空中で変化して人の形を取る。
「僕の名は静嵐刀。以後お見知り置きを」
 頼もしい声と、背中に描かれた雄牛の刺繍の出来に龍華は満足した。
「そいつと4人で牛鬼を叩け。新しい情報は入り次第伝える」
 若干名の気の乗らない刀を除き、戦いの予感に震える瞳を確かめた龍華は宝貝たちの部屋を後にした。

 龍華が部屋から出ていくのを見届けた3人から体の固さが消える。
「ふ〜っ。しかし、自分で巣を探さなきゃならないなんて、やってられねえな」
「なかなか見つかりそうにないねっ」
 深霜は言葉とは裏腹に嬉しそうだった。それが不思議で殷雷は訊ねる。
「どうして嬉しそうなんだ、深霜」
 こんな面倒なことがよ、とも顔で語る殷雷にしなだれかかって恵潤は甘ったるい声で、
「だあって、それだけ殷雷と長くいられるじゃない」
 恵潤は自分の言葉に恥ずかしがって頬に手を当てる。苦り切った表情で奇態を眺める殷雷。
「ほら君たち、そんな詰まらないことを言っている暇があったら出発しよう」
 そうねと軽く頷く恵潤とは対照的に、
「てめえ静嵐とか言ったか? お高くとまって、スカシてんじゃねえよ」
 そのまんま破落戸の口調で食ってかかる殷雷を静嵐は冷たい目で流し見る。
「君たちに関わっていると時間を無駄にするだけみたいだね」
 などと、静嵐は殷雷を挑発するように言い捨て一人で――おそらくは外へと足を向けた。
「てめえ!」
 怒り心頭に達した殷雷が立ち上がったところに恵潤の足払いが決まる。下から恨めしそうに睨む殷雷の視線に恵潤は笑顔で答え、
「静嵐の言うことは正しいよ。まずはお手並み拝見と行こうじゃないか」
「へっ」
 凄絶な表情で睨みを利かせる殷雷に、恵潤は前途は多難だなと胸中で溜息を吐いた。



 仙界にも村はある。偶々仙界に迷い込んだ人間や、仙人への修行中に諦めたり気の変わった人間が人間界と同じように村を建設して暮らしているのである。
 ただ、仙界のそこかしこに存在する仙洞の数と比べれば稀少な存在ではある。今回は運良く現場の近くに村があったため、殷雷たちはその村、到家村から聞き込みを始めることにした。
 物珍しさに立ち寄ったわけではない。仙人というものは概して他人の造った宝貝に冷淡で、情報を教えてくれるとは思えなかったからである。

「なんか、村の雰囲気が暗いね」
 殷雷も気になってはいた。皆は精一杯に自分の仕事を果たしているようで、面にどこかしら陰りが見られる。
「これも牛鬼の仕業か?」
 それにしては、ここまで落ち込んでいるのは不思議だった。仙人崩れの中には牛鬼を倒すくらいの者がいてもおかしくはないはずなのだが。
「あいつはどうした」
「あいつって?」
 殷雷の背中から顔を出して深霜が陽気な声を上げる。
「あーもう、離れろよ」
 辟易しとした感じの殷雷の言葉に深霜の眉が釣り上がる。ますますぎゅっと殷雷の体にしがみついた深霜に苦笑しながら恵潤が話を受けた。
「静嵐なら村の中へ入っていったよ」
「あの野郎、勝手な事をしやがって……」
 引っ付いている深霜を背負って、殷雷は村の中心へと歩き出した。

「ふう、いいお茶ですね」
 湯飲み片手に談笑する静嵐に、ふと殷雷は殺意を感じた。殺気に気づいたのか、それまで老人と話していた静嵐は顔を横に向けて殷雷に笑いかける。
「こちら、この村の村長さんだよ」
「扇応とお呼び下さい」
 差し出された椅子に黙って座る殷雷。恵潤は殷雷と静嵐の間に座る。
「あの、そちらさまもお座り下さい」
 一人椅子に座ろうとしない深霜にしびれをきらした扇応が強く勧める。
「お気になさらずに。さ、話を続けてください」
 深霜は殷雷の肩に顔をおいてしれっとした顔で言った。扇応は生返事を返すと真面目な顔に戻って話し始めた。
「牛鬼についてでしょうか?」
 殷雷は黙ってうなずく。
「それは私たちも気づいていました。村に危害を与えるならば、と思っていたのです」
「この村に仙人くずれはいるのか?」
「その呼称は余り宜しくないかと。確かに、道士としての修行を積んだ者がおります」
 だとすれば、村を覆う暗雲に説明がつかないではないか。殷雷はその点を突き止めることにした。
「牛鬼が原因でこうなっているのではないというわけか」
 殷雷の言葉に村長は頷いた。
「はい。実は、このような書状が村に届けられたのです」
 村長が差し出した書状を恵潤が受け取る。恵潤が目を通す間も扇応の話は進む。
「その書状には『毎月15日に村の娘を差し出すよう。でなければ村は滅びるであろう』と書かれてあります。ああっ、一体この村はどうなってしまうのか」
 殷雷たちは難しい表情を浮かべたまま動かない。
「ねえ、龍華の話とは大分違わない?」
 深霜の軽口に答える者は誰もいない。
「扇応さん。その書状は誰が届けてきたの? 牛鬼がそんなことをするとは思えない」
 だんっっ!
 湯呑みから茶が零れる。握りしめられたまま、震えている扇応の拳。
「……お見苦しいところをお見せしました」
「あ、ああ」
「書状は村の者が届けてたところを私が受け取りました。その後すぐにその者は舌を噛んで死にました。暗示をかけられていたか、操られていたのか」
 語尾は無念に震えていた。そっと、怒りに染まった拳を静嵐の手が柔らかく掴む。
「分かりました。村の方の仇は僕が討ちましょう。なるべく村の外に出ないように村人に伝えてください」

 見送ろうという扇応の言葉をやんわりと断った4人は無言で到家村を立ち去った。到家村の姿が遠くなった頃に殷雷が動く。
「静嵐、てめえどうして軽々しく約束しやがった!」
「そうは言ってもあの場合は……」
「相手が蚩尤だと分かっていてのことだろうな?」
「ああ」
「この阿呆!」
 殷雷は頭を抱えて座り込んだ。横で何を考えているのかそのすぐ横、全く同じ格好で深霜が座り込む。
「過ぎたことはどうしようもないわ。それよりこれからどうするかよ」
「どうするかって……前向きだね恵潤」
「言っておくけどね静嵐。これからはもうちょっと考えて発言してよ」
 気の抜けた笑顔の静嵐に、今回ばかりは恵潤も溜息を堪えることはできなかった。
 蚩尤はいわば牛鬼の上級眷属である。牛鬼も心臓を貫いただけでは死なず一撃で決めるなら頭を刎ね飛ばすしかしかない、という旺盛な生命力も持っているが、蚩尤はその比ではない。頭を斬っても心臓が無事なら再生する上に左右両胸に心臓を持っている。
 術もそつなくこなし、暗示はもとより初級の仙術を操る知性を持つ。その中でも特に強力だった個体には、仙人をも超える知識を以て人間界に攻め込んだものもいるという。
「取り敢えず、娘さんを連れてくるよう指定していた場所に行ってみるか」
 まずは、手当たりを一つずつ潰していくしかないだろう。

 蚩尤が指定した場所は古くなって使われていない鐘突堂だった。4人は鐘突堂を近くの高場から眺めている。
「あーあ、ここが相手の巣だったら探す手間が省けたのに」
「敵に見つかったらどうするつもりだ。やめろ、やめろ」
 崖に腰掛けて足をぶらぶらと振り子運動させる深霜を殷雷がたしなめる。
「殷雷、私のこと心配してくれるの?」
「あんたが見つかったら私たち全員が不利な状況におかれるんだけど」
「大丈夫よ恵潤。常に気配を探っているけど、不審な所なんて何一つないんだから。それは恵潤だって分かっているでしょ」
「油断は禁物。私たちの索敵能力が敵のそれを上回っているとは限らないわ」
「仕方ないね」
 と腰を上げる深霜。その瞬間、刀たちは一斉に背後に向き直った。
「そんな? さっきまで気配がなかったのに」
「驚いている場合じゃねえぞ静嵐。どうやら俺たちの動きは敵に筒抜けらしい。と、なると」
「さっきの村も危ないってことね」
「そういうことだ。約束しちまったからには、さっさと戻って安全を確かめねえとな」
 2尺を超える大男の牛鬼が6体。しかし刀たちには冷静さを取り戻している。牛鬼の一匹が、腕に抱えた大斧を振り上げた。それが勝負の合図だった。

「おらぁ!」
 牛鬼の六本の腕に動く暇を与えない速度で殷雷が跳ぶ。一撃で殷雷は牛鬼の頸骨を破壊する。右前方から不規則に振り下ろされる6本の腕。すばやく自らが倒した牛鬼を盾にして不規則な攻撃をやり過ごす。
「はいはい」
 牛鬼の巨躯は上半身への攻撃が主となると見抜いた恵潤は素早く足払いをしかける。片足を払われた牛鬼は突き飛ばして崖下に転落する。最後までそれを見届けることはせず、すぐにその場から移動する。直後に剣、大斧、槍の3連撃が地面に突き刺さる。武器の主を背後から蹴り落とし、恵潤は次の獲物を狙う。
 深霜は隠し持っていた三節棍を取り出した。牛鬼の動きを見極めて振るわれた棍は牛鬼の持つ二つの武器を弾き飛ばした。鼻息荒く武器を掲げ持った隙だらけの喉を棍を接合して突き破る。
 弾き飛ばされた武器の一つは他の牛鬼の腕を切り落とし、
「うわっ!」
 もう一つは静嵐のすぐ横の大地に突き刺さった。直撃する軌道ではなかったのだが、静嵐は態勢を大きく崩す。その機を逃さず牛鬼の六本の腕が不規則に躍動する。それは何とかかわした静嵐だが、致命的なまでに態勢を崩してしまう。
 ズシュ。肉を斬る音と共に牛鬼の首が宙を舞う。着地する殷雷は恵潤刀を手にしていた。
「助かったよ殷雷……え?」
 静嵐の首筋に恵潤刀を突きつける殷雷。殷雷の背後で最後の一匹が深霜に葬られる。
「どういうことだよ殷雷」
 はあっと隠そうともせずに嘆息をこぼした。
「間違いない。お前は欠陥宝貝だ。それも能力が武器の宝貝の標準に到達していないという、根本的な次元でだ」
「どうして僕が」
「俺が刀を向けたとき、ぴくりとも反応しなかったろう」
「それは味方だからだよ」
「違うな。お前は味方だから動かなかったのではない。単純に俺の動きに対応出来ないで動けなかっただけだ」
 人間や宝貝が行動を起こすとき、雷気に微妙な変動が起こる。そして殷雷はその雷気を感知する機能を持っていた。その殷雷が見たところ、自分が刀を突きつけたときに静嵐の近くで雷気の変動はなかった。
 その時、突如巻き起こった濃霧に恵潤刀の姿が隠される。霧が晴れたときには、殷雷の肩に手を置いて、人間形態に変化した恵潤が立っていた。
「まあそこらへんで止めておきなよ」
「あのなあ、こいつの欠陥は冗談で済まないぞ」
 宥めの言葉も殷雷には効を為さない。
「俺は主張するぞ。こいつを連れていては蚩尤なんぞと戦えっこない。今すぐここに置き去りにしよう」
「殷雷に賛成するわ。刃物が飛んできたくらいで動揺するようじゃあね」
「僕は……」
 俯く静嵐に恵潤は真剣な眼差しで、
「悪いことは言わない。あなたでは危険すぎる。今すぐ戻って龍華に蚩尤が出てきていることを伝令してくれると私たちも助かるわ」
 言い終えた恵潤はにっこりと微笑みかける。
「僕は……いや、僕だって武器の宝貝だ。このままみんなと同行するよ」
「なんだと?」
 静嵐は殷雷に襟首を掴み上げられる。苦悶と憂悶に静嵐の顔は歪んでいた。
「もう一度だけ忠告してやる。破壊されたくなければ、今すぐ戻れ」
「断る。敵を相手に逃げ出したりはしない」
「自分の置かれた状況も把握できねえのか。このポンコツ!」
「ただ前に進むだけが武器の宝貝だと思っているのなら、それは大きな間違いよ」
「僕は……」
 静嵐は項垂れるばかりだ。殷雷も怒りより呆れが先行し、腕を放す。
「行くぜ恵潤、深霜。村の無事を確認しなきゃならん」
 それからはもう静嵐のことを脳裏から追い出して村へ向かって駆けだす殷雷に深霜と恵潤もついてゆく。恵潤だけは一瞬静嵐に振り向いた。だが、力無く地面に崩れ落ちる静嵐を見て、静嵐への憐憫の情は面から姿を消した。
「僕は……」
 一人断崖に取り残される静嵐。いつまでも、いつまでも譫言のようにその言葉を繰り返していた。



 急いで戻ってきた「村」という建造物に異変はなかった。火をかけられて逃げまどう村人の姿もない。暴れ回る牛鬼の姿だってどこにもない。
「おかしいよ、これ……」
「人の気配がしない、だと」
 注意深く辺りを探りながら――敵と村人の両方を見つけるために――進む村には全く生気がない。洗濯物がはためく音、せせらぎの流れる音は出発前と変わりない。ただ一つ、村人の話し声だけが漂白された村。
 異様な沈黙に支配された空間を、村長の扇応が住む家を目指して歩く。内部には生命反応、それも人間の反応が出ている。
「ようこそおいでくださいました」
 扉を開くと、状況に似合わないそんな言葉が返ってきた。以前の暗さは消えていた。その代わりになのか、虚無の支配する顔を扇応は刀たちに向けた。
 茶を三人分注いで、席を勧める扇応。そんなひどく当たり前の動作が、ひどく奇妙に見えた。
「この村は一体どうなったんだ。村の人々はどこへ行った?」
 殷雷の言葉に扇応は答えない。
「質問に答えろ!」
 声を張り上げる殷雷。刀たちはいずれも扇応の家の敷居を跨いではいない。
 扇応は殷雷の声が耳に入っていないのか、反応を見せない。
「ところで、牛鬼はどうなったのですかな?」
 逆にそう問いかけられ、殷雷は困惑を隠せない。
「指定された場所には鐘突堂しかなかった。牛鬼に襲われたが、そいつらは退治した」
 こんなことを話したいのではないのだが。殷雷が焦っていると、深霜は一向に進まない話に我慢しきれなくなったのか、
「ああもう! そんなことはどうでもいいからこの村の事を話しなさい!」
 わめきながらも、決して敷居は跨がない。
「そうですか。約束は守ってくださいませんでしたか」
 扇応の話には一応一貫性がある。それなのに、ネジを巻かれた人形のように予め決められた言葉を喋っているかのような感触がいやが上にも殷雷たちの中にますます高まってゆく。
 扇応はふらっと台所へ向かう。包丁をもって戻ってきた扇応は、自らの喉に包丁を突きつける。
「お、おい」
「守ってくださいませんでしたか……」
 刃は喉を狙って動く。
「待て、考え直せ!」
 震える腕と対照的な凍えた表情。
 思わず駆け寄ろうとした殷雷の体を誰かが止める。
 刃が皮膚を切り裂く。
 止めたのは誰でもない、殷雷自身の本能だ。
 震える腕が血痕を撒く。刃は容赦なく肉を切り裂く。
 危険だ、中に入っては危険だと本能が囁いていた。
 刃は血管を突き破り、口蓋に達する。
「やめろぉっ!」
 言葉は、扇応に告げているのか。それとも扇応を操っている蚩尤になのか。
 刃は鼻腔を通り、脳を破壊し、外界に血にまみれた姿を顕した。

「うおおおっ!」
 殷雷の絶叫が木霊する。深霜は顔を背け、恵潤は苦しそうに身をくの字に折り畳んでいる。
 今すぐ駆け寄って遺体を抱きしめたい。だが、本能は決して許してはくれないのだ。危険だ、近づくなと感情を超えた場所で囁く声。
「やれやれ、これが武器の宝貝とはな」
 三人を揶揄する、よく通る声が響き渡った。
「おおいいね、その表情」
 憎悪の視線を愉しげに受け止める、30過ぎの男。だが彼の発する鬼気は風貌そのままの存在ではないことをこれ以上ない程明確に物語っていた。
「そうだよ。俺が、お前らが蚩尤と呼ぶものだ。これでも個体名があるんだが、お前らは覚えるつもりはないだろう?」
 それぞれに構えと取る刀たちを面白そうに眺める蚩尤。
「それに、覚えていられるのは少しの間だ」
 指を鳴らすと同時に、牛鬼が20体現れる。
「空間を操ったのか」
「その通り。まあ、それが分かってもお前らに出来ることはないだろう」
 三人の中に、空間を操る機能を持つものはいない。
「やれ」
 その一言で、事足りる。

 蚩尤がその場から動かないことを確認し、三人は散会する。三人の間合いを充分に取れるよう、それでいて直ぐさま救援に駆けつけることもできる微妙な距離だ。
 相手が20体とはいえ、身に刻み込まれた技術ならば決して負ける数ではない。そう確信して走る三人。
 敵の攻撃をかいくぐり、同士討ちを誘い、確実に一匹ずつ息の根を止めてゆく。刀たちは瞬く間に半分の10匹を葬った。
「ほう、流石に勝負にならんか」
 蚩尤は部下の戦死に些かも動じた様子を見せない。
 最後まで観戦するつもりかと三人が疑った時だ。蚩尤の眼が赤く光った。
 何事かと構えながら、戦いを続ける三人。
 左右から差し込まれる刃の軌道を見据える殷雷。軽く跳躍して、足下を狙った刃をかわす。一瞬の沈滞の後にあり得ない軌道で刃は殷雷の足首すれすれを薙いだ。咄嗟に殷雷が足の向きを変えなければ、間違いなく刃は腱を破壊していただろう。原因を推測する間を与えず振るわれる刃。それも突如向きを変えて首筋を狙ってきた。今回は事前に気づいていた為に動きにも遅滞はない。倒した敵から奪った剣を首筋に突き通し、次の敵へ向き直る。
「ふははっ! 流石は戦いに生きる武器の宝貝だ。こんな小細工では話にならぬか」
 牛鬼の動きが突如変化する前にある一瞬の隙。隙と次動作で武器の宝貝は軌道計算を行っていることに蚩尤は気づいていない。
 勢いをそのままに残りの10匹を葬った刀達を前にしても蚩尤の笑みは消えない。更に輝く禍々しき紅眼と拍手。
 ゆらり、と起きあがる牛鬼。いずれも首を落としたその数、20体。
「おいおい……」
「心臓を潰せばいずれは動けなくなるからよ」
「それはご親切にどうも」
 忠告を渡してくるからには、死体を操ることすらお遊びの範疇に入るのか。それとも、刀たちの体力の消耗を狙っているのか。
 敵の忠告に従って心臓を主に狙う。心臓を貫いても暫くは動き続けるが、やがて動きが鈍くなり、やがては止まる。それでも20体を相手にするには骨がいる。
「根気強いねえ、好きだよ俺は。そういう奴」
「お遊びはもう終わりか?」
「いやいや、まだまだこれからだ」
 ぱちんっと指をうち鳴らすと、30体ほどの牛鬼が何処からともなく姿を現す。げっ、との殷雷の呻き声に蚩尤は心底からの邪悪な笑みを浮かべる。
 するとその時、牛鬼の体は炎に包まれ崩れ落ちた。
「牛鬼程度に苦戦するとは、なんと情けない者たちだ」
 自負に満ちあふれた声が殷雷の耳朶を打った。
「爺い!」
 挨拶代わりに爆燎槍は殷雷の頭を左の甲で小突いた。
「その呼び名はやめよと何度も言っておろうに」
「爆燎、あなたが持っている矛は何なの?」
 爆燎が片手に抱えた矛は緑色に点滅していた。
「うむ。これは対妖怪用の宝貝、怪吸矛だ」
 言葉が終わる前に爆燎は動いた。正に神速と形容すべき勢いで蚩尤の体を貫く。
「ぐはあっ!」
 蚩尤の体が揺らめき、消える。気配を頼りに蚩尤にを探し出した爆燎は冷静な口調で告げた。
「ふむ。どうやら空間を操っておるようだな。しかし、その程度の術でこの爆燎からは逃げられぬぞ」
「貴様ぁ、殺してやる」
「出来ぬことは口にせんことだな」
 訝しげに爆燎の眉が顰められる。
「やああっ!」
 かけ声と共に、一陣の風に乗って蚩尤に襲いかかる一つの影。
「だあああぅ!」
 攻撃はあっさりと蚩尤にかわされ、あまつさえ反撃を見事にくらって影は吹き飛んだ。
「……なんだ、あれは?」
「あれが静嵐刀だ」
 うんざりした口調で殷雷が答えた。ほう、と皮肉に唇を歪めて爆燎が感想を漏らす。
「あれが武器の宝貝か。下には下がいるものだな。あれに比べれば小僧も立派な武器の宝貝だ」
「あれと比べられてじゃあ、せっかく爺いが褒めてくれてるというのに、嬉しくねえな」
 地面に激突する寸前に変化を解き地面を転がる静嵐刀。
「儂に認められたかったらな――」
 次の瞬間には、蚩尤に怪吸矛を突き刺す爆燎の姿があった。
「くっ」
 蚩尤の口から滑り出る呪。その姿が揺らめき、同じ場所に実体化する。
「馬鹿な馬鹿な馬鹿な」
「空間を操る余力もないか」
 怪吸矛を中心にして蚩尤の体がねじ曲がる。ねじ曲げられ、回転する蚩尤の体。
「滅びよ」
 回転は烈しく、次第に中止に掻き集められてゆく。
 軽い音を残して、蚩尤の体は消滅した。



「終わったか」
 安堵の溜息を漏らす殷雷を爆燎は冷ややかな眼で見つめた。
「な、なんだよ」
「いや、まだだ。お主たちが受けた任務は牛鬼の巣の壊滅であろう?」
「げっ」
 殷雷と手を繋いで帰ろうかしらと、妄想に入っていた深霜の顔が青ざめる。
「蚩尤が滅びたんだからいいじゃねえか」
「そ、そうよ」
 異口同音にやる気のない二人を爆燎はどなりつけた。
「爆燎も手伝ってくれないかな」
 顎髭を撫でた爆燎は無念そうに、
「美女の誘いを断るのは心苦しいのだが、儂の受けた命令は蚩尤の抹殺なのだ。任務を遂行したからには即刻帰還し報告せねばならん」
「あっそう。ならしょうがないわね」
「なぜそこで納得する、恵潤」
「済まないが、あれを連れてゆくのだな。あれでも牛鬼程度ならばどうにか出来るだろう」
 爆燎が無骨な指で指し示しているのは、未だに目を覚まさず刀の姿のままである静嵐だ。
「そうかぁ?」
 疑わしそうな殷雷の言葉には答えずに、爆燎は黙ってその場を辞した。
「起きろ。起きやがれ、いつまで寝てるつもりだ!」
 続いて、人体を蹴り飛ばす音。そんな騒動を背中に感じながら、爆燎は早々に帰還の途についた。

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