スチャラカもくれんタマスダれ
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九遙洞一ヶ月目

 一人前と認められた仙人は一つの山を与えられ、洞府を開くことを許される。洞府とは仙人の住居であり、神秘の道具『宝貝』を造る工房だ。やがて弟子を得たときには教導のための場となるが、この九遙山の主が弟子を迎える日はまだ遠いだろう。九遙山の洞府、すなわち九遙洞の歴史はほんの数日前に始まったばかりだ。
 今日は一人の客人が九遙洞を訪れていた。名を護玄と言い、九遙洞の主、龍華の知り合いだ。護玄は岩肌が露出した壁に手をついて、自身が仙人として認められた当時を思い出していた。
 当時の護玄は内装に手を入れようだなどと考えもしなかった。多くの仙術を極めること、一人前と認められた初めて造ることを認められた宝貝の製造、気持ちはその二つで占められていた。
 きっと今の龍華も同じ気持ちなのだと護玄は感じた。あれをしよう、これもしたいという気持ちが泉のように湧き出してきてたまらないあの日々をたった今、龍華は過ごしているのだ。
 自分も応援してやりたいのだがと、護玄は無念だった。道服の裾に隠した書状を思い出せば、ため息をつくしかない。懐のものは龍華の高揚感に水を差すに違いない代物だ。
 いっそのこと破ってしまいたいという誘惑を振り切って護玄は洞窟の奥へと向かった。龍華がどこにいるかは分からないが、よもや迷うことはあるまい。



 足を踏み入れた先、地面に付いた足から平衡感覚が狂い始めた。強烈な空間のゆがみに引きずられると気づいたときには、洞窟の壁が岩壁から人工物へと、漆喰で塗り固められた壁へと変わっていた。
 龍華の居所まですぐだとふんだのは正しく、百歩と歩かないうちに護玄は木扉を見つけた。
 護玄は扉をたたいて来訪を告げた。
「誰だ?」
 洞主として聴いた初めての龍華の声には、やや躁がかった響きがあった。
「俺だ、護玄だ。話があってきたんだ」
「なんだ、遠慮せずに入って来ていいのに。まったく、もう少し融通が利いてもいいだろう」
 一声かけてから扉を開き、護玄は内部の光景に絶句した。
 龍華が大量の紙に埋もれていた。いや、部屋が紙で埋まっていた。
 中央に置かれた大机だけでは置き場所が足りないと言いたげに、そこかしこの空中に漂っていた。
 護玄は近くに浮いていた一枚を手にとって眺める。どうやら物体を回転させる機構のようだ。
「おい龍華、何の宝貝を造っているんだ?」
「今造っているのは釣り船の宝貝だ」
「すると、こいつは櫓をこぐ装置といったところか」
 護玄の手にある設計図を見た龍華は即座に首を振った。
「いや、そいつは穿壁槍の設計図だ」
 設計図はどこに置いておけばいいという護玄の問いに、そこらへんに置いておけと龍華は答えた。
 乱雑な答えを聞いて、護玄の胸に不安の灯がともる。他の宝貝の設計図が混ざっていても、気づかずに製造を始めてしまいそうだ。
「穿壁槍か。どんな宝貝なんだ?」
 龍華は獲物のネズミに逃げられた猫に似た表情で懐の瓢箪から、一振りの槍を取り出した。槍というには短めの柄をしている。
 護玄はうかない龍華の表情から失敗作なのだと見当をつける。
 優男に見える護玄だが、武芸百般を会得していた。いくつかの演舞の型に従って、穿壁槍を操った護玄は、穿壁槍に持ち主に訴えかけてくる凄みを感じなかった。
「使ってみて分かるように、穿壁槍はちょっと硬度が高い槍にすぎない」
「なりたての仙人が造ったものにしてはしっかりしていると思うが、宝貝と呼べるほどの凄みはないな。
 龍華にしては、そう、真っ当な作りだな」
 あくがない、と出かかった言葉を胃に押し込んで護玄は言った。
「だからちょっと一工夫をしてみた」
 護玄はふと、背筋を流れる一筋の汗に気づいた。冷や汗、そういえば冷や汗をかいたのはいつ以来だろう?
 背中を気にすれば気にするほど、流れる汗は止まらなくなってゆく。
 龍華は護玄の表情のなかに微かな強張りを見いだした。
「どうした、護玄」
「いや、なんでもない。話を続けてくれ」
龍華の話は続く。
「錐の仕組みを元にして、貫通力を上げられるのではないかと考えたんだ。
 錐を垂直に突き刺しても深くはささらないが、手のひらで捻るようにして動かせばより深く進むことができる。ここでの違いは何だと思う」
「回転しているかどうかだ。違うか」
「そうだ。槍を回転させれば貫通力が上がるということだ。とはいっても、槍を捻るのは人の腕であるからして、半回転もできないだろう。
 そこでだ。私は槍の先端部分だけが回転するように手を加えてみた」
 龍華は穿壁槍を奪い、白壁に向けて構えた。
 ぶぅーーーん、と蠅が飛ぶ時にたてる音が密集したかのような振動が護玄の鼓膜を震わせる。
 龍華はゆっくりと槍を前へと突き出した。
 先端が壁へと触れた瞬間、怒号を立てて壁の一部が弾け飛んだ。飛来する破片から身を術で守った護玄は、壁がお椀型に削れていることを発見した。
「回転が強すぎて術で腕力を増強しておかないと使い物にならないのだ」
 後悔した口調で龍華は言った。
 護玄の手はわなわなと震える。
「そういう問題じゃない。どこが槍だ、どこが。お前が造ったのは攻城兵器だ」
 耳を塞ぎ、聞こえない振りをする龍華に護玄の弁舌は鋭さを増した。

 護玄の文句が一段落したのを見計らって龍華は質問した。
「そもそも何をしに来たんだ」
 護玄はまだ言い足りないようだったが、不承不承といった面持ちで龍華の師匠から龍華に向けての伝言を伝えに来たことを話した。懐の書状を取り出すと、龍華は喜びの声を上げた。
「ほう。その封印は師命の証。すると、どこぞの馬鹿仙人を誅して来い、という依頼なのか!」
 仙人としてはひよっこに過ぎないくせに、この自信はどこから来るのだろうと護玄はいぶかしく感じた。一方で、中身を知っているために底意地の悪い思い湧き出して来るのだった。
 含み笑いを見せる護玄に不安を懐く龍華。書状を受け取り中身を一瞥した龍華は、その場で書状を床へ叩きつけた。
「護玄、これは私をおちょくっているのか!」
 龍華が師匠に命じられたのは近所のイノシシ狩りだった。貴重な薬草がイノシシの被害にあっているがゆえの依頼であった。
「師匠殿め、嫌がらせもいい加減にしろ!」
 実は護玄、「どうだい護玄君、イノシシ狩りを命じられたと知ったときの龍華の顔は見物だと思わないか?」と意地悪い笑みを浮かべた龍華の師匠から書状を渡されたのである。
 護玄は感想を述べた。
「まあ、妥当な判断だな」
 イノシシ狩りならば、いくら龍華でも問題を起こさないだろう。

 しかし、護玄の判断は誤っていた。龍華が張った罠に道士がひっかかり、しかも一年以上にわたって放っておかれたのだ。
 早期に捜索を始めなかったのが悪いとする龍華と獲物の確認をすべきだったとする道士の師匠の対立が護玄にも飛び火して嫌がらせやら襲撃に遭うことになるのだが、それはまた別の話。

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