スチャラカもくれんタマスダれ
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豪角刃、その愛と苦悩

「・・・私の綜現に手を出さないでって何回も言っているでしょ」
 綜現と遊んでいた塁摩の前に嫉妬に狂った流麗が仁王立ちし、
その行く手を塞いでいた。
 だが塁摩は流麗をまるで無視したかのように流麗をあっさりと躱して
綜現に近づき、そして言った。
「ふう、おばさんは細かいことに一々口出ししてきて嫌なもんね。
綜現、あっちで遊ぼ。今度は何して遊ぼうか」
「・・・おばさん」
 無言のまま流麗は糸を操って塁摩へと襲いかかる。
天をも覆うかのような縫い糸の洪水の一束一束は、
塁摩が指で形作ったハサミでもって例外なく断ち切られていた。
「・・・なんてこと。通用しない事は最初から判っていたけれど」
「どう? 面白いでしょ。豪角にこつを教えて貰ったんだ」
 チョキチョキと塁摩は人差し指と中指をかみ合わせる。
塁摩の手バサミは、教授した豪角の切れ味をも上回っていた。
 塁摩は、指を高速で交差させることによって糸を断っていた。
こつを教えたのは確かに豪角刃であったが、本家ハサミの宝貝の切れ味でさえ
敵わない、そんな芸当を可能とするのも偏に塁摩の比肩しうるもののない力故に。
「・・・流石。でも、私の綜現は渡さないわ」
「流麗さんも、塁摩も喧嘩は止めてよ!」
 綜現はあらん限りの声量で二人を止めようとしたが、
どうも二人に聞こえた様子はなかった。

 そんな3人の姿を遠くから見守る影があった。
不健康そうな顔色に、ガリガリに痩せた手足。両手には怪我でもしているのか、
包帯をぐるぐると巻き付けてある。男の名前は、豪角。
先程の塁摩の話に出てきた塁摩に物騒な技術を授けた張本人である。
「ああ、う・・・この・・・どう・・・ろう」
言葉になっていない譫言を呟きながら、彼はその場から姿を消した。

                 *

 断縁獄の中にだって、花畑の一つや二つくらいはある。
豪角は三人から離れると、その内の一つ、蒲公英が咲き誇る地帯へとやって来た。
彼は辺りをキョロキョロと見回すと、警戒を解いて地面に座り込む。
そして、一本の蒲公英を抜き取り花びらを一枚ずつ切り裂き始めた。
「・・、・・、・・、・・、・・・」

 蒲公英の花びらの数はなにぶん多い。四半刻ほどの時を費やして花びらを
全て剥ぎ取った豪角は、何を考えているのか更に蒲公英を一本摘み出し、
再び花びらを切り裂き始めた。

 見た目とても陰気な男が、その雰囲気とは場違いに明るい花畑の中にいて、
蒲公英の花を一枚一枚陰惨に千切り取る。その違和感も、恐怖感もかなりのもの。
その光景には、剛胆さを誇る武器の宝貝たちさえ怯ませる程のものだった。
 そんな今の豪角に近寄る事が出来るとすれば、絆深い友であるとか、
余程の馬鹿か、あっぴろげな子供くらいであろう。
「ねえ豪角、何してるの?」
 背後からかけられた声に、哀れなほど豪角はみっともない姿を曝した。
すなわち、腰が抜けてしまったのだ。しかも上体を捻って
匍匐前進で逃げようとしたのだった。訓練を施された軍隊ではない豪角は
蝸牛にも匹敵する速度で逃げてゆく。豪角の足に何かが触れた。
それは、上から踏みつけて豪角の移動を抑えつける。
 混乱の極みに達した豪角は悲鳴を上げそうになった。
「ちょっとちょっと豪角、お願いだから落ち着いてよ」
 聞き覚えのある声が豪角の限界まで引き絞られた感情を和らげた。
豪角は恐る恐るといった体でゆっくりと振り返る。
「な、なんだ塁摩かよ・・・驚かすなよ」
 本当に吃驚していたらしく、珍しく普通に喋っていた。
「別に驚かしたつもりじゃないけどね。それより何してたの?」
 豪角の顔が見事に引きつった。馬車に踏まれて死んでいたヒキガエルを
間違えて踏んでしまった時の表情にも似ている。
「な、な、な、んでもないんだよおう」
「露骨に怪しいね。今日も私たちを見張ってなかった?」
「き、気付いていたのかあよ」
 それも当然。兵器の宝貝たる塁摩には高度な索敵能力が備わっているのだ。
日用雑貨の宝貝の稚拙な尾行に気付かないはずがなかった。
「今日だけじゃなくて、昨日も、その前の日も、それに・・・
そういや、私と綜現と流麗さんが一緒にいるときに限ってのことだね」
「そこまで調べられていちゃあ、否定も出来なあいな」
 豪角は言葉に詰まり、そして弱々しく頷いた。
「本当にどうしたの豪角? 同じ弾勁に使われていた者同士、相談に乗るよ」
 無論、塁摩の心の中には純粋に心配する気持ちもあるのだが、
この時、過半数を占めていたのは好奇心だった。まあ、子供であるし。
「実は、あの人の事を考えると心が疼くんだよお」
「あの人って?」
 ずしゃあっ!
 何処に居たのか何処で話を聞いていたのか。突風の如き勢いで
花畑を無惨に踏み散らし、その場に現れた人影は一体。

「少女と見紛うばかりの美貌を持った美少年から、渋さ溢れる髭が素敵な壮年まで。
ありとあらゆる恋に精通した悩み多き乙女、月は帷の深霜参上!
 この私に頼めば千客万来商売繁盛酒池肉林熱愛発覚間違いなし!
誰が好きなの? この私がポン引き、違った恋の綱渡し役、
もっと文学的に言うならば月下氷人を見事務めてあなたの心のうちに秘めた
崇高な想いを見事精華させて見せましょう! さあ、さあ、さあ!」
 派手な身振り手振りを交えつつ熱く語る深霜の勢いに呑み込まれた二人だったが、
「・・・帰るかあ」
「・・・そうだね、もうすぐ日も暮れちゃうし」
 すたこらさ、と二人は逃げるかのようにその場を後にしようとした。
「ちょっと待ちなさいよ二人とも! 
 この百戦錬磨の深霜様がわざわざ手を貸してあげようと言ってるんじゃない。
『へへー、有り難き幸せ。あなた様の手助けがあれば百人力、
頼もしい限りで御座います』とくるのが普通じゃないの」
「何か不思議なこと言ってるよ?」
「気のせいだろうよおう」
 風を起こす程の速度で深霜は二人の進路に回り込み、
腰を手に当ててふんぞり返った姿で行く手を塞ぎにかかる。表情は必死そのものだ。
「無視するのも可哀想だあから、聞くだけ聞いてあげよおうか」
「人が良いね、豪角も」

 ようやく自分の話を聞いてくれると思ったのか、
深霜は大きく首を何回も縦に振って、人差し指をズビシッと豪角の顔へと突きつける。
「あなた、恋をしているわね!」
「恥ずかしながら、そうなんだあよ。だが、あんたには話したくはなあいな」
「・・・どういう訳よ。この深霜様には話せないってのは」
「あんたに言ったら、ものの数時間で断縁獄中に広まりそおうだ」
「そんな事は無いわ! 刀の誇りに賭けても人に漏らしたりはしない」
「・・・さっき熱愛発覚とか言ってなかった?」

 要らぬ事を言って楽しむ塁摩に、深霜は怒りのこもった眼差しを向ける。
その視線を横を向いて躱し、口笛を鳴らして惚ける塁摩。
「まあそれはともかく、ほっといてくれよお」
『そうはいかない。娯楽の少ない断縁獄の中で、ようやくありついたまたとない娯楽。
この好機を逃してたまるか』
 心中の思いを笑顔で隠し、深霜はあくまで話そうとしない豪角に
いかにも親切そうに話しかける。
「こういった事は意外と人に話せばすっきりするものよ。
さあ、どんと、この深霜さんに打ち明けてみなさいよ」
「駄目だ、断る、冗談じゃない。さあ行くぞ塁摩」
「・・・ふっ。どうあっても話して貰うわよ」
 それまで少なくとも表面上はにこやかに振る舞っていた深霜の表情が
一転して厳しいものへと変貌する。深霜は懐から囲碁盤のようなものを取り出した。
「ふっふっふ。これが判るかい、豪角」
「擬戦盤だあろ? それがどうしたんだよお」
「断縁獄の中じゃ、防御機能が働いて傷を付けることなんて出来やしない。
でも、こいつがあれば思い切り相手を殴れるのよ」
 豪角も武器の宝貝を目指した身、擬戦盤の事は知っていた。
「だが、それは所詮、単なる幻に過ぎない。痛さも恐怖も一瞬のこと」
「本当にそう思っているのなら、試してみなさいよ」
 深霜は擬戦盤の能力を発動させ、その瞳は獲物を狙う肉食動物の光を放つ。
その行動、変化を見て取り、豪角のだらしなく開いていた目も危険な光を放つ。
 豪角の刃物の切れ味を持つ腕が深霜の首目掛けて突き出される。
気勢が乗れば武器の宝貝をも破壊するその刃を、深霜は余裕で躱す。
「これが最後の通告よ。大人しく話してくれれば、
こちらもそれなりの態度を取ってあげるわ」
 豪角はその言葉を無視して腕を大きく横へ振る。それを躱した深霜は自然と
豪角から離れる。その瞬間を見逃さず豪角は逃げ出した。
戦闘が本職の武器の宝貝に勝てはしないと判っていたからだ。
だがものの数歩で止まる。駄目だ、擬戦盤からは逃げられないのだ。
 今度こそ手加減なしで、深霜目掛けてその腕―刃を閃かせる。
刃が弾かれたと思ったと同時に脇腹に拳の感触があった。
次の瞬間襲ってきた衝撃に耐えられず、豪角は自らの身を守るためその原型を現した。
 とそこで感覚が戻ってくる。豪角の体には傷一つない。
「まあ、こんなもんだろうよお。さあ、深霜さん諦めて貰いたいんけれどおも」
 深霜はにやりと底意地の悪い笑みを浴びせかけると再び擬戦盤を使った。

 たとえ話をしてみよう。夢の中では決して現実の自分は傷つかない。
それは誰でも知っていることだ。だが、毎日毎日夢を見る度に自分が殺される悪夢を
見てしまう、というのはどうだろうか。夢とはいえ、死ぬときの恐怖感、衝撃、
死への落下感。それらは確かに現実の感覚として捉えられる類のものだ。
そのような日々に、人は耐えられるだろうか?
 つまり・・・豪角は度重なる自らの破壊という虚構に神経をすり減らされ、
ついには深霜に泣きついてこの悪夢を止めるよう懇願したのだった。
 それに対する深霜の答えは。
「ふん、この深霜様の好意を袖で振ったんだ。この位で許して貰えると思ったら
大間違いだよ。さあ続けようか」
 豪角は一度頭を大きく上下に揺らした後、今度こそ気を失って倒れ込んだ。

 豪角が目を開くと、深霜が腕を組んで勝ち誇って立っている光景が見えた。
視覚の端っこには塁摩が少し気まずそうにしていた。
「塁摩先生よおう。途中で深霜さんを止めてくれても良かったんじゃなあいか?」
「うー、そう責めないでよ。私もまさか深霜がここまでやるとは思わなくて」
 とは言っているが、好奇心に負けただけの事である。
「さあさあ、きりきりと吐いてもらいましょうか!」
 深霜は『言わないと更に続けるよ』と目で告げているのを察した豪角は、
涙ながらに自らの思いの内を語った。
「実は、恋をしてしまったんだよお。あんたみたいな上っ面の恋じゃない。
本心からの、生まれて初めての恋」
 『あんたみたいな上っ面』の所で深霜が豪角を思いっきり蹴り飛ばした。
怒りを堪えながらも笑っているため、かなり変な顔と化している深霜は重ねて尋ねる。
「で、誰に恋したのよ」
「あの艶のある長い黒髪、理知的な頭脳とそれを映し出す鏡たる瞳。
ああ、この気持ちをどうやって彼女に伝えたらいいのだろう」
 自分に陶酔し先程の深霜に対抗するかの様に手振り身振りをも付けて
その想いを表す豪角。いつもの陰気な男はそこにはいない。
「ふむ。つまり、流麗を好きになった訳ね。でも、こりゃ難しいわね。
相手は彼氏付き。しかもいつもベタベタ精神上悪いったらありゃしない」
 自分は好きになった相手にベタベタ引っ付く事を放棄しての流麗の無責任な発言。
「でも、綜現は別にそういった気持ちは持っていないみたいだよ?」
「まあ、あんなガキじゃ愛の幸せなんか判らないわね。
でも、そうならまだこいつにも目はあるか?」
「でも、光に満ちた綜現の目に比べて、豪角は・・・」
 燭台を本性とする綜現の目は、どこまでも澄んでいて、希望を感じさせる。
それにひきかえ、豪角の目は普段から破落戸の様に人を睨み付けていて、
瞳の奥には狂気の光が宿っている。
 綜現に惹かれている流麗が豪角に振り向くか、というとかなり厳しい事だろう。

「この恋が成就しなくともいいんだ、こんな気持ちになったのは生まれて初めて。
遠くから見守っているだけで俺は十分なんだよお」
 遠い目をして呟く豪角。気のせいか、
その時の彼の目はとても安らいだ光を放っていた。
だが、ここにそんな事じゃ満足しない女が一人。
「甘い、甘いわ。胸の奥に秘めた想いってのもそりゃ美しいけど、
そんな事じゃ何時まで経っても恋は成就しないわ。それじゃ意味ないじゃない。
少しは私を見習いなさい!」
「試みに問うが、勝率はいかほどだあい?」
 胡乱気に深霜を見る豪角と塁摩。その視線を受けながらも、
深霜は胸を張ってこう言った。
「勝率なんか問題じゃない! 問題は自分がその人の事をどれだけ愛しているか
これに尽きる。えーい、男がウジウジしてるんじゃない。
どんとぶつかって来なさいよ!」
「ちなみに、何勝何敗なの?」
 そんな素朴な塁摩の質問は深霜に無視された。
真相は深霜の胸の内のみにある。人に伝えられる事は決して無いだろう。

                 *

 そして、豪角の意志は全く無視されつつ作戦会議が開かれた。
無論、豪角に作戦の拒否権は無い。まず、深霜が自らの意見を述べた。
「そうね、登校中に偶々ぶつかって済みません大丈夫ですか攻撃はどう?」
「・・・そもそも学校がないだろうよお」
 断縁獄の中には、各自で作った家屋くらいは存在するが、さすがに学校はない。
まあ、そもそも宝貝に学校は必要ではないだろう。
「細かいわね。とにかく、曲がり角で襲うのよ」
 流麗が普段通る道のり、巧く待ち伏せの出来る場所を考慮に入れて
決定された激突の最適地が導き出された。 そして嫌がる豪角を無理矢理連れて行き、
ついでに背中を(物理的にも)押してやる。
そして、二人の計算通りに二人は激突した。流麗だけが尻餅を付き、
豪角は無事に立っていた。ここまでは予定通りだった。
だが、流麗は豪角の手を差し伸べる動作を全く無視して、
「・・・あなた、豪角? 私の事をまだ恨んでいるの?
あれはあなたが悪いんじゃない。逆恨みもいい加減にすること」
「・・・はい。済みません」
 豪角の予想通り、作戦通りとは行かず、それどころか更に流麗の印象を悪くする
結果となってしまった。豪角は一人、やり場のない拳を震わせ、
無念の涙を心の内に堅くしまい込んだ。

「残念ながら作戦1は失敗したわ。誰か良い案は?」
 はいっ、と元気良く塁摩が手を挙げた。
「どうぞ、塁摩さん」
 塁摩は返事をしてから立ち上がって、
「恋のお手紙作戦はどうかなあ? この面相を見せなければ巧くいくんじゃない?」
「こっそりと非道いことを言わないで欲しいなあ、塁摩先生よお」
 かくして作戦その2は発動した。豪角は机に向かって文章を書き付けてゆく。
横で深霜が訂正を施しながら一歩ずつ完成へと近づいていく恋文。
だが、突如豪角が発狂し紙をばらばらに切り裂いた。地面に無数の紙くずが散らばる。
「うおおおおっ! 紙を目の前にして切らずにいられなあいいいっ!」
紙を切るために存在するハサミ。豪角はその内なる衝動に打ち勝てなかったのだ。
 仕方なく、深霜が代筆する事となった。性格を表しているのか、荒々しい筆跡で
深霜は恋文を書き綴った。
「ねえ、そう言えばどうやって手紙を渡すの?」
「そりゃあ、豪角が直接渡すに決まって・・・」
 豪角が直接渡そうとしても、流麗は触れようともしないであろう。
かといって、自分たちが渡すのも御免だった。作戦その2は廃棄処分とあいなった。

                 *

 その後も深霜と塁摩の挑戦は続く。花束作戦に高価な宝石プレゼント作戦、
あなたに捧げる歌作戦に(これなら紙に書かなくとも伝えられる)、際どい所では
男は度胸の夜這い作戦。この時は綜現にこんがりと香ばしく焼き上げられ、
数週間再起不能となった。
 拒否するものの後門の虎に脅かされ、豪角が心中号泣しながら作戦を実行する
その度に流麗との関係は悪化の一途を辿っていった。

 ちなみに今回はもじもじして相手に言いたいことを引き出させよう作戦。
「あ、あのな、・・・・・・」
 目を伏せてごにょごにょと呟く豪角。これまでの事を思い出すと、
作戦に関係なくそういった態度になってしまう。どうやって彼女に謝れと言うのか。
 豪角の横を、流麗は何も無かったかのように過ぎ去った。これが三回程前の
作戦の時ならば、せめて「・・・ふん」とか反応くらいは返ってきたのだが。

「あー、駄目ね、駄目駄目。なっちゃいないよ。
やっぱりこの作戦は女性向きだったかもね。さあ、次の作戦を練ろうよ」
「・・・ねえ深霜、このままじゃ豪角が可哀想だよ。
もう終わりにしない? ねえったら」
 その様子を物陰から見守る宝貝二人。いまだにやる気十分の深霜に対して、
塁摩は流石に今の豪角を見るに忍びないようだった。
深霜の外套の裾を掴んで、これ以上の作戦の続行を懇願する。
「何いい子ぶってるんだか。塁摩だって最初は面白がってたじゃない」
 それを言われると、塁摩は言い返せないかもしてない。
事実、手を打って楽しんでいた身とあっては。でも・・・
「やっぱりもう止めようよ。止めないと、私が相手になるよ」
「・・・何よ。まるで私が悪い人みたいじゃないの」
 深霜は自覚の欠片もない発言を飛ばす。
「それとも何? 豪角ちゃんが気になるのかなあ?」
 これは面白い。よっぽど豪角よりも興味が湧く。実現し易そうだし。
深霜はほくそ笑んだ。その歪んだ笑みから塁摩は深霜の考えを読み取った。
「そんなんじゃないよ。本当に怒るよ、深霜?」
 おお怖い。ちっ、塁摩相手じゃ怪我ぐらいでは済まないわね。
そうね、今度はこっそりと応援する事にしましょうか。
深霜の笑みがますます深くなった。不信感を煽られて目を更に細める塁摩。
 当事者だったはずの豪角は、遠く一人で打ちひしがれていた。

                 *

 空に夜の帷がかけられた頃、塁摩は流麗・綜現宅の玄関前に立っていた。
換気口からは夕飯の準備なのだろう、いい匂いが塁摩にまで漂ってきた。
トントン、と玄関を二回叩く。すると暫くして玄関の戸が開かれた。
「・・・はい、どなた。塁摩じゃない、何の様?」
 流麗は恋敵と認識している塁摩が訪れてきたことで気分を途端に害した。
どうやって追い払うか、と流麗が思う間に、家の中から悲鳴と陶器の割れる音が
響いてきた。原因は決まっている。慌てて流麗は台所へと向かう。
 塁摩が流麗の後に付いて家に上がってきたが、
それどころではないので無視する事とした。優先されるべきは、綜現の安全だ。

 台所では予想通りの光景が展開されていた。少しでも流麗の役にたとうとした
綜現が食器を運ぼうとしたのが間違いの元。椅子の上に乗って食器を
取り出すところまでは巧く行ったのだが、そこで重さのバランスを崩して
椅子の上から転げ落ちてしまったのだ。
「綜現、大丈夫!? 怪我は無い?」
 取り乱した様子で綜現に駆け寄る流麗。塁摩は後から入ってきて部屋の惨状を
目の当たりにした。一体綜現はどういった転げ方をしたのか、部屋中に陶器の破片が
散らばっていた。元は椅子だった様に見える物体は背もたれが取れてしまい、
足の半分は途中から折れたのだろう、大きくささくれ立っていた。
「今回は盛大だね」
 思わず塁摩はそう感想を洩らしてしまった。綜現はと言えば、そんな状況で
無傷で済むはずもなく、それでも大した怪我が無いのは慣れなのだろうか。
擦り傷やちょっとした切り傷が殆ど。破片が体内に入り込んだ傷も幾つかあったが、
放っておいても一日もあれば完治するだろう。
「いたた・・・ちょっと擦り剥いたかもしれないけど、大丈夫だよ。
あれ、塁摩じゃない。僕の家に来るのは久しぶりだね」
 前回塁摩が来たときは、嫉妬に駆られた流麗は塁摩を早々に追い出したのだ。
塁摩と遊べなかった、と綜現が文句を言ってきたので流麗は啾々と嘘泣きし、
綜現の不満を何処かへ霧散させた。ただ、その後数日綜現が何かと
つまらなそうにしているのを見て自分の胸を詰まらせる事となったのだが。
まあ、それはそれとして。
「・・・塁摩、人の家に勝手に入らないで頂戴」
「あれ。ちゃんとおじゃまします、って言ったけど?」
 いつもの様にいつもの如く睨み合いを始める二人。
そうした雰囲気にいつまで経っても耐えられない綜現はとにかく口を開いてみた。
「そうだ塁摩、鍋でも食べて行かない? 流麗さんが作ってくれる料理は美味しいよ。
それに、鍋は大勢でつついた方が美味しいし」
「カニはあるかなあ」
 『・・・無い』と言う流麗を押し切って、綜現は大きめの声で
「カニもあるよ。塁摩はカニが好きだったよね?」
「うん。カニ、カニ、カニぃ♪」
 恨めしそうな目で問いつめてくる流麗に、綜現は冷や汗をだらだらと流した。
流麗さんも塁摩と仲良くして欲しいのに。女心を全く理解していない綜現だった。

 宝貝は基本的には不眠不休で活動出来るし、勿論食事を取らなくとも生きて行ける。
とはいうものの、人間の形をとれる宝貝は感覚も人間に近くなっていて、
一日中起きている事よりはそれなりの就寝を取る事を好んでいた。
 ましてやここは断縁獄という名の牢獄、毎日少しずつ違ったことをしていないと
心の平穏は保たれず、場合によっては機能に障害も出てくる事だろう。
それに武器の宝貝は自らの腕を磨く為の鍛錬に多くの時間を費やす者も多く、
そんな場合には十分な就寝と食事を取る事も必要になってくる。
 そういった理由で、人型をとれる宝貝は日々の刺激を求め、
幸福感を抱く為に食事を摂る者が多かった。特に日用雑貨の宝貝に於いては。

 新たに椅子を二つ取り出して来て、夕食は始まった。だが・・・
「ねえ流麗、お箸が届かないんだけど」
 そう、流麗は子供用の座る場所が高位にある椅子と、大人用の普通の椅子を
それぞれ一つずつ持ってきたのだった。当然、塁摩の身長では鍋に届かない。
「・・・大丈夫。ちゃんと小椀に取りよそってあげるわ」
 やがて言葉通り流麗は綜現と塁摩に熱々のだし汁が鍋の具にたっぷりと注がれた
小椀をそれぞれの手の届く位置に差し出した。
一見、綜現と塁摩への待遇は変わらない見えたが、
「ねえ、私のカニが入ってないよ。あれほど入れてって言ったのに」
「・・・御免なさい。忘れていたわ」
 だが、お代わりを頼んだ時にもカニは入っていなかった。
綜現は、と綜現の顔を見ると塁摩に苦笑いを向けてきた。
その小椀にはカニがたっぷりと、それこそカニしか入ってない程に入っていた。
「綜現、カニだけじゃ栄養が摂れないから私が少し貰っても良い?
カニだけじゃなくて、もっと野菜も食べないと駄目だよ」
 綜現の『うん、いいよ』という言葉にかぶせて流麗は、
「・・・ほら、人のものに手を出さない」
 と澄ました顔で言ってきた。しかし、その意図は明白である。
 余程、一悶着起こしてから帰ろうか、と思う塁摩だったが、そもそも
彼女は鍋を食べにここに来たわけではなかった。
「実は、流麗に大事な話しがあるのよね」
「・・・話してくれていいわよ」
 流麗の目は『さっさと話して帰って頂戴。私と綜現の甘い時間を邪魔しないで』
と訴えかけていた。塁摩も『こんなギスギスした雰囲気の場所に長居はしたくないよ』
と非難の目を流麗へと向ける。間に挟まれ冷や汗を流すしかない綜現。
「豪角の事なんだけどね、・・・」
「・・・ああ、あの馬鹿。近頃は新しい嫌がらせを幾つも思いついたみたいね。
で、武器の宝貝に憧れる事自体不遜な上、織り機の宝貝に負けるようじゃハサミの
宝貝としても欠陥と言うしかない哀れな精神異常者がどうかしたの?」
「そ、そこまで言わなくても良いんじゃないかな・・・
あのね、近頃の豪角の奇矯な行動は私たちの所為なの。私と深霜の」
 ガタンッ! と椅子を後ろに倒して流麗は立ち上がった。
感情の起伏が少ない流麗だが、今度ばかりはハッキリとした怒りの表情を
その美麗な面に浮かべていた。
「・・・そう。つまり、あの使い古された手段を惜しげもなくてらいも無く
使ってくれた時代錯誤者はあなたたち、まあ殆どは深霜の下らない発案だろうけど、
あなたたち二人がやった事だった訳ね。しかもよりによってあいつを使って」
「それは、私たちが面白がってやらせた事。豪角は心から流麗の事が・・・
ええと、大好きなのよ。ここに恋文もあるわ。流麗が代筆したんだけど」
「・・・ふう。いーい、私は綜現の事が大好きなの。他の男なんか目に入らない。
特に豪角みたいな暗い男はお断り。でもまあ、そういう事だったわけね」
「ええと、それで、豪角に事件の背景を判りました、っていう
手紙を書いて欲しいんだけど。駄目かな?」
「・・・判ったわよ。『・・・事情は判った。でも、あなたなんか大嫌い』
でもいいならね。それで嫌がらせは金輪際無くなるのね?」
 予想通りに流麗は冷たい返事を返してきた。
予想していたからには答えに悩む必要は無い。すぐ塁摩は頷いた。
「いいよ。今の豪角はとても落ち込んでいて見ていられないから。
これで豪角もさっぱりするでしょ」
「・・・全く、深霜は困ったものね。恋多ければ多ければ良い、
だなんて思って思っているんでしょうね。彼女はただ飽きやすいだけなのに」
 塁摩としても同感だったので控えめに頷いておく。
言いたいことを言い終えた塁摩も、呆れてものも言えない流麗も黙りこくる
数瞬が続いた。次の瞬間、流麗は冷笑を浮かべていた。
その表情を見てごくり、と唾を飲み込む綜現。
「・・・ちょっと待って頂戴。今から言う条件を呑んでくれたら
豪角に手紙を書いてあげるわ。今よりちょっと手紙の返事に色を付けてもいいわよ」
「今更気持ちが変わったなんて言わないよね」
「・・・安心しなさい。豪角とは関係ない条件だから」

                 *

「やあ、聞きましたよ深霜さん」
 深霜の方に馴れ馴れしく手を置いてきたのは万波鐘だった。
「あんた、封印の仕事はどうしたの?」
「え? ちゃんとしてますよ、ほら」
 確かに、万波鐘の足下には彼の原型が万返鏡を封じ込めていた。
「ってことは、この姿は幻影を投射しているわけね。
まあ随分とくっきりした幻影だこと。それで、聞いたって何をよ。
それに馴れ馴れしく手を置かないで」
 邪険に手を振り解かれ、万波鐘はちょっと嫌な顔をしたが、言葉を続けた。
「何でも、豪角さんの恋の手助けをしたとか」
 深霜は間抜けな顔をしたのは、そんな噂が流れている事を
ちっとも知らなかったからだった。
「他人に恋する豪角さんをその恋心を隠したままで健気にも応援していたそうですね。
私は今まであなたの武勇伝を皆さんから聞いていましたが、
こういった『見守る女』と言うのですか? そういった人だったとは。
 私の聞いたあなたは、豪角さんの気持ちを無視してでも強引に
自分に振り向かせようとする人だったのですが、どうも誤解していたようですね。
本当に失礼な事を。済みません。私も微力ながらこの恋を応援していますよ。」
「え、え、え・・・へ?」
 豪角の恋の手助けをした事までは事実と合っている。
だが、誰が誰に密かに恋をしていたって?
その時、視界に恵潤の姿が入ってきた。これこそ天の配剤、恵潤ならこの
不名誉な汚名を雪いでくれるはず、と思いついた深霜は彼女に大声で呼びかける。
と、相手はこちらに振り向いて、そのまま自分に近づいてきた。
そしてにこやかに流麗は告げてきた。
「お、深霜じゃない。いやー、あんたも成長したもんだね。
奪う恋以外にも恋があるってようやく気付いたんだね。秘める想いは
秘める期間が長ければ長いほど美しいよね。まあ、秘めてるだけじゃ
どうにもならないけど、そこはあんただし心配ないか」
 どうにも信じられなかった。自分を良く知っているはずの恵潤までもが
こんな事を言ってくるなんて。
 ・・・いや、放心している場合じゃない。一体、この不愉快な噂は
どのくらい広まっているのだろう。
特に、更なる伝染は何としても避けなければならない。
「ねえ恵潤、この噂ってどのくらい広まっているのよ」
「多分、断縁獄中に流布していると思うけどね」
 深霜はがっくりと肩を落とした。沸々と怒りが心の奥底から湧き上がって来る。
 出所は判っている。あの二人以外に誰がこんな噂を流すことが出来るというのだ?
それに、こんな悪質な悪戯を考え出すのはきっとあいつに決まっている。
いや、流麗以外にいるものか。今度流麗に出会ったら一発殴って、
いや一発ぐらいで許してやるものか顔が変形するまで殴ってやる。
 流麗を殴る事を考えたとき、何かが脳裏を掠めた。一体なんだっけか?
 ・・・しまった。あの恋文が流麗の手元にある。もし流麗がそれを公表したら
私は嫉妬に狂った女、一方的な悪役にされてしまう。それどころか、
いや、その事自体は悪くない気もするけど、私が豪角に恋心を抱いている、
という噂に信憑性を増してしまう事となってしまうではないか。
これはもしかして八方塞がりなのか? 何か良い手は無いのだろうか?
 深霜は終いには頭を抱えて苦しみ出した。それを、恵潤たちは恥ずかしさに
悶えているのだろう、と好意的に解釈したのだった。

「そう言えば、万波あなたどうやってこの噂を知ったの? 動けないのに」
「お忘れですか、私は音を操る宝貝ですよ。そして、声は則ち音。
説明はこれで十分でしょう? それに、一歩も動けないわけじゃありませんよ」
 その言葉を証明するかのように、万波鐘は大地を転がる―というより倒れ込む。
「風も波の一種ですから。風の振動を私の思うように操作して、
風の向きを制御しているんですよ。巧くはいきませんが、最近身につけた技なんです」
「面白い技を修練するのもいいけど、封印を疎かにしないように」
「はい、勿論分かっておりますよ」
 断縁獄の中では、お互いに相手を傷つける事は出来ない。それでも万波鐘が万返鏡を
封印しているのは、己の宿業に対する誇りなのだろう。

                 *

「流麗さん、見ぃーっけ」
「・・・またこんなに早く見つけられたの? 塁摩はもう見つかった?」
「ううん、まだだよ。やっぱり塁摩は隠れるのが巧いなあ」
 塁摩と綜現の二人で隠れん坊をしていた所、また流麗が不満そうだったため、
綜現が3人で隠れん坊をする事を提案したのだった。
だが、流麗は隠れん坊するには体が大きすぎた。
その為に、いつもこう簡単に見つけられてしまう。
「・・・体を小さくしてくれる宝貝とかないかしらね」
「さあ、僕は知らないけど。塁摩か他の人に聞いてみたら?」
「・・・そうね。それにはまず塁摩を見つけないと」
 そして、二人は塁摩を探しにかかった。この面子の中では塁摩の隠れ方が一番巧い。
いつまで経っても捕まえられない為、四半刻の時間制限を作らざるを得なかった程だ。
 そして、もうすでに二回も時間制限に引っかかっていた。
時間制限の制定の際に交わした約束では、もう一度時間制限に引っかかってしまうと、
塁摩を流麗の家に招待して、食事を振る舞った上、その料理には必ずカニ料理を
含めていなければならない事となってしまう。
『・・・それだけは何としても防いでやるわ』
 流麗はそういった事を真剣に考えながら、塁摩を見つけだそうと躍起になった。

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