スチャラカもくれんタマスダれ
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       一

 両手にかかる重みに負けないように腰から下に力を込めて、子供は綱を引き寄せた。ぎゅいい、と金具と綱が触れ合って奏でる音に合わせて子供――和穂は歌う。
「よい、しょっと。よい、しょっと」
 やがて、井戸から水桶が顔を覗かせた。和穂の頭二つぶんはある水桶である。滑車の綱を金具に固定した和穂は踏み台に登ると慎重に水桶を持ち上げた。ゆらり、と揺らぐ水桶の水。ゆらり、と和穂の体も傾いた。
 危なっかしい仕草で水桶を地面に降ろした和穂は、水をひと掬いすると顔を洗い始めた。こうして仙界の朝がまた始まる。

 和穂は道士、すなわち見習い仙人である。
 道士であれば皆、いつの日か仙人へと昇格することを夢見て日々の修行に励んでいる。和穂もその例にしかず、師匠である龍華仙人のもとで仙術の手ほどきを受けていた。
 見た目、和穂はとても若い。若いと言うより、幼いと表現した方がしっくりくる。和穂はどこからどうみても六、七歳の女の子だ。仮にも道士ともなれば外見と年齢が同じだと考えない方がよいのだが、和穂は見た目通りの、つい一ヶ月前に七歳になったばかりだった。
 仙界の長い歴史の中に十歳を満たずして道士となった例がいくつあるものか。少なくとも、龍華の友人である護玄にとっては初耳だった。
 あまりに幼い和穂を道士として鍛えることができるのか。天地の理を五十年かけて解き明かした人間でさえ途中で放り出す厳しい修行である。和穂を弟子にしたと聞かされた護玄が危惧を抱くのも当然だ。
「お前を信じないわけじゃないが、本当に大丈夫なのか龍華。
 今まで母親のように感じていた人間が、人が変わったように厳しく接してくるんだぞ。ただでさえ苦しい修行が生まれたばかりの和穂に耐えられるのか」
「私は全力で和穂を支えるだけだ。和穂が仙人となる道を選んだのであれば、それに相応しい態度を私はとる。間違っているか」
「しかしだな、和穂だって身よりもない人間界に戻るよりは、知り合いのいる仙界に留まろうと思う方が自然じゃないか。和穂が選んだ選択だ、と胸を張って言えるのか龍華よ」
 龍華は護玄の問いかけに胸を張って答えた。和穂の言うことを信じていると態度で示していた。
「和穂の言葉に偽りはない。それでも信じられぬというなら、和穂の様子を覗いてみてはどうだ」
 九遙山の麓で和穂に修行をさせていると龍華は言った。
 護玄は視界だけを九遙山の外に飛ばす。護玄は九遙山の真上から麓を見下ろしていた。見渡す限りでは和穂の姿はない。ぐるりと、山を中心とした時計回りに和穂を探す。
 護玄の目が道服姿の子供をとらえた。ぐっと視界を下降させて、和穂の表情を見れる位置に移動した。
 頭の中でごおおんと、鐘が鳴ったかのような衝撃。
 和穂は記憶にある姿とくらべて大分痩せていた。
 護玄の記憶の中にある和穂は、もっと健康的に膨らんでいる。何かの病気にかかっているか、満足な食事をとっていないか、どちらにしてもこのまま放置できる状態ではない。
「これはどういうことだ龍華!」
 護玄の怒りを受け流すような涼しげな声で龍華は答えた。
「体内に気が通る、その感覚を知るための訓練だ。余計な気が回ると修行の妨げになるので必要最低限の食事以外は与えていない」
 龍華の冷静さがどこから来るのか護玄には分からない。
 更に怒りを爆発させようとした護玄は、和穂の瞳にたまる涙を見た。
 ぽたり、ぽつり。
 頬を伝った涙が道服の腹のあたりを黒く染めた。
 これ以上は見ていられないと、護玄は視界を飛ばす術を解こうとした。
「待て。和穂の瞳を見るんだ」
「和穂の瞳なら見ている、たった今も涙をこぼして泣いているではないか。
 龍華よ、今すぐ修行をとりやめにしろ。いや、俺が助けに行く」
 一刻も早くと踏み出した護玄の腕を堅く握って龍華は再び言った。
「和穂の瞳が何を見ているか分かるか」
 和穂の横顔は、その先には何もない虚空を見据えている。
「横から見るのではない。真正面からだ」
「いい加減にしろ龍華!」
 護玄がどれだけ力を込めても、龍華が掴んだ腕はぴくりとも動かなかった。
「頼む」
 これが最後だと自分に言い聞かせて、言われるままに護玄は和穂の顔を正面からのぞき込んだ。
 護玄はようやく気づいた。
 和穂の瞳は虚空を彷徨っているのではない。まっすぐに、涙を流しながらも、ひたむきな瞳で護玄を――いや、遙か前方を見つめている。仙人となった自身の姿か、もしくはそれ以外の何か。少なくとも、人の目に映るものではないのだろう。
 和穂の心は決して折れていなかった。
「心配せずとも、明朝には今の修行は取りやめにする」
 そして龍華は語った。和穂は仙術の基礎へ登るための一歩目さえも踏みえていない。通常であれば、道士は仙術の基礎を既に習得している。人間界から仙界へ来るためには、仙術の基礎を理解していなければ不可能だからだ。
 しかし、偶然仙界へ迷い込んできた和穂には基礎的な知識・素養がない。さらには人間の子供というのは仙術との相性がよくないのだ。
「恥を忍んで頼む。私の力だけでは、和穂を仙人にはできそうにない。護玄の力を貸してくれ」
 仙人は独立独歩の存在だ。仙人として進む方向、弟子の教え方。他人任せにする仙人はいない。未熟者として笑われるだけだ。
 それでも、敢えて龍華は護玄に助けを乞う道を選んだ。
 ゆっくりと護玄は口を開く。
「馬鹿。もっと早くに相談してくれればよかったのだ」
 かくして護玄の知恵を借りた龍華は、ようやく和穂を仙人へと続く階段に乗せることができたのだった。
 それより一年。確実に和穂は道士として成長していた。
 身支度を調えた和穂は居間へ向かった。食事の支度は龍華が調えているが、配膳は和穂の仕事だった。
 扉を開けると、龍華が食卓に座っていた。
「おはよう、和穂」
「おはようございます。師匠」
 和穂はちょっと驚いた。
 普段、この時間の龍華は工房で宝貝製作に明け暮れている。工房にいる龍華に食事を促すのも、和穂の朝の日課の一つだ。
 和穂はここ一年の記憶をひっくり返した。龍華が朝に食卓で待っている。それは、何らかの理由で上機嫌なときか、和穂に課題を与えるときかの二つに一つだ。
 前者であれば配膳は和穂の仕事だし、後者であれば配膳は既に整えられている。
 今回は後者だった。自然と背筋がぴんと張った。
 食事中に話をするのは不作法である、という観念は龍華にはない。和穂が席に座ると時間がもったいないとばかりに話を切り出した。
「分かっているようだが、和穂に頼みがある。なあに、簡単な仕事だ」
 もちろん、和穂は龍華の言う「簡単な仕事」という言葉を鵜呑みにしない。
「師匠、どんな仕事か教えてください」
「そうしゃちほこばるな。緊張すると、出来ることも出来なくなってしまうぞ」
「はい」
 龍華は白身魚と白菜の煮浸しに箸をつける。
「うむ、今日のはいい出来だな。ところで和穂。桜って綺麗だよな」
「桜って、春に咲く桜ですか」
「そう、その桜だ。和穂はどれぐらいの種類の桜を知っている?」
 和穂は以前に見た図鑑を思い出しながら言った。
「染井吉野、山桜、霞桜、彼岸桜、深山桜、ええと、あと何があったっけ」
「峰桜、丁字桜、大島桜、大山桜。それぞれの特徴を覚えているか?」
「いいえ」
 和穂は正直に答えた。名前を覚えるだけで精一杯だ。
 龍華は軽く和穂の頭を叩いた。
「桜という括りは同じでも、種類が違えば薬効も自然と異なるものだ。名前だけ覚えても意味がないぞ。自分の目で、区別できるようにならなければな」
「わかりました」
 桜の種類を覚えることが今日の課題なのだろうか。
 いやいや、桜だけとは限らないぞと思い直す。
 龍華は和穂の意気込みを感じた。頼もしいことだが、今日の課題は和穂の覚悟を肩すかししてしまうような簡単な課題だった。
 ばつの悪い思いで、龍華は次の言葉をつなげる。
「それはおいおいでもいいだろう。今日の課題は」
 卓の上に瓢箪の宝貝、四海獄と絨毯の宝貝、周穫布を広げて龍華は言った。
「近くに桜の名所があるから場所を取って来て欲しい。場所は四海獄が知っている」
「え?」
 和穂は思わず聞き返した。そんな課題でいいのだろうか。

       *

 宝貝。
 仙人が己の技術の粋を集めて造り上げた神秘の道具をそう呼ぶ。今朝、和穂が水を汲んだ井戸も宝貝だ。
 九遙山の水源は地上から和穂の身長の何十倍も下にある。単純に考えると、水源までの深さと同じだけの綱が必要になる。
 しかもそんな長さの綱を毎回引っ張っていたら時間がかかってしょうがない。
 ここで仙術の出番だ。井戸の長さをちょっと誤魔化してやることで、短時間で水を汲むことができるようになる。
 龍華は宝貝作りの名人として有名だった。正確には、龍華が造りだした宝貝による騒動が仙界中に知れ渡っている、というべきか。騒動が怒る原因の半分は龍華の性格にあるが、もう半分は宝貝自身の持つ欠陥が原因だった。

       二

 四海獄の導きに従いながら和穂はあれこれ一刻(二時間)ばかり走り続けていた。
 さすがは道士のはしくれ、額から汗をしたたらせながらも、疲れた様子はない。
「和穂様、右側に見える大岩の陰で少し休みましょう」
 四海獄の口調は、道士見習いの和穂に対しても丁重だった。
「うん、わかった」
 岩陰に腰を据えると、和穂は四海獄に口をつけた。
 ごくごくと、水が和穂の喉で踊った。
「もうそろそろ着く頃かな。あ、もしかしてあの森が」
 草原の一角、小さな山が和穂の行く手に見えた。
 山の麓には山の大きさにお似合いの、こんもりとした緑が茂っていた。
「正解です」
 十分に休んで立ち上がろうとした和穂の目に、映る閃光。
 和穂は急いで森に目を向けた。光を追うように、破裂音が微かに鼓膜を震わせる。
 今の光は森の奥で光っていた。和穂には森の内部がどうなっているか分からない。遠見の術はまだ教えられていなかった。
「お気をつけくださいませ。こちらから手出ししない限り安全ではありますが」
 四海獄の忠告を受けても、和穂には何に注意をすればいいのか見当が付かなかった。
 おっかなびっくり、和穂は花見会場へ向かった。
 近づくにつれて、内部の様子も見て取れるようになった。
 遠くからでは分からなかったが、沢山の人間が入り乱れてごった返している。
 出かける前に龍華からは、この森で開かれるのは神農系仙人、道士のお花見会と聞いていた。
 仙人自らが場所取りをするとも思えないので、ここにいるのは道士がほとんどだろう。さながら、道士の見本市といった風情だった。
 あちこち走り回ってよい場所を探している者もいれば、どっかりと腰を下ろして本を読みながら時間を潰している者もいる。
 ただ一つ共通しているのは、どの道士も席を陣取るためのムシロや絨毯を持っていること。そして、それらはどうやら宝貝らしいということだ。
 たとえば、緑色に染められた道服の男が座っているムシロは、うねうねとくねりながら、四方八方へ広がっている。
 その一端が大柄の男が座る赤色の絨毯に辿り着いた瞬間、絨毯が発した炎がムシロを焼き尽くした。
 ムシロは炎に懲りたかのように、絨毯をよけて広がっていった。
 万事そんな調子で、森のあちこちでちょっとした宝貝合戦が繰り広げられているようだった。
 和穂が気圧されていると、
「やっほー」
 と隣から声をかけられた。片方の耳だけに小さな水晶を付けている。見覚えのない女性だった。
「あなたは今日が初めてみたいだね」
 頷いた和穂に、君の気持ち分かるなあと笑って、女性は携えていた風呂敷を地面に置いた。
 瞬く間に人が十人ほど乗れるほどに広くなった風呂敷に腰を下ろした女性は、ちょいちょいと和穂を手招いた。
「要するに花見ってのは半ば口実で、自分が作った宝貝を他人に見せびらかしたいだけなのよ」
「はあ、そうなんですか」
「道士の使える術なんてたかがしれてるでしょ。師匠はお前の力量にかかっている、なんて言うけど、あ、お茶でもどうぞ」
「ありがとうございます」
 和穂も座って、女性の話を聞くことにした。
「結局は宝貝の出来が決めるわけ。あー、やってらんない」
「だからこんな端の席を取ったんですか」
 和穂の批難するような口調を女性はあっさりと受け入れた。
「そうだね。あたしにやる気がないってのは認める。宝貝にも相性ってものがあるから、布を敷く場所さえ正しければ、きっと良い席を取れるんでしょう」
 なら、と言いつのる和穂を遮って、女性は断言した。
「いいじゃない。ここだって桜が見れないって言うんじゃないんだから」
 誰もが争って森の中へと分け入るなか、森の外側は空白地帯になっていた。
 見方によれば、木の真下に席を取れるだけ、良い席なのだと和穂は気づいた。
「それにもう、こいつを敷いちゃったからね」
 一度場所を決めたら、そこから動いてはいけないという規則だった。
 思い切りよく場所を決めたこの女性に和穂は好感を持った。
「そういえば名前を言っていませんでした。私は和穂と言います」
「和穂ちゃんは礼儀正しいね。私は木蘭。以後よろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
 それから、話題は互いの修行についてに移った。和穂が場所取りのことを思い出したときには、真上にあった太陽は確かに傾いていた。すっかり話し込んでしまったことに気づいて、和穂は立ち上がった。
「もう行くの? 良い場所を見つけられるといいね」
 最後に聞くことがあったと、木蘭は口を開く。
「そういや、和穂の師匠って誰?」
「龍華師匠です」
「げ」
 窮鼠に噛まれた蛙ならばこんな声を出すのではないか。
 木蘭の悲鳴に、不安な気持ちを抑えきれない和穂だった。


       *

 今日こそ碁で龍華に勝つと意気込んで、護玄は今日も九遙山を訪れていた。
「う、う〜む」
 碁盤をにらむ護玄の目は、いつにもまして鋭い。
 対戦相手の龍華は、冷え切った眼差しで苦悩する護玄の顔を見ていた。
「早くしろ、一手にどれだけ時間をかけるつもりだ」
「もう少しでいい手を思いつきそうなんだ、もう少しだけ待ってくれ」
 どの手を打っても同じだよ、と忠告してやるべきか龍華は悩んだ。
 既に護玄の石は龍華の石により道が封じられている。それが分からないのは、護玄がへぼ棋士だからだ。
「よし、こいつでどうだ」
 護玄の打ち筋は、龍華の見るところ三番目に悪い手筋だった。
 龍華は迷わず石を置いた。
「そらよ」
「ぬ、ぬぬ、ぬぬぬ」
 護玄は眉間を摘み、引っ張った。この癖が出ると暫くは梃子でも動かなくなる。
「投了するなら早くしてくれ」
 龍華の言葉は護玄には聞こえていなかった。
 更に十局対戦して、護玄はようやく負けを認めた。しかし納得はしていない。
 ああすればよかった、こうすればよかったと呟いている護玄に龍華は茶を差し出した。
 一息ついた護玄は、屋敷に和穂の姿がないことに気づく。
「和穂はどうした。外で修行させているのか」
「花見の場所取りに行かせている。おっと、そろそろ時間か。護玄もどうだ」
 立ち上がった龍華を護玄は慌てて呼び止めた。
「待て待て。花見と言ったな。それはあの花見なのだな」
「あれ、護玄のところには招待状が行ってなかったのか。神農様主催の花見だよ」
 もちろん護玄も知っていた。どんな趣旨で行われるのかも知っていた。
 動悸が上がる。視界が暗くなったのは気のせいか。
「それで、今回はどんな宝貝なんだ。和穂に持たせるくらいだから、危険な宝貝じゃないんだろ」
「当然だ。何をそんな恐い顔をしているんだ護玄。今回作ったのは本当につまらない宝貝だ」
 ギリギリと痛む腹を押さえて、護玄は龍華を問いただす。
 龍華は言った。
「なに、実に簡単。和穂に持たせたのは対宝貝用の宝貝だよ」

       三

「そうか、和穂は知らないんだね」
 木蘭は和穂を抱き寄せると、和穂の耳に口を近づけて、小さな声で囁いた。
「龍華仙人が来る度に、この花見は阿鼻叫喚の地獄絵図と化して来たんだ」
 例えば、と和穂は聞いた。
「そうだね、この前の花見では、龍華が酒を振る舞ったの。あれは実に美味い酒だったよ。爽やかなのどごしといい、胸にじんとくる風味といい、微かに香るバラの香りも見事だった。
 嗚呼、最後にあの宿酔いさえなければ!」
 そして最後にこう付け足した。
「私ならいいが、あまり他人に龍華仙人の弟子であることをばらすなよ。それだけで恐慌が生まれてしまうからね」
 木蘭と分かれた和穂は、本格的に場所取りを始めた。
 まず、条件を考える。
「花見をするのは私と、師匠と、護玄様の三人だよね。四海獄、お酒やお弁当の準備はどうなってるの」
「すべて、私の中に収められております」
 ということは、三人が座れるくらいの広さを確保しておけばよい。
 森の中を歩き回り、ちょうどよい広さの空き地を確保した和穂は、さっそく周穫布を地面に広げた。
 あとは来客を待つだけだ。その前にと、和穂は四海獄から重箱を取り出して、色々と配置を考える。
 そのうちに、するすると近づいてくる物が見えた。
 最初は蛇かとも思ったが、入り口で見つけたムシロの宝貝だった。広がりに広がって、ついに本体から遠く離れた場所まで来たらしい。
 和穂が見守る中、ムシロの宝貝の一端が周穫布に触れた。
 どくん、とムシロが鼓動した。次の瞬間にはムシロはその動きを止めていた。
 何が起こったのか分からないうちに、事態は次の段階へ進む。
 まるでムシロの宝貝が乗り移ったかのように、周穫布はじわじわと和穂から遠く、遠くへと離れる方向へ動き始めていた。
 やがて周穫布は、他の宝貝にも接触する。
 藁葺きの宝貝が風を巻き起こし、麻生地の宝貝が冷気を吐いて、板敷きの宝貝からは刃が飛び出て切り刻む。
 いずれの宝貝も、周穫布を一度追い払うと、うんともすんとも機能しなくなった。
 お返しとばかりに、周穫布は他の宝貝を風で追い払い、近づこうとする宝貝の進行は凍らせてとどめ、動きを止めた宝貝を自由自在に切り刻んだ。
 和穂にも事態が飲み込めた。周穫布は接触した宝貝の機能を奪い取る宝貝だ。
 なるほど。と納得する間にも、周穫布は他の宝貝をどんどん浸食してゆく。
「わ、わ、どうしよう。四海獄、良い知恵はない?」
「和穂様。どうか落ち着いて、機能を止めるよう周穫布に命令してください」
「あ、なるほど。周穫布、機能を止めて」
 了解との意志が周穫布から返ってきた。しかし、周穫布はなおも広がりつづけた。
 和穂は慌てた。このままでは大騒動に発展してしまう。弟子として、師匠の悪い評判を広めたくはなかった。
「どうして止まってくれないの! 止まってよう」
 和穂は自分のことで精一杯なので気づいていないが、森からは道士が我先にと逃げだし始めていた。

       *

 龍華たちが現場に着いた頃には、森は一面絨毯に覆われていた。
「和穂!」
 誰もいなくなった森の中で、和穂を探すのはそう難しい仕事ではなかった。
「これはいったいどうしたことだ」
「師匠、やっと来てくれたんですね」
 抱きついてきた和穂を優しく受け止めた龍華に思わず顔を綻ばせた護玄は、いや和んでいる場合ではないと思い直す。
「良い雰囲気のところ悪い。和穂、分かることだけでいいから説明をしてくれ」
 和穂は必死に説明した。周穫布が他の宝貝の機能を奪い取ったこと、そのためにどんどん周穫布が広がっていったこと、周穫布の機能を止めたはずなのに、周穫布は機能し続けていること。
「ごめんなさい。私がしっかりしていなかったばっかりに」
「ええい、弟子が師匠の責任を取ってどうする。龍華、周穫布の機能が本当に止まっているのか調べてくれ」
 龍華はすばやく答えた。
「もう調べている。間違いなく、周穫布の機能は止まっている」
「では、この事態は何が引き起こしているというのだ。周穫布の機能が止まっているようには見えないぞ」
「だから、周穫布の機能は、止まっているんだ」
 護玄は周穫布の機能を思い返した。接触した宝貝の機能を奪い取ること、それが周穫布の機能だ。
 ひるがえって今の事態はどうか。広がる布、巻き起こる風、これら全てはもともと周穫布が持っていた機能ではない。
 周穫布の機能ではないから、周穫布が機能を停止しても止まらない。そういうことだと護玄は周穫布の欠陥を理解した。
「おい、龍華。どうやって止める気だ」
「破壊するしかない」
「まさか炎で焼こうだなんて思ってないだろうな」
「護玄、頭に血が回っていないのか。そんなことしたらこの森一帯に火事を起こしてしまうではないか」
「ではどうするつもりだ」
「……やはり焼くか」
「龍華ぁああああ」



『周穫布』
 接触した宝貝の機能を吸収する、絨毯の宝貝。純粋に対宝貝用の宝貝であり、単なる道具には作用しないし、仙術や符の機能を吸収することはない。
 欠陥は、吸収した機能を止める手段がないこと。

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