スチャラカもくれんタマスダれ
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一夜の宿を借りて

「……というわけで、異存ないわね?」
 それまでの議論の進行役を務めていた冷めた容貌の中に熱情を隠した女は、最終的にこ
の案で行くのかどうか皆に謀った。
「さんせーい!」
 元気よく挙手したまだまだ幼い姿の少女に続いて、
「まあ、面白そうだし」
 どうでもいいといった面もちで濡れた瞳が印象的な女手を挙げた。
「私の出番を作ってくれるならば」
 一言添えて頭の後ろで簡素に髪を束ねている女も同意する。
 概ね前向きな女性陣と比べて、男性陣はと言うと
「ねえ、流麗さんやめようよ」
 と服の袖を引っ張りながら主張する弱気そうな表情を見せる子ども、奇怪な声を立てな
がら紙をいかに細かく切り分けられるかに執念を燃やしている痩けた顎骨の男、我関与せ
ずと早々にこの場を抜け出した気障な雰囲気の男、そして。
「何か僕に出来ることがあったら何でも言ってくれ!」
「……あなたに期待していることは何もないわ」
「いやそれでも何かあるはずだろ?」
 進行役に嫌みを言われてもまるでへこたれず、珍しくやる気――というよりは執念かも
しれない――を見せている、人に爽やかな感じを与える男だけは熱烈に会議の提案を支持
していた。
「では、多数決にてこの案を可決します」
「4対3だというのに横暴だね」
「……いいでしょ。どうせ、反対しても被害があるわけでもないし」
 横槍を入れてくる気障男は一蹴され、こうして計画は端緒に着いた。



 夕日が斜めに射し込んで、朱色に染まった街の中を無数の人々が歩いていた。これから
家への帰路へ着く人、旅の最中に宿を求める人。そんな様々な雑踏の風景に圧倒された少
女がいた。少女の外見はぱっとみて14,15歳の可愛らしい顔つきだが、少々太めの眉
がいささか不格好に彼女の髪に半ば隠れる形で乗っかかっていた。白を基調に襟や袖を黒
に染めた服、世に言う道服をまとっていた。どこかの道士の弟子なのだろうか。
 人混みに押し出されて道の端へと追いやられる少女を呆れたように見ている男が一人。
奇妙な黒の外套を羽織っている。彼は人混みに逆らって足を進め、少女へと向かう。
「何をしているんだ、和穂」
「さ、さあ? 気が付いたらこんな場所にいたからさっぱり」
「この調子だと宿に着くのは深更か。大変だな」
 わざとらしくやれやれ、と頭を振る男。
「せめて、『このままだと夜になっちまうな』ぐらいで止めてはくれないかな」
「ぐだぐだ言う暇があったら足を動かす!」
「わあ、殷雷、そんなに押さないでよ」
 二歩歩いては三歩押し戻される。5歩進んでは8歩下がる。はたから見ていると滑稽な
和穂に殷雷は業を煮やした。つかつかと進み、和穂の横に並ぶと右手で和穂の左手を握る。
「こんなところで時間を無駄にするな。宿は逃げないが晩飯は時間制限つきだぞ」
 そしてつかつかと大股で歩きだした。
「袖が、袖が伸びるぅー」
 和穂をあちこちにぶつけながら、殷雷はめぼしい宿を探していた。

 四半時を街を巡って値段を確かめた殷雷は、値段の高い宿から数えて真ん中より少し上
の宿に心を定めた。手持ちの金額と安全面、食事面を付き合わせた結果だ。
「すまないが、ここの宿は空いてるか?」
 陰気な面もちで机にもたれ掛かっていた店員は不健康に痩せた面を殷雷に向けた。内心
、宿を間違ったかと殷雷は思った。
「お一人かい?」
「いや、あそこに座っている連れを含めて二人」
「長椅子の左から二尺の所に座っているあのめんこいお嬢さんかい?」
「外見に対する評価はともかく、左から二尺の所に座っている道服姿の子供が連れだ」
 殷雷は一言ケチをつけることを忘れなかった。
「言われてみると眉が邪魔だな」
「まああれがなければ魅力が三割ほど上がるかもしれないな」
 意気投合して盛り上がりを見せる二人。
「ほっといてください!」
 席から身体を浮かせて反論する和穂に、ちと言い過ぎたと悟った殷雷は本題に戻る。
「それで、空いているのかい?」
「安心してくれ。うちはこの街でも部屋数で言えば五本の指に入るんだからな」
「それはよかった。料金は前払いか?」
「後払いでもいいが、余計に頂くことになるが?」
 この会話の間も、厨房から香ばしい匂いが漂ってきていた。さっさと交渉を終わらせて
食事にありつきたいものだ、と思考を未来の食卓へと誘われながら話を続ける殷雷。
「ならば前払いで頼む」
「ところで、あの嬢ちゃんの年は幾つだい?」
「確か14だと思ったが……和穂?」
「15で合っていると思う」
「なら一人部屋を二つ用意しておこう。まずはうちの料理に舌鼓を打ってくれ」
「何? それは困るぞおやじ!」

 殷雷は和穂の護衛である。その護衛が護衛する対象と違う部屋でどう守れというのか。
「出来れば隣の部屋にしてほしいのだが……」
「あいにく、もう残っている一人部屋は二部屋しか残っていない」
 隣の部屋ならまだ納得できた。しかし、店員の説明によるととても緊急時に和穂を守る
ことのできる距離ではない。
「思ってみれば、同室にしてもらえば問題ないよな」
「それは法律で禁止されてる。16歳以下の男女は異性と同じ部屋に泊めてはいけない、
とね」
 やっかいな法律だ。殷雷はいっそ舌打ちしたい気分だったが、別の意味に解釈されたく
なかったので胸中に留めておく。
「この街のどの宿屋でもそういった規則になっているんですね」
「そういうわけさ。まあ、色々不満はあるだろうけど、こちらとしても当局に睨まれて廃
業においこまれたくはないんでね」



「――というわけだ。頼むぞ、恵潤」
 仕方なく、殷雷は和穂の護衛として恵潤を断縁獄から呼び出した。
塁摩と九鷲は静かにしていられないと考えから外し、そうすると安心できる存在は恵潤だ
けだった。「了解。だけど、規則を無視してここに居座ってしまえば?」
「お前だって分かっているだろ? 廊下の両端に一人ずつ、中央に三人の合計五人が見回
っている。ここに来るときも睨みつけて来たくらいだからな」
「はは、ごめんごめん。でも、万一の時は早く助けに来てよ」
「言われるまでもない。では、俺は自分の部屋に戻る。部屋番号は和穂から聞いてくれ」
 ばたん、と戸が閉まって殷雷は出ていった。
「それにしても、どうしてかな? 今までこんなことはなかったのに」
 和穂は首を捻っていた。
「分からないの、本当に」
「はい。どうしてですか?」
 にこにこ。にこにこ。翳りのない笑顔の真向かいで、恵潤は一人汗をかいていた。答え
るべきか、はぐらかすべきか。娘を持った母親の気分だった。
「大人になれば分かるわよ」
「そうですか。じゃあ、待ちますね」
 本当に素直で良かった、と恵潤は胸をなで下ろしていた。
「そろそろ食事に行きましょうか」
「あっ、ちょっと待って和穂。見て欲しいものがあるんだけど」
 恵潤は断縁獄から一個の瓢箪を取りだした。
「普通の瓢箪みたいだけど。でも断縁獄に似ているかな」
「そうね。ふふふ……」
 恵潤の愉しそうな笑い声に、急な悪寒に見舞われる和穂。和穂の目の前で恵潤が断縁獄
もどきを塞いでいた栓を抜き取った。



 今日は満室かそれに近いのだろう、見渡す限り誰も座ってない卓はなかった。二人用の
卓に座っている殷雷を見つけた和穂は黙って席に着く。すると、
「遅いぞ和穂。せっかくの温かい食事を無下にするとは、犯罪に等しいことだと思え」
「うん、御免ね」
 本当に待っていてくれたのだろう、盆に載せられた料理に殷雷はまだ手をつけていなか
った。
「おっと女中、ご飯のおかわりを頼む」
「またかい? もうこれで三杯目だよ? おかずが全く減ってないじゃないか」
 和穂の心が暖かさに満たされたのも束の間だった。どうも殷雷は結局待ちきれなかった
らしい。
「いただきます」
 和穂は手を合わせてぺこりと頭を少し下げる。箸を持って食事を始める。盆の中身が半
分ほどなくなって、和穂は殷雷に話かけた。
「ねえ殷雷、何か気づかない?」
 そう言われて初めて、殷雷は和穂の姿をざっと眺めてみた。いつもの服とは形が違うな
、とは思っていた殷雷だが、じっくり見つめるとその異様さが際だってくる。
「着こなしがなってないぞ。あとで恵潤に着付けを直してもらえ」
 今の和穂は宿においてある浴衣を着ていた。それはいいのだが、胸のあたりがぶかぶか
でかすかに確認できる胸の谷間が外に出ていた。
 道服とさして変わらないだろうに、どうなっているのだろうかと殷雷は考える。だが元
よりそういったことには意欲の湧かない武器の宝貝、あっさりと真相追求を放棄する
「うぅ……」
 どうしてこいつは不満げなんだ? 不思議に思いながら殷雷は鰯のつみれに興味を移し
た。



 和穂と部屋の前で別れて一刻が立つ殷雷は寝床に転がって辺りの気配を探っていた。気
分が優れないのは自分自身でも分かっていた。要するに、和穂と離れていることに不安を
感じているのだ。気配をうまく消すことのできる敵ではないだろうか、気配を察知してか
らでは間に合わない移動能力を持つ敵ではないだろうか、そういった考えがぐるぐると殷
雷の頭を回っていた。
 恵潤がいるのだから、と自分を納得させてやもすれば今にでも和穂の部屋に飛び込みた
くなる自分を抑えつけていた殷雷は、僅かに自分の知覚に引っかかるものを感じた。
 この宿で火災が起こっている! すぐさま起きあがって廊下に出る。
「火事だ! 早く消し止めねば大変なことになるぞ」
 宿中に響き渡るほどの大声を上げ、その最中にも足をたゆまず動かして火の発生源へと
向かう。怪しい気配は感じられない。なら、まずは今現在の問題から片づけてゆくべきだ。
 宿の玄関に直立している梁の根本から煙が立ち上っている。この場に店員がいないこと
を不審に思う殷雷。
「女将でも女中でも仲代でも誰でもいいから、水を持ってこい!」



「いやあ有り難うございます、危うくこの宿が焼け落ちる所でした」
 初期消火が功を奏し、焼けこげた傷跡を一部に残した玄関で殷雷は店員からの感謝の言
葉を受けていた。
「それより、どうして玄関に人がいなかったんだ」
「いやあ、それは……」
 店番の交代時に手違いが生じてしまったためで、完全にこちらの不手際だったと平謝り
する店員一同。店の管理体制を改めるように忠告し、殷雷は和穂のいる部屋へ向かった。

 何があったの? と訊ねてくるかと思いきや、和穂はお手玉に熱中していた。
「ほほう、なかなか筋がいいわよ」
「へへ。昔に随分と練習したことがあったから」
 拍子抜けした殷雷は、思わずこんなことを口走った。
「暢気だな、お前らは」
「言ってくれるね。何時どんなときでも平常心を保つことが重要なんじゃないか」
 すぐさま恵潤が反撃してくる。口論で恵潤に勝利したことのない殷雷は手を振ってこの
話はなしだと伝えると、
「何者かが宿に火を放ったらしい」
「他の宿の嫌がらせかしら」
「いや、どうにも証拠が見つからないんだ」
「それってもしかして!」
「宝貝の仕業ってことも考えられるな。俺たちが目当だとは思えないが、少なくとも今晩
は俺もここにいることにする」
「でもお店の人に止められなかった?」
 規則は守らなくては、と突っぱねられるのではないだろうか。下手をすれば営業停止だ
と店員も言っていたではないか。
「あんなことがあっては仕方ない、だとよ」
「それなら、私は断縁獄に戻っているね」
 恵潤が断縁獄に戻り、部屋に二人が取り残された。
「別に戻らなくてもよいのではないか?」
「気を遣ってくれたんだよ、多分」
「何に対してだ?」
 首を捻って難しい顔で皺を寄せる殷雷に、和穂はため息をついた。
「何か今日は不満があるみたいが、どうした?」
「なんでもないよ。じゃあ寝ようか」



 明かりの消えた室内で、壁にもたれ掛かる殷雷。寝床ですやすやと寝息を立てる和穂。
「うーん。うー。にゅー」
 ごろごろ。ころころ。和穂が右へ左へ転がる。珍しく寝相が良くないな、と殷雷は思っ
た。
 左へ右へと転がり、殷雷の足に体当たりする。
「……?」
 寝ぼけ眼で辺りを見回す和穂。ぼけらーっと見つめる殷雷と目が合うと、にへへーっと
笑って殷雷に膝をついたままにじり寄る。がしっと殷雷の身体を掴むと、殷雷にもたれ掛
かるようにして眠ろうとした。
 このままではいざというときに動きが制限されるではないか、と殷雷は和穂の身体を揺
さぶる。閉じかけた瞼が少し開かれる。
「おい、起きろ」
 殷雷の言葉に触発されて、和穂の上半身が浮き上がる。殷雷を掴んだ手はそのままに、
和穂は自らの顔を殷雷のそれへと近づけてゆく。
 殷雷は焦った。このような状況に対応する機構が組み込まれているはずもなく、ただ殷
雷は身体を硬直させる。ゆっくりと二人の顔が近づいてゆく。につれて、腰に回された腕
に力が籠もってゆくのを殷雷は感じた。
 和穂も緊張しているのだ。はて、自分は何をすべきだろうか。自分から顔を近づける?
いや待て、俺は何を考えているのだ和穂は単なる護衛対象であって恋愛感情など持っては
いないとどうして俺は恋愛なんて言葉を連想したんだと考える間も和穂の顔は近づいてき
てまもなく二人の唇が重なってそれを接吻ということは俺の知識にもあるがどうしてこん
な知識を持っているのかといえばあの龍華の馬鹿仙人が刷り込んだに違いないもっと他の
知識はなかったのかこんちきめ。
 どちらかの身体がぴくりと動けば唇は接して、そこまで近づくと、和穂の腕にもこれま
でにも力が込められた。ぎしぎしと殷雷の肋骨が悲鳴を上げる。
「うぎゃああああっ!」
 殷雷の悲鳴が宿に響き渡り、海老ぞりにのけぞった殷雷はそのまま気を失った。



 次に意識が冷めたときには、心配そうに見つめる和穂の瞳が自分の目の前にあると殷雷
は悟った。「大丈夫なの殷雷?」
 伸びてきた手をきつく掴んで、殷雷は陰険に目を吊り上げる。
「やかましい、和穂があんな馬鹿力を出せるものか! さっさと白状してくれよ塁摩」
 渾身の力を込めて和穂の腕を握りしめる。
「いた、痛いやめてよ殷雷ぃ」
 痛いも何も、これが本当の和穂ならとっくに腕の骨までずたずたに擦り切れている力を
殷雷は出していた。つまり、それが証拠だった。
「話すから、わけを話すからぁー」
 殷雷は力を緩めた。油断無く和穂(偽物)の動きを監視しつつ話を促す。和穂(偽物)
は断縁獄を逆さに振る。すると、いつもの姿の和穂が姿を見せた。一つの部屋に和穂が二
人。
「あれ、私がもう一人いる。こんにちわ、私」
「寝てやがるな、こいつ……」
「と、ともかく和穂、断縁獄を貸してよ」
「はれ、私が和穂ならあなたも和穂。ではこの場合の和穂とは?」
 がんっ! 殷雷が和穂(本物)の頭を叩いた音だ。和穂(偽物)は断縁獄を手にして、
叫ぶ。
「流麗さん、ばれちゃった」
 ぶおんっと一陣の風と共に流麗が姿を現した。いつもと違う点として、その冷ややかな
美貌が仮面で隠されている。
「取りあえず、元の姿に戻してくれない?」
 和穂(偽物)が塁摩の姿に戻る。流麗が仮面を取り払ったせいだ。
「皮面杯は破壊したはずだぞ。どうして機能しているんだ!」
「……甘い。皮面杯の設計には私も一枚噛んでいたの。だから、修復するのは簡単」
「くそ、どうでもいいことにばっかに手を出しやがるな。それより、どうしてこんなこと
をしたんだ?」
「……あら、分からないの? あなたと和穂の仲を進展させるために人肌脱いであげよう
、と思っただけ」
「とか何とか言って、断縁獄の暮らしに飽きただけじゃないんですか?」
「…………あら和穂、私が綜現との熱々の蜜月に不満を持つわけないじゃない」
「私、昨日も綜現と遊んだけど?」
 汗の一つも見えないが、流麗が困惑していることがその場の誰にも分かった。
「くそ、どうして俺は分からなかったんだ!」
「……ちょっとした工夫。断縁獄と同じ形の瓢箪に和穂を封じ込めて眠ってもらっただけ。
気配は和穂の姿をしたものと同じ場所にあるからそう簡単には分からない」
 龍華の助手をしていただけあって、簡単な宝貝ならすぐに作ることのできる流麗であっ
た。
「はあ。分かりましたから、皆さん断縁獄に戻ってください」
 呆れた顔で和穂が言った。



「……どこが悪かったのかしらね」
「それ本気で言っているのだったら、流石の私も怒るよ」
「だから僕はやめようって言ったじゃないか」
「クケケケケケ」
「ああ、これで殷雷を厄介払い出来ると思ったのに……」
「ちょっと流麗。結局私の出番無かったじゃない!」
 そして、今日も断縁獄は賑やかだった。
「ねえ、誰か忘れている気がしない?」
「そう言われるとそうだね。誰だったかなあ」
 棚の片隅に飾られている、今回の作戦で使われた瓢箪。もう宝貝としては使われること
なく、水を蓄えておくものとして使われることだろう。もしくは部屋の飾り付けとしてか。
皆の注意が失われた瓢箪の仲で、誰にも聞こえない声が響いていた。
「ちょっとぉ、私の殷雷を和穂とくっつけようだなんて何考えてるのよあんたら! それ
にやるならもっとうまい手があるでしょう。この愛と共に生きる女、深霜に任せてくれる
なら奇想天外な作戦でもって愛を成就させる手だてがあるのよ。
 聞いてる? 聞いてるわよね。ともかく協力してもいいからここから出してよおおっ!」

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