スチャラカもくれんタマスダれ
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狐と踊れ

「ん、お休み」
 質素な寝間着に身を包んだ幼子とは対照的に、見送る女の服装は華美の一言に尽きた。赤色を基調とした派手な装束も、女の凛とした空気に引き締められると却って地味に見えた。女は龍華、仙界にあまた存在する仙人の一人である。
 寝室へ下がる幼子、和穂を見送った龍華は再び筆を取り上げて硯に浸ける。縦横無尽に線が引かれた宝貝の設計図の右半分は白紙だった。未だ構想が練られていないのか、ただ単に筆を休めただけか。その答えはすぐに出た。龍華は迷い無く筆を滑らせる。線が、注釈が、力強い筆遣いで瞬く間に白紙を埋め尽くそうとしていた。
 四半刻と経たずに完成した設計図を見下ろして龍華は満足げに息をはき出した。その刹那、工房の一角の空気が揺らぐ。龍華は微塵も動揺を見せず、虚空より現れた人物に声をかけた。
「護玄よ、いつからのぞき見が趣味になったのだ」
 護玄と呼びかけられた人物もまた、龍華と同じく仙人だった。もっとも、ややもすれば挑発的な雰囲気の龍華と違ってその仙人は穏和な雰囲気を身に帯びていた。いつもにこにこと緩んだ顔は人の緊張感を和らげるだろう。
 護玄はとんでもないと弁明する。
「お前の邪魔にならないようにしたんじゃないか」
 龍華はもっとからかってやろうと思ったが、護玄の顔色がまるで病人のように青白いことに気が付いた。そのことを指摘すると、護玄は苦笑いを見せた。いかなるときも泰然自若とした護玄には珍しい表情だ。
「今日は龍華に頼みがあってな」
「ほう、護玄先生が私に頼みとはね。珍しいこともあるもんだ」
「全くだ。おい龍華、本当のことなのに何故そんなに睨みつける?」
「いつも迷惑かけているんだから、偶には役に立ってくれないとな、とか思ってただろ護玄」
「勿論だ」
と断言する護玄。こいつは余程、余裕がなくなっているんだなと龍華は思い、いや、余裕があろうがなかろうが同じだと思い直した。
「それで、頼みとは?」
 護玄は深刻な表情で切り出した。
「俺の胃を探し出して来てくれ!」
 龍華は深く頷くと、即座に護玄を工房から叩き出した。

「なんだ、冗談じゃなかったのか」
 あっけらかんとした口調で龍華は言った。護玄のこめかみがピクリと動く。まるで悪びれのない態度は龍華をよく知っている護玄でさえ我慢ならないものがあった。
 目の前に困っている自分がいるのに新たに紙を取り出して設計図を書き進めている龍華に更に頭を痛めつつ、護玄は事の次第を話し始めた。
「実は、こいつはとある仙人の仕業なんだ」
 初めて気を惹かれた様子で龍華は護玄に向き直った。片手で設計を進めつつ問いかける。
「ほう? 護玄仙人も腕が落ちたものだ。でなければ、相当腕のある奴の仕業だね」
「恥ずかしながら前者だ。燕寿が言うにはちょっとした悪戯、だと」
 龍華は燕寿の顔を思い浮かべた。護玄と同じ師に学び、護玄を兄と慕う仙人だ。それだけにとどまらず、何故か同門ではない龍華のことまで龍華姉さんと慕っている。しみったれた道士時代、龍華がよく燕寿を誘って遊びに出かけてたからだ。
「折り悪く風邪をひいていてな、全然気づけなかった。薬湯とか言って変な丹を飲まされてな。丹と言ってもすりつぶしてあったんだが」
 決まり悪そうな護玄の話を聞いていて、龍華には一つ腑に落ちないことがあった。何故自分に胃の捜索を頼んでいるか、だ。
「そこまで分かっているなら話は早い。燕寿の尻を蹴っ飛ばして探しに行かせるんだな」
「燕寿なら師父のおとがめを受けて便所掃除の最中だ」
 二人の表に全く同じ苦笑いが浮かぶ。護玄の師匠の洞府はとかく広く、便所の数も百ではきかないのだ。便所掃除とはこの場合、千に達しようというのではないかという全ての場所を掃除することを指す。なんで人様の洞府を掃除するんだ、と師匠に反抗した日々も今となっては懐かしい。
「そいつは燕寿も災難だね」
「災難と言われると俺の立場がなくなるだろ」
 工房に投げ出してあった椅子の一つに座り護玄は話を再開した。
「お前に頼みたいというのはだ、同門の恥を他門に晒したくないというのが一つ。お前は同門じゃないが、龍華の師匠殿の弟子はお前一人。それに、うちの師匠とも仲がよろしくていらっしゃる」
 細かで力強い文字、という矛盾した文字を書き図面に注釈をつけている龍華が自分の話を聞いていることを確認する護玄。
「師匠からは当事者で解決せよ、と言われていることが一つ。燕寿は便所掃除の真っ最中だし、どうやら俺では捕まえられないようだ。何度か試してみたんだが、そのたびに逃げていってしまう」
「逃げる? 自分の胃に逃げられるのか? そいつは滑稽だな」
「人ごとでなければな。磁石の同じ極どうしは決して交わらない、ということだ。そこで」
「私の出番というわけか。でも、私は当事者じゃないぞ」
「そう言わないでくれ。必要な道具は既に作ってあるんだ」
 護玄は懐から白磁の物体を取り出した。紐を付けてぶらさげるように持ちながら使い方を説明する。一通りの説明が終わると、
「わかった。だが、私は見ての通り宝貝の設計で手一杯だ」
 そんなことは龍華の作業をずっと眺めていた護玄にも分かっていた。一体何を言い出すのかと思うと、なくなったはずの胃の部分できりきり痛むのを感じた。
「私は忙しいから、代わりに和穂にやらせてもいいか?」
 護玄の心配を余所に、龍華は弟子に仕事を押しつけた。和穂が道士として決して平凡ではないことも、依頼に危険がないことも知っている護玄は、それでも躊躇する。
「しかしなあ、龍華。和穂はまだ」
「六歳ともなれば人間界では立派な働き手だ。それとも護玄、人様の教育方針に口を挟むつもりか?」
 ぐっ、と護玄は言葉に詰まった。他の仙人への介入行為は懲罰の対象となる。
 危険なことは何もないはずだと自分に言い聞かせ、龍華に和穂の身の安全を確保するよう口を酸っぱくして言い聞かせた後に、ようやく護玄は九遙山を後にした。



 翌朝。和穂はいつも通りの時間に起きて、顔を洗った。鼻歌を歌いながら植物に水をやる和穂。葉に乗った雫に映っている和穂の額に蝶がとまった。
 雑用をすませた和穂は龍華に挨拶しに工房へ向かった。工房の扉を開けると、鋭い龍華の瞳が和穂に向けられた。いつもと違う師の様子に和穂は緊張する。
「おはようございます」
 師匠の雰囲気に気圧されて和穂はぎこちない。
「そうしゃちほこ張るな」
 弟子の動揺を解きほぐすための口調の中に、当然そうすべきだという意志を込めていることを和穂は読み取った。ふと、龍華はにやりと笑った。
「和穂、こんな狭っ苦しい洞窟に閉じこめられてさぞ退屈だったろう」
「狭いだなんて、そんな」
 和穂の反論は事実だった。龍華が洞府、九遙洞は他の仙人とそれと同じく内部がねじ曲げられ、本来あり得ない広大な空間を使用者に提供している。
「そうか? わたしが弟子時代のときは、「こんちくしょう、こんな狭い場所に押し込めやがって、人をなんだと思ってやがんだ」と思ったもんだぞ」
 和穂の笑みがこわばった。龍華は言わなかったが、ただ思っただけでなく、不満を師匠にぶつけて襲いかかったと知ったら、和穂の笑いも凍りつくだろう。
 龍華は前髪をいじくりつつ、
「修業時代のことはまた今度にでも話すとして、本題に入ろう。和穂、お前に捜し物をしてほしいんだ。ついでに仙草の在処も教えるから覚えてこい」
 龍華は机の上を漁って白磁の物体を取り出した。昨夜、護玄に渡された宝貝だ。無造作に和穂に放り投げて説明を続ける。
「そいつの真ん中が現在位置を表している。針が指している方が北だ。和穂、その場で一回りしてみろ」
 龍華は宝貝がきちんと機能していることを和穂に試させる。結果は良好だった。
「では次だ。和穂、赤い光点が見えるか?」
「はい。あの、右下にある数字は何でしょう?」
「そいつが目標までの距離を表している。五〇なら目標まで五〇里ということだ。ここまでで分からないことは?」
「いえ、ありません」
 和穂は龍華の目を見てはっきり答えた。
「二つある緑の光点は仙草の在処だ。他にも草が自生している場所はあるが、取りあえずはそこで必要なものは揃う。説明は以上だ」
 伝え終えると龍華は大口を開けて欠伸をした。腑に落ちない点が一つあり、和穂は尋ねる。
「あの師匠、それで私は何を捜せばいいんでしょうか」



「気にしないでもよいのですよ、和穂様。龍華様は面白がって口にしないだけなのですから」
「うん、四海獄が言うならそうなんだろうね」
 和穂のお目付役として同行する四海獄は和穂の腰からぶら下がっている瓢箪だ。音声を発する機能はなくとも、多くの宝貝がそうであるように使用者と心を通わせられる機能を持っていた。
 あれだけ教えてくれとせがんでも、自分が何を捜さなくてはならないのか教えてくれなかったので、和穂は何を捜すべきなのか気になってしかたなかった。
「そろそろ最初の群生地ですよ」
「えっ、もう?」
 自信では気づいていないが、久しぶりに九遙洞の外に出られるとあって和穂の気分は高揚していた。このことを予見して和穂に同行させたのだなと、四海獄は知る。
 群生地では一人の女が仙草つみの真っ最中だった。女は脇目もふらず草をつんでいた。次々と籠が草で埋められてゆく。その速度はとても早く、手当たり次第に籠の中に詰め込んでいるような気さえする。やがて草で一杯になった籠を満足そうに見やると、女は初めて和穂に気づいたように挨拶した。
「おはよう、いい天気ね」
「そうですね、風も優しくて良い気持ちです」
「そうね、ってあれ? その瓢箪、もしかして四海獄じゃない」
 和穂の腰を指さしつつ女は言った。
「お久しぶりです、燕寿様」
「相変わらず姉さんが作ったとは思えない礼儀正しさね。その性格少し直した方がいいんじゃないかしら」
「そう申されましても」
 性格を直すべきは龍華ではないのかとこっそりと四海獄は思ったが勿論口には出さない。
 燕寿はしげしげと珍しそうに和穂を眺めた。
「ところで、このお嬢さんは誰なの。どこかで見た覚えがあるんだけど、思い出せないのよね」
「初めまして――じゃないですね。和穂です」
「え? 和穂というと、龍華姉さんとこの?」
「はい、そうです」
 燕寿はなお信じられないと言った感じで更に質問した。
「和穂というと、龍華姉さんと護玄兄さんの子供の和穂?」
「違います、私は師匠の子供でも、護玄さんの子供でもありません」
 とても引きつった笑顔で和穂は答えた。
 呆れた調子で四海獄がたしなめる。
「まだそんなことを言っているのですか、燕寿様」
「だって、お似合いの二人だと思うでしょう?」
 なおも果てなく脱線した話もようやく収束を見せる。
「へえー。これがあの和穂ねえ。少し前まで手のひらに載るくらいちっちゃかったのに、もうこんなに成長したのか。赤ん坊って凄いねえ」
 事実を和穂が説明する間を与えず燕寿は次の話題へと移る。勢いに押されるようにして和穂は自分の用事から何まで全て話すこととなった。

「なるほど。そいつは大変だ。この燕寿様がついていってあげましょう!」
と和穂の話を聞いてから、高らかに燕寿は宣言した。この言葉に和穂は少し慌てた。
「駄目ですよ、私だけの力でやらないと師匠に怒られてしまいます」
「龍華姉様はそんな堅い考えしてないって。私は口出ししなければいいわけでしょ。和穂からの質問は何も答えない。私からも和穂に助言はしない」
 それでも渋る和穂に畳みかけるように、
「言っておくけど、仙界と言ったって人間界の連中が思っているような楽園じゃないんだからね。毒蛇もいれば、人間に襲いかかる肉食動物だっている。和穂と四海獄で対処できるかしら。出来ないよね。私がついていった方が安全だよ」
 こうして有耶無耶の内に燕寿が和穂の一向に加わった。



「ただいま帰りました」
 帰ってきた和穂に返事をしようと設計図から顔を離した龍華は見たくない人物を認めた。屈託無く、姉様ー、やっほー、と手を振りながら近寄ってくる少壮の仙人。見間違いであって欲しいと思い、瞼を閉じて、また開く。どこからどう見ても燕寿だった。
 燕寿から顔をそらせた龍華は和穂に尋ねる。
「首尾はどうだ?」
「ちゃんと捕まえてきました。四海獄に入っています」
「護玄様の胃に相違ありません」
 うるわくまとわりついてくる燕寿に四海獄を投げつけて龍華は言った。
「そいつをやるから護玄に届けてこい」
 ふくれっ面で燕寿は抗議した。
「いつも思っていたんですけど、龍華姉さんは礼儀がなってませんよね。客人に対してお茶の一杯も出さないんですか?」
 慌てて茶を汲みに行く和穂の背に向けて、龍華は注文を付ける。
「一番安い葉でいいからな」
「姉さんー!?」
 なかば冗談、なかば本気の龍華の言葉を本気と受け取って燕寿も台所へ消えていった。やれやれ、暫く設計を出来るゆとりが出来そうにないなと、龍華は筆を置いた。精度が必要な計算のため、なるべく単純な式に直しておきたかったのだが仕方ない。
 暫くして、和穂が盆を持って工房に戻ってきた。盆に乗った湯飲みは三つ。机に置くが早いか、燕寿が湯飲みの一つを手に取った。
「はい、師匠」
と龍華に湯飲みを手渡した和穂は、龍華が口をつけたのを確かめてから自分の湯飲みに口をつけた。
 龍華は茶の中に微かな違和感を感じた。うちの茶はこんな味をしていただろうか。とはいえ、何しろ何年も前の茶葉なので自信がない。
 そもそもことのはじまりはだ。龍華は思い出した、燕寿が護玄に薬を盛ったのが原因だと。
「和穂、飲むな!」
 龍華の声が引き金になったか、和穂の太めの眉がお茶の水面にぽちゃりと落ちた。

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