スチャラカもくれんタマスダれ
※ボタンの上にマウスを置くと説明が出ます

 どんどんどんどんと、厚い木の板を叩く音が聞こえた。だが、眠りの海に沈んだ意識のことであり、夢か現か、さだかではない 。聞こえるのは、カッチコッチと時計の針が振れる音だけだ。
 時計の規則正しい音はどこか穏やかだ。今日の用事はないのだから、もう少し寝ていたい。けれども、だんだんと先ほどの音が気になって仕方なくなった。
 そのまま寝ているべきだったと、後になって護玄は後悔したのだが後の祭りだった。
 
 
 
 目を覚ますと、見覚えのない天井が目に映った。それに、やけに背中が痛い。なぜかと思えば、椅子を並べた上に寝転んでいた。寝所ではないことに戸惑ったが、前日の忘年会から帰った際に、玄関から一番近いここに倒れ込んだのだと、すぐに思い出した。
 部屋に埃が溜まっていたからなのか、喉が渇く。
 台所へ行って水を飲もうと腰を浮かせたところに、どんどんどどんと、扉を叩く音が聞こえてきた。夢うつつに聞いた音は、どうやらこれらしい。
 玄関から聞こえるそれは、来客のしらせだった。
「やあ、護玄」
 金の刺繍の入った赤い道服と、金銀を散りばめた簪を身につけた、仙人らしからぬ女仙人が扉の向こうに待っていた。長年の友人であり、ことあるごとに護玄のもとへ厄介事を持ち込む龍華仙人だ。
 一見おだやかに微笑む知り合いの顔を見た瞬間、目の前が白くなった。龍華が機嫌良さそうに自分を訪ねてくるときは、厄介事が持ち上がった時なのだと、これまでの経験から護玄は知っていた。
「今度は何をしでかした」
 頭の中で、今日の日付を確認する。一月一日、元旦。年始からついてないと護玄は心中で嘆息する。
 護玄の胸の内を知らない龍華は、あくまで威勢がよい。
「しでかした、とは新年からご挨拶だな。年始の挨拶に来た友人にそれはないだろう。なあ和穂」
 護玄からは龍華に遮られて見えないが、苦笑いの気配が伝わってきた。
 和穂は、数年前に龍華に弟子入りした道士である。素直に話しを切り出したらどうですかとは、弟子からは言いづらいだろうと察し、
「儀礼や修辞、龍華らしくもない。さっさと要件を切り出せよ」
 護玄がそういうならと、龍華は勿体付けながらも龍華は話し始めた。
 まず、龍華は瓢箪から一枚の手紙を取り出すと、護玄に手渡した。
「年賀はがきだな。仙術がしかけられているでもない、普通の年賀はがきだ」
 赤い文字で紙面の下部に数字の羅列が記載されている手紙は、仙界の正月ではお馴染みだ。数字の羅列は、神農が気まぐれに選んだ数字と全桁が一致すれば一等賞、下一桁が一致すれば八等となる。
 去年の八等は神農様の爪の垢、今年の第一等は神農様の写真集と、毎回神農様がらみの品が入っていて、誰がこんな企画を通したのかが、そもそも誰がこんな企画を出したのか、仙界七不思議の一つに入っていたりもする。
「護玄のところにも、私から年賀状を送っていると思うのだが、よかったら取ってきてくれないか」
「そこの郵便受けにあるから勝手に探してくれ」
「わかった」
 龍華は郵便受けに入っていた手紙の束の半分を和穂に渡すと、その場で手紙をめくり始めた。
「一応断っておくが、当選したはがきを探しているわけではないからな」
 
 ペラペラと紙をめくる音にもなれた頃、見つけました、という和穂の歓声が上がった。
 龍華は和穂が差し出した一枚の年賀状を睨むようにして眺めている。やがて、難しい顔をして唸りだした。
「これは製作途中の欠陥品だな。護玄でもないとすると、誰に送ったというのだ?」
「おかしいですね。去年、師匠が年賀状を頂いた方は護玄さんでおしまいです」
「ならば、一昨年の一覧が必要だな」
 漏れ聞こえてくる話から事件を組み立てると、龍華が送った年賀状に何かの問題があるらしい。
 年賀状を再び一つにまとめると、ご協力感謝すると龍華は立ち去ろうとした。その裾をつかんで護玄は言った。
「おい龍華、俺にも分かるように説明してくれ」
 頼まれもしないのに厄介事に首をつっこむ性格は、護玄の長所でもあり短所でもあった。
 
 
 
 ただの青空すらもが、こんなにも愛おしい。気まぐれに体を打ち付ける風は底抜けに心地よい。あまりにも愉快な気分のため、笑いが止められない。
「ふあはははっっ」
 龍華の罠にかかって一年強、久しぶりの自由だった。
 それにつけても、と剣仙は思った。自分はなんて運がよいのだろう。ちびった鉛筆一本持ち込めないはずの牢屋、その天井にある排気口から筆が一本、落ちてきたのだ。
 用を足すときに使っていた紙にちょちょいと文字を書き加えるだけであっさり脱獄できたときには、脱獄の手段を必死に考えていたそれまでの自分が悲しく思えたほどだ。
 僥倖から自由を得た、今の剣仙の目的は二つ。
 己をたばかった龍華と和穂に対する復讐と、追っ手からの逃亡だ。
 討伐人が出されてからでは、龍華に近づくことすら難しくなる。
「おや、あれは……」
 九遙山へ急ぐ途中、知り合いの人物の顔を認めた剣仙は岩陰に身を潜めた。
 
 
 
「なんてことはない、確率操作系の宝貝だ。手紙を受け取った人間の願いを、一年だけ叶えてくれるが、有効期間が長いだけに効き目は小さい。洒落で年賀はがきそっくりに作ってみたら、年賀はがきと間違えて使ってしまった」
 はっはっはっと、愉快そうに龍華は笑った。
 百年単位の付き合いがある相手にもかかわらず、護玄にはどこに笑いどころがあるのかが分からない。
「はっはっはっ、じゃない。どうして、わざわざ取り違えやすいように作ったんだ。一目で分かるような目印を付ける、とかあるだろ?」
「おかしなことを言うな。目立ってわかるような印を付けてしまったら、普通のはがきとして使えないじゃないか」
 龍華の言うことにも一理あると納得しかけて、いやいやと思い直す。製作者ですら誤用する設計は、間違っていると言うほかない。
「それでも龍華が見たら分かるような特徴があるんだろ」
「勿論だ。私に抜かりはない」
 今の状況を生み出した人間がそう言うか、という自分の心中が表に出てしまったのか、何か言いたいことがあるのかと龍華は護玄を問いつめる。
 二人の仙人の衝突をかぎとった和穂が二人の間に割ってはいった。
「おもて面の左下に、青い印鑑で龍華と押しているそうです。それが目印になるからと、今年の年賀状をお出しした方をひとりひとり訪ねてきたのですが……」
 最後に訪れた護玄のもとにもなかったと。
 そういえばと、護玄は先ほどの和穂の言葉を思い出した。龍華が去年年賀状をもらった人を訪ねているとか何とか。ちょっと待て。
 年賀状は去年一年間の友誼を感謝するものであって、去年の年賀状のお返しに出す物では、本来ない。
「栓段仙人と宇及仙人には出したんだよな」
 二人とも、去年龍華が迷惑をかけた仙人である。にもかかわらず、龍華は言下に否定した。
「まさかとは思うが、去年の年賀状を受け取った仙人にしか出していないのではあるまいな」
「とんでもない。去年、年賀状を出してくれた道士にも出しているさ」
 
 
 
 他人の手を煩わせるまでもないと辞退する龍華を説き伏せた護玄は、龍華と手分けして知り合いの洞府を片っ端から訪ねる。
 時候の挨拶を交わしている間はおだやかな顔をしていた相手が、龍華の名を出すと同時に苦虫を噛みつぶしたような顔に変わる。行く先々で見せつけられた光景は、龍華による被害を未然に防いできた、という自尊心を打ち砕くには十分だった。
 (俺もまだまだ修行が足りない)
 反省しきりの護玄を遠くから呼ぶ声がする。
 常にない、取り乱した表情で和穂が叫ぶ。
「護玄さん、大変です。剣仙が脱獄しました! ――んですけど、驚かないんですか」
「驚いてないってわけじゃないんだが」
 むしろ、腑に落ちたと言うべきだった。来るべきものが来た、というか。
「年賀状の送り先は剣仙で決まりだな。龍華はどう言っていた」
「師匠は、剣仙に送った覚えはないのだがなあ、とおっしゃっていました」
 誰にも送った覚えのない年賀状を送ってしまった時点で、龍華の言葉に信憑性はない。
「まずは龍華と合流するか」
 護玄は和穂を先導して龍華のもとへ向かう。
 続いて跳ぶ和穂の右手には、いつの間にか一降りの剣が握られていた。
 幾度かの跳躍を繰り返した後、両者の距離は零となる。和穂が振りかぶった剣は、護玄の首筋を狙っていた。
 
 
 
 例年、正月の観測室は、くじ引きで負けた三人による麻雀会場となっているのが通例だった。ところが今年はというと、休日にかり出された仙人でごった返している。
 局長の機嫌はすこぶる悪い。剣仙の脱走に気づくのが遅かったことを上司に責められたからだ。
 何しろ理由がよくなかった。宿直の三人が徹夜の飲み会で酔っぱらっていたから、では言い訳にもなりゃしない。
 局長、と呼びかける部下の声。気持ちを切り替えて局長は面を上げた。
「筆の入手経路が判明しました。局洋洞の道士が行った物質転移の術が暴発した結果です。」
「ちょっと待て。物質転移は高等仙術じゃなかったか?」
 高等仙術は、難易度が高く道士が使用すると生命に危険をもたらす術など、仙人になって初めて教えられる術だ。従って、道士が使えるはずがない。
「その通りです。問題の道士は師匠の書庫を盗み読みし、独自に理論を組み上げたようです」
 勉強熱心だな弟子だ。おかげで我々が苦労しているわけだが、と二人で苦笑する。
「その道士の師匠には罰が必要だな。書類を書いてくれるか」
「申し訳ありません。ただ今、捜査で手一杯でして」
「分かった。俺がなんとかしておく。それで、局洋洞が邪仙の逃亡を手助けした、という線は洗ったのか?」
「道士と師匠、双方と面を向かって話をしましたが、不審な挙動は見あたりませんでした。彼らが過去に邪仙と関わった形跡もありません」
「完全な偶発事故か」
 そのようですと部下も同意する。
 また一つ手がかりが潰されたと、局長はこっそりと溜息をついた。
 
 
 
 先頭を走る護玄に気づかれぬよう剣を取り出し、和穂に化けた剣仙はほくそ笑んだ。一度ならず二度も私に騙されるとは、護玄という仙人をかいかぶっていたらしい。
 護玄の首筋に吸い込まれるように必殺の剣が走る。
 自身の勝利を確信した剣仙。だが、あとわずかというところで護玄は空中を蹴って跳躍。剣は空を切り、両者の距離はおよそ二十歩の距離まで遠のいた。
 背後の気配を伺っていなければ、およそ無理な挙動だった。
「いつ、私が和穂でないことに気づいた」
 剣仙は護玄に話しかける。
「もし剣仙が脱獄したのなら、龍華と和穂を狙う。龍華だって分かっているから、和穂一人を使いに出すはずがない」
「気づいていながら黙っていたとは護玄仙人も人が悪い。察するに、気づかなかったふりをしたのは龍華と合流するためだな」
「そうだ」
「私が気づいていない間に、龍華に私の居場所を伝えたりもしたのかな?」
「だとしたら、どうする?」
 首の裏に当てた手は僅かに血で染まっていた。離脱が遅れていたら首を飛ばされていたと思うと肝が冷える。
 この場は退いてくれと護玄は願った。
 対する剣仙は、引き絞られた弓のように、体をくの字に折り曲げた。爛々と戦いへの情熱で燃えている瞳が、剣仙の答えを雄弁に語っている。
 護玄は道服の裾から獲物を取り出した。八尺を超える黄土色の錫杖だ。先端に付けられた金属の輪に重なるようにして炎が燃えている。
 こけおどしか、暗示に用いるのか。剣仙は錫杖に関して詮索しようとする思考を切り捨てる。
 我が名は剣仙。いかなる相手、いかなる宝貝が敵であれ、目前の相手を切り捨てるのみだ。
 
 剣仙は名に違わぬ使い手だった。
 二十手で道服の裾が切り裂かれ、三十手で傷を負う。やがて五十手を数える頃には、護玄の五体で無事な箇所はなくなっていた。
 六十手。腹部の右側に人差し指ほどの深さの傷が増えた。
 時間稼ぎのつもりだったが、龍華が到着する前に首をはねられそうだ。
 奥の手を出すしかない。
 護玄の意志に従い、錫杖の輪が外れる。剣仙の視界からは見えない位置だ。外れた輪は高速で回転し、剣仙を切り刻もうと飛翔する。
 左より三つ、右に三つ。合計六個の戦輪が剣仙を襲う。剣仙は気づかず、護玄の顔を狙った一閃を放つ。きぃぃんと、錫杖と剣がぶつかり合う音ではない、異質な音に剣仙は気づいた。だが、剣を戻したところでもう間に合わない。
 勝ちを確信した護玄の目の前で、剣仙は、体が爆ぜるかのような勢いで上下左右の戦輪を撃ち落とした。
 護玄は以前にも、同じ光景を見たことがある。
 (神速七手?)
 宝貝に注入した神気を爆発させ、神速の勢いを得る龍華の技だ。
 続く七手目が護玄の右手を斬り飛ばした。
「龍華と戦うときに、と思っていたとっておきを!」
 悔しがる剣仙の額に汗が浮かんでいた。僅かに疲労の影が見える。だが、両手で構えた剣の輝きは変わらないように見えた。
 護玄の疑問を読み取ったかのように剣仙は答える。
「龍華は宝貝の神気を使うようだが、私は自分の神気を遣っている。宝貝は七度が限界でも、仙人ならばもっといくさ。もっとも、十手目までしか試してないが」
 とどめを刺そうと剣仙は一歩踏み込んだ。否。踏み込もうとしたが、足が動かない。
 剣仙は驚愕した。護玄に小細工を弄する時間を分け与えるほど、甘い攻めではなかったはずだ。。
 護玄は錫杖で地面を指し示した。そこには、印を結んだ護玄の影があった。影の隣には、別の印を結んだ影がある。おそらくは万を超えているであろう、無数の影が地面に描かれていた。
 剣仙は不意に、護玄が持つ錫杖の先端が炎を纏っていたことを思い出した。刻まれる時ごとに作り出される影の全てを、錫杖が操っていたのか。
 
 
 
 局長に名前を呼びかけられて、しょうがなく孫歳は顔を上げた。
「弟子の管理不行き届きの件で、局洋洞の師匠宛てに発行する書面の記載を頼む」
 罪を犯した仙人に対して懲罰を求める定型文書だった。
 懲罰と言っても、邪仙を滅ぼせといった物騒なものではなく、せいぜいが仙界の図書館の資料整理を手伝うとか、観測所の門番の仕事を一日勤めるとの無償奉仕がほとんどだ。
 手間だけかかると局員からは不評の書類だが、孫歳は何も言わずに受け取った。
 いつもなら何かと文句を言ってくるのにと、普段と様子が違うと局長は首をかしげる。
 今日に限っては、孫歳は不満があって下を向いているのではなかった。こみ上げる笑いを他人に見られないようにとうつむいていたのだ。
 理由はどうあれ、邪仙の逃亡を許してしまったのだ。局長の評価が下がらないはずがない。これが笑わずにいられようか。
 今年こそは局長を蹴落として、自分がその椅子に座るのだと、改めて誓った孫歳だった。

[index]