スチャラカもくれんタマスダれ
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 春も終わろうかというこの季節、夏も近づいて新緑が今にも芽吹きそうな木々が右にも
左にも水平線で見えなくなるまで続いている長い、長い道。そこを長い外套を羽織った四
人組が、横並びで道を塞ぐように歩いていた。左端の男がもどかしそうな声を発してぼや
く。
「全く、何だって刀の宝貝が手紙を届ける程度の用事に駆り出されねばならんのだ」
右端の女が、不満そうな男を宥めにかかる。
「まあまあ。きっと龍華にとってよっぽど大切な手紙じゃないかな何と言っても、刀の宝
貝を四人も駆り出す位なんだから」
「龍華だったらやりかねないわよ。刀三振りも使ってお遣いをね」
「あの〜、なんか一人少ないような気がしたんだけど、省かれた一人って僕なのかな、深
霜?」
「当然だろ、この間抜け」
 これぽっちの情けもなく断言した左端を歩く男の言葉に、すぐ横を歩く女がうんうん、
と首を縦に振って同意する。目に見えてしょんぼりとした背の高い男はこの四人の中で最
も背が高いのだが、威厳や圧倒感というもの微塵も感じられない。目に見えてしょぼんと
した左端を歩く女が宥めようと明るい口調で話しかけた。
 
 彼ら彼女たちは皆が宝貝―仙人の作り出した神秘の道具―である。まあここ仙界におい
ては、宝貝は珍しくもない。だが、四人ともが刀の宝貝である、といったことは特筆とは
言わないまでも注目に値するだろう。
 彼ら彼女たちの名前は左から、黒の外套を羽織り、鷹の眼光を持つ男、殷雷刀。背中に
鳳凰の刺繍を飾り付けた赤い外套を羽織る女、深霜刀。藍色の外套に、本人とは似つかな
い雄牛の刺繍を持つ男、静嵐刀。背中に孔雀の刺繍を縫いつけた緑の外套を羽織る女、恵
潤刀。



 久方ぶりに封印宝貝から解放された4人に、龍華はこう言ったものだ。
「早速だが、この手紙を護玄に渡してもらおうか」
 お使いと聞いて、刀たちは開放感に酔いしれていた表情を一変させた。一番血の気の多
い深霜が龍華にくってかかる。
「何よそれ! 折角私の力を存分に振るえると思ったのに!」
「それくらい自分で仙術を駆使して届けた方が早いだろうが」
 深霜に続いて殷雷も不平をぶちまける。恵潤はまあどうでもいいけどね、と傍観する。
静嵐は殷雷を宥めようとして逆に拳をお見舞いされて床に倒れ込んだ。
「私が自分で届ける暇があるならそうするさ。だが、今は和穂の世話で精一杯でな」
 龍華の言葉を証明するかのように、隣室から「おぎゃあああっ!」と赤子の泣き声が届
いてきた。うっと、言葉につまる殷雷。彼の泣き所のつぼに入ったらしい。
 ばたばたと手に持っていた工具類を適当に放り投げると、龍華は工房を慌てて飛び出し
ていった。
「和穂のお守りは任せたはずだぞ理渦!」
「どうかお許しを。いくら龍華さまの仰せでも出来ることと出来ないことがございます!」

 隣室から響いてくる赤子の泣き声よりも大きい何かを殴りつける音から意識を戻すと、
4人の目の前には机の上に置かれた一封の手紙。
「どうするよ……」
 顔を見合わせてぼやく4人。とてもこんな子供のお使いはやってられないが、かといっ
てこのまま封印宝貝に押し戻されるのもしゃくである。刀の矜持と自らの欠陥という要素
も加わった殷雷の悩みはいかばかりか。
「やっぱやめない?」
 簡潔に深霜が意見を述べる。すると、どこからか控えめな微笑が辺りを包む。完全に混
乱して――戦いを生業とする武器の宝貝が気配を察知できなかったのだ――必死に探索範
囲を広げる4人をあざ笑うかのように工房に突如、一つの気配が出現する。
「流麗。こういった登場はやめてくれないかな」
「……あら、察知出来ない方が悪いでしょう?」
 武器の宝貝から気配を隠せるか、普通。4人は思わず口から飛び出しそうになった言葉
を抑える。それを言ったが最後、流麗のおもちゃになると身に浸みて分かっていたからだ。
「……それで、やめるのかしら」
 一瞬、何のことだか分からない。手紙のことだろう、と4人は当てをつける。
「当然でしょ。刀の宝貝としてこんな侮辱はないわ!」
「……はあ」
 流麗はわざとらしく大きなため息をついた。いつものごとくそのため息に感情は籠もっ
ていない。「何がそんなに不満なんだよ」
「……手紙を送ることさえ出来ない刀の宝貝。まあ封印されても当然よね」
 流麗の侮蔑の言葉に、刀たちの表情は一様に硬化した。
「へへ。へへへ。それで俺たちがそんなことはない! と雁首揃えて手紙を護玄に渡しに
いくと思ってるのか?」
 流麗の雰囲気に呑まれてはいても、殷雷の判断力には翳りの一つもない。
「……まさかそこまで単純だとは思ってないわ。ただ、これから龍華が作り出す宝貝全部
にお使いもできない無能な宝貝がいたと伝えるだけ」



「本当に、どうして俺はここにいるんだろうな……」
「仕方ないじゃない殷雷、あの流麗ならやりかねないんだから」
 心の中では深霜に賛成しながらも、どこか納得できない殷雷。しかし深霜が啖呵を切っ
てしまった以上、殷雷としても前に進むしか道は残されていなかった。
 一行は林を抜けると、広大な草原にたどり着いた。季節が進めばそこはススキ野と呼ば
れるようになるであろう。しかし今は青々とした緑に覆われていた。
「そういや、手紙は誰が持っているんだ?」
 静嵐が挙手して所持を表すと途端に殷雷と深霜の二人が眉根を寄せて騒ぎ出した。
「ちょっと、誰よ静嵐なんかに持たせたのは。どっかで手紙を落っことすに決まってるじ
ゃない!」
「オイ静嵐、早く手紙を持っているか確認しやがれ!」
 慌ててぱたぱたと静嵐が身の周りで探し始めたが、なかなか手紙は出てこない。そんな
静嵐を見てため息を吐きながら、横から恵潤が助け船を出す。
「帯の所に挟んでおいたでしょ。万が一にも落とさないように、って」
 ゴソゴソと外套の内側を探り、ようやく見つけた手紙を誇らしそうに天高く掲げる静嵐。
落とさなくとも、覚えていなければ意味がないのではなかろうか。
「あ、あった!」
 大げさに喜ぶ静嵐の脳天に殷雷の振り下ろした拳が突き刺さり、結果位置を大きく下げ
たこめかみ目掛けて深霜の拳がうなる!
 一応は武器の宝貝である静嵐。ふらふらになりながらも、流石に気絶はしない。それに
先程の二人の攻撃はそれでも手加減されたものだった。
 ふらっとした際に静嵐が落としてしまった手紙を恵潤が拾い、しっかりと静嵐の手に握
らせた。ついでに二人への注意も忘れない。
「ちょっと二人ともやりすぎよ。ここまでしなくてもいいじゃない」
「むう……」
 何だかんだ言っても根は素直な二人のこと、やりすぎを指摘されるとすぐに大人しくな
った。
 殷雷と深霜が静嵐を苛め、落ち込む静嵐を恵潤が慰め、二人に注意する。こんなやり取
りもいつもの事だった。



 道なりに歩いてゆくと、道の横で一人の老婆がうずくまって草に埋もれていた。手足は
震え、唇からはうわごとが際限なく洩れだし、よくもまあこれで生きているもんだ、とい
う程に痩せている老婆だった。
「あ、お婆さん大丈夫ですか?」
 これが大丈夫ならこの老婆も大した者だが、無論、静嵐の言葉に返事は出来ないようで
、ひーひー唸るだけだった。静嵐は精一杯優しい笑みを浮かべると老婆をその背に背負っ
た。
「済まないのう、ほんに優しい人じゃ」
 その苦しげな呟きと共に老婆の姿はかき消えた。

 背中が急に軽くなったので、静嵐は慌てて後ろを振り向いた。しかし、そこには老婆の
姿は無い。視線を上に、そして横にずらしても老婆の姿は影形もない。もう一度後ろを眺
めてみると、恵潤は頭を抱えて苦悩している格好で、殷雷と深霜のこめかみは揃って血管
が浮き出ていた。
 静嵐は考える。あれ、僕はまた何かしでかしてしまったのかな? いやまて、最初から
整理し直してみよう。龍華の手紙を届ける道中、道ばたでお婆さんが苦しそうにしていた
。だから背負ってあげたのだが、お婆さんは突然消えてしまった。と、いう事はお婆さん
は普通の人間じゃなくて……あ、元々仙人界に普通の人間はいないのか。じゃあお婆さん
の正体は仙人か道士かはたまた狐か?
「……おい静嵐、龍華の手紙はちゃんと持っているか」
「嫌だな殷雷、そんな脅しをかけるような声色で言わなくても。勿論ちゃんと持っている
って。ほら―――あれ!」
 手紙がそこに無いことに気付いて、言い訳を考えつくより先に自然と静嵐の腕は頭をか
ばう位置へと移動していた。慣例ともなっている殷雷と深霜の攻撃を受け止めるためだ。
が、いつまでたっても腕を、そして頭を襲うべき衝撃はやって来なかった。
 それもそのはず、他の三人は脱力して地面にへたり込んでいたのだった。

 脱力したのもほんの短い時間。三人の刀たちは当たりの気配を探る。因みに、残り一人
はおろおろしているだけだ。
 もし老婆が仙人ならば彼ら四人がかりでさえ勝ち目は薄いだろう。しかし、道士あるい
は化け術を修得した獣であるならば勝算は十分にある。程無くして高速で移動する気配を
彼らは見つけだした。 そこか、とばかりに突進する三人。相手も慌てて逃げ出す。両者
の速度はほぼ拮抗していた。
 つかず離れず、四つの気配が草原を駆け抜けてゆく。そのかなり後方を「置いていかな
いでくれよ!」と叫びながら静嵐が追いかける。

 じりじりと追跡者と逃亡者の距離は縮まっていった。両者の差があと二十歩、といった
所まで殷雷たちが接近したそのとき、逃亡者はその真の姿を現した。その姿は虎に良く似
ていた。しかし異常に発達した犬歯が虎以外の生き物であると主張していた。
 とはいえ、これまでの逃走劇で姿を消している余裕が無くなった事には間違いない。な
らばさほど修行を積んだ道士ではないのではないかと、殷雷たちは更に速度を上げて走る。

 虎の瞬発力には恐るべきものがある。だがそれも、獲物を目の前に捉え、それを一気呵
成に屠るまでもの。長時間その速度を維持できるものではない。術の制御を解いたことで
虎と刀たちとの距離は一時は開いたが、みるみるうちに狭まってゆく。ついに虎の力が尽
きる時が近づいてきたのだ。
 虎の方とて必死であった。捕まらぬ為に全身から残り少ない気を集めて術を行使する。
虎が一声吠えると、刀たちの前方の草原がぬかるみと化した。
「なにいっ!」
 刀たちはその芸当に驚くも、一人、二人と難なくぬかるみを抜けていった。
 だが四人目の静嵐は、ぬかるみを飛び越えようとして草に足を絡めてしまい、顔面を泥
の中へ突っ込ませてしまう。顔を上げたその時、前を走っていた三人は立ち止まっていた。
 もしかして僕を待っていてくれたのかなと考えた静嵐だったが、そうではないとすぐに
気づく。静嵐の視界を遮る殷雷たち三人の隙間から、更に向こうにいる虎と、そして灰色
の道服を着た一人の男が視界に入った。

「手紙を返しては頂けませんでしょうか。それは私たちの制作者から託された大事な手紙
なのです」 恵潤が皆を制して口を開いた。すぐに悪ぶってしまう殷雷、物事を深く考え
ない深霜では交渉にならないのだ。
 武器の宝貝たる自分が相手の威圧感に気圧されそうになっている。『一体、こいつは何
者なんだ?』恵潤の首を冷や汗が流れ落ちる。他の三人も一様に緊張の色をはっきりと表
していた。
「ああ、この手紙か。俺の弟子の刀牙虎が迷惑をかけてしまったようだな、ほれ」
 無造作に男は手紙を投げ渡してきた。
「失礼かもしれませんが、今ここで確かめさせてもらっても宜しいでしょうか?」
「なんなりと。好きにするがよい」
 殷雷たちは己を他人より一段も二段も高く置くその男のその態度に、一様に怒りを抱い
た。無礼を正すことは後でも構わない。
 殷雷の目配せに合わせて、恵潤が手紙を開く。その頃には静嵐も追いいており、共に手
紙を覗き込んだ。
 手紙に書かれていたのは、ただ一文字『二』。書状に大きく書き込まれたその一文字に
一同が龍華の真意を疑う前に、文字は『一』へと形を変えた。
 慌てて手紙を放り出す静嵐。その手から離れようかという時に、またもや文字は変形し
た。今度は、『零』。
 瞬間、猛烈な光と炎の渦が四人のいた空間を包み込んだ。爆風に吹き飛ばされた四人に
空高くより声がかけられる。
「はっはっは。俺の名は『虎寂』。龍華の手紙は確かに頂いたぞ。帰って龍華に虎寂に手
紙を奪われたと、そう報告するがよい!」
 勝利宣言の後、虎寂とその弟子の姿はかき消えた。



「仕方ないね。じゃあ帰って龍華に報告しようか」
 従順かつ単純な提案をした静嵐の足を、深霜が思い切り踏んで、そして言った。
「何言ってんのよ! このままおめおめと帰れるわけないでしょ。あの虎寂とかいうやつ
に一泡吹かせるまで帰るわけには行かないわ!」
 強硬な説を力説する深霜に殷雷までもが同意する。冗談じゃないと恵潤は二人の冷静さ
を疑った。「ちょっと待ちなよ二人とも。相手の実力もよく解ってないのに」
「何を言う恵潤! あの符の爆発の威力といい、弟子だという虎の術の未熟さといい、大
した実力であるとは思えん」
 恵潤も殷雷も武器の宝貝。状況の分析能力に大差はない。だから、殷雷が敢えて無視し
た仮定にも気付いていた。
「でも、あの虎は入門したばかりかもしれないし、あの爆発も私たちを抹殺しようとした
ものじゃ無かったと思う。もしかしたら、こうやって私たちの油断を誘うためのものかも
しれない」
「くそ、やはり報告するしかないのか」
 結局、刀四人がかりでも手紙一枚守れなかったのだ。刀の沽券に関わる重要な事件だが
、引き際を知らないようでは武器の宝貝として失格だ。仕方なく、殷雷と深霜も一時撤退
に同意し、九遙山へ引き返すことにしたのだった。

                 *

「虎寂の分際で良い度胸だ。混沌の名にかけてこの龍華が奴に引導を渡してくれる!」
 踵を返して九遙洞へと戻った殷雷たちの報告を黙って聴いていた龍華の発した第一声は
九遙洞全体が震えるかのような怒声だった。
「お、落ち着け龍華。そもそも、虎寂とは何者だ?」
「ああ、奴はな……」



 ある日、龍華は師匠より一人のはぐれ仙人を始末するよう指令を受けた。始末といって
も殺すといった物騒な意味ではなく、仙骨を封印して人間界へ放り出すことを意味してい
た。
「まあ人間界へと送ることは私ではなく五仙の手によって行われるのだがな」
 そしてその始末すべき相手が虎寂であった。かねてより能力が低い、怪しげな実験を繰
り返している、ついこの前も生娘を生贄にしていた、などなど評判の悪さが全土を駆けめ
ぐっていた男だった。 ゆえに、奴も年貢の納め時だなとやる気を出して懲らしめてやり
、いざ仙骨を封じてやろうとしたときだ。

「待つがいい、龍華」
 その声には聞き覚えがあった。五仙の右腕とまで賞賛を受けている柳剛がどうしてここ
にいるのか私には分からなかった。
「実はこちらの手違いでな、始末するのは虎寂ではなく鏡閃という男だ」
「柳剛様が間違われるとは珍しいですね」
 柳剛にしては不機嫌そうな声で、
「私とて時には過ちもある。そして、過ちによる被害を最小限に止めることも私の仕事だ」
「鏡閃ですか。それでそいつの仙洞はどちらにあるのでしょうか」



「そして私は鏡閃が居を構える……」
「龍華様、話がずれてますよ」
「ううむ? ああ虎寂の話だったか。まあそういったことがあったため、あいつは私を憎
んでいるのだろうな」
 龍華の話から、四人でかかれば、勝てる相手だったと知って悔しがる殷雷たち。熟練の
仙人ならばともかく、欠陥宝貝とはいえ未熟な仙人に遅れを喫するほど弱くはない。
「龍華、私たちに虎寂の居場所を教えて頂戴。これから行って手紙を取り返してくるよ」
「いや、私も行こう。紛々たる悪評をばらまいておいて私に逆恨みをしている虎寂の奴に
格の違いというものをハッキリと理解させてやる。ほら、ぼやぼやするんじゃないよ。さ
っさと私に付いてくるんだ!」
「何で私たちまで行かないといけないの? 龍華が出るなら、別に私たちが」
「……怖じ気ついたの?」
 言外に邪道に手を染めた仙人に恐れをなして逃げ出した宝貝がいたと伝えてやるわ、と
いう意志を読みとった殷雷たちは流麗の楽しげな視線に見送られて龍華の後を追っていっ
た。
「龍華様、和穂様の世話はいかがなされるおつもりですか〜」
「任せた!」
「無責任ですよぅ〜」

                    *

 虎寂が居を構える四源洞までは龍華の飛行術で一っ飛び。何事もなく移動してきた。と
ころが、四源洞へ入るなり道が二つに分かれていた。
「よし、ぐーちょで決めよう。三人が右で、二人が左な」
 ぐーを出したのは殷雷と恵潤だった。しかし、この決定に不満を唱えた者が一人。そう
、恋に生きる女・深霜だ。自分が殷雷と一緒になれないだけならまでしも、自分以外の女
性と愛する殷雷との二人組、などといった事態を彼女が許すだろうか。
 深霜は恵潤に強引に交代を迫った。殷雷の反対も虚しく、あっさりと恵潤は身を引いた。
こんな事でいざこざを起こしたくなかったのだ。
「殷雷、二人っきりね。きゃっ」
「何が『きゃっ』だ。ああ邪魔だ引っ付くな!」
 騒々しく二人は右へと進んでいった。その道は蒼く塗られていた。



 更に龍華が先へ進むと、更に道が二本に分かれていた。
「ふん、やっぱりな。虎寂の奴は余程私とサシで勝負がしたいらしい」
「でも、一人では危険じゃないですか?」
「全身これ欠陥、のお前にだけは言われたくないぞ、静嵐。いいからお前ら二人は右に進
め、いいな。どうせ奴は私が一人になるまで道を分岐させるに決まってるからな」
 そこまで言われては反論もなく、静嵐と恵潤は龍華と別行動を取り、二人は赤く塗られ
た道を、龍華は灰色に塗られた道を進んだ。



 一方こちらは殷雷・深霜組である。歩けど歩けど辺りの景観は変わらず、二人は自分た
ちが何かの仙術に捕らわれていると確信するに至っていた。
 が、突然辺りの景色に変化が生じる。鋼鉄の扉が、二人の視界に出現した。所々に設け
られた蝋燭の炎によって、ぼうっと鉄扉は浮かぶように存在している。二人が扉まで十歩
まで近づくと、ぎいっと音を立てて扉はゆっくりと開いた。
「へっ、便利だな」
 軽口をたたく殷雷。その目に扉の奥にいた生物が目に入った。一匹の、虎。
「ほう、ここの主はよっぽど虎が好きなんだな。それとも虎の化生かな?」
「減らず口をたたけるのもこれまでだ。虎寂様の命により、貴様らを破壊する」
「そうかな? 先程逃げ出したお前に俺たちを破壊できるとは思えないぜ」
「先程は師より命じられていたためにすぎぬ!」
 言葉を喋る程度、驚くまでもない。強敵には思えなかったが、二人は油断せずに相手の
出方を窺う。
 虎は四つん這いで近づいてきた。二本足で歩く程度のこと、修行を積めばすぐのはず。
本当に修行が足りないのか、それともこちらの油断を誘っているのか。現時点で判断はつ
かない。それに、まだ遠い。瞬発力では相手が上かもしれないのだ。迂闊に動いては、予
想外の方向から襲われることもあり得る。
「虎寂様より頂いたこの力、とくと味わうがよい!」
 右の犬歯が蒼く光り、一瞬だけ遅れて左の犬歯が赤く光った。
「……やってくれるな。行くぞ、深霜!」
 獰猛な笑みを浮かべる殷雷の右頬に浅い切り傷が付けられていた。虎の術によってぬか
るみと化した大地に二人が足を止めた所に間髪入れず襲ってきたかまいたちによって出来
た傷だ。どうやら、相手は大地だけでなく風を操る事も出来るようだ。



 同時刻。
「我は虎寂様より炎と水を操る術を授けられた。逃げ出すなら今のうちだぞ!」
 恵潤と静嵐もこれまた、一匹の虎と相対していた。
「水と炎ね。でも、生半端な術じゃ私たちに傷さえ付けられないわよ」
 これは本当の話だ。人間の姿を取っていても、宝貝としての性質は残る。宝貝を傷つけ
るには相当の熱量が必要であるし、水で錆びるような宝貝があるはずもない。
「愚かな。生きる延びる最後の機会を自ら棒に振るとは」
「さて、それはどうだろうね。ご主人への言い訳を今から考えておいたらどう?」
 次の瞬間、爆炎と幾筋かの光条が二人へ押し寄せた。恵潤はそれらを余裕を持って躱し
、静嵐もどうにか避けることに成功する。
「……やっぱり口ほどでも無かったみたいね」
「そうでもないぞ。自分の髪を良く見たらどうだ?」
 恵潤の面に驚愕の表情が掠める。確かに躱したはずなのに、一部の毛髪が焼け焦げてい
る。本体を躱してこの温度だというのならば、万が一、直撃を受けては自分たちとてただ
ではすまないだろう。 静嵐は、と見ると彼の外套に幾つかの穴が空いていた。人間形態
の時こそ服として作動するが、その正体は刀を守るべき鞘。
「これで解ったであろう。もう一度言う。我には逃げ出すような弱者を追う趣味はない。
逃げる方が賢明ではないかな? 貴女の知性に輝きがあることを祈る」
 確かに強敵だが、五分の勝負だと恵潤は読んだ。
「残念だけど、その提案には従えないわ」
「残念だな。貴女はもっと賢い様に思えたが」
 だがその言葉とは反対に、虎は喜びの表情を見せていた。

 横から静嵐が「一回逃げて対策を考えよう」と情けないことを言っている。
 もう少し彼がしっかりしてくれるなら勝率も上がってくれるのに。殷雷と組んでいた方
が良かったようね。恵潤は今更ながら、深霜に殷雷を譲ったことを後悔していた。



 一見すれば木彫りの椅子。しかし注意深く眺めれば、無数の細かな虎の彫刻が組み合わ
さって作られていると理解できただろう。椅子まで虎に拘る男、四源洞洞主虎寂。彼の背
後には、二組の刀と虎との戦いが大画面に映されていた。
「早かったな龍華。俺など恐ろしくも何ともない、ということか?」
「お前が私を恨む理由には心当たりあるけどね。もっと賢い方法があったんじゃないか?」
「正直に決闘を申し込んでも、無視するだろうな。貴様ならば」
「どんな卑怯な罠を用意したんだ、虎寂」
「まさか。俺は貴様を倒してあの時の恥を雪ぐのみ」
 映像は、刀の不利を伝えていた。声はこちらへ聞こえて来なかったが、歯ぎしりする、
焦りを浮かべるその面だけで十分だった。
「俺の弟子が貴様の宝貝を破壊し、そして俺が貴様を殺す」
「出来ないことは言うんじゃないよ! お前はさっさと土下座して私に詫びればいいのさ」
 虎寂が腰から一本の剣を抜き放ち、龍華が数枚の符を手に取った。一枚の符が一陣の電
光と化し、虎寂を襲う。虎寂は、その場を動かない。

 電光は、龍華の左腕を貫いた。まるで信じられない、といった表情でその傷を見やる龍
華。
虎寂が狂気と歓喜の入り交じった叫びを上げる。
「ふ、ふははははは。見たか龍華! あの時の俺とは次元が違うのだよ!」
 今度は虎寂が懐から十数枚の符を取り出した。その全てから炎が生み出された。

 龍華の唇が、笑みを形作った。



 地面をぬかるみに変える術は、所詮、一回きり使える奇手に過ぎない。二つの術を組み
合わせる奇手も然り。そう、刀の宝貝にとっては。
 己の術が相手に全く影響を与えなかった事に焦り、虎は地面を溶岩へと変化させた。し
かし、宝貝を傷つけるには温度が低すぎた。
 かまいたちによる攻撃も全て刀へと変化した殷雷を操る深霜によって潰されてゆく。確
実に己の打つ手を封じてゆく敵に恐れを抱き、虎は遂に奥の手を出してきた。
 深霜の足下の地面がごっそりと消滅した。そして、その瞬間を狙ってやはりかまいたち
が飛ぶ。だが、刀の宝貝たちは相手が土を操ると知った時、既にその攻撃を予測していた。
「残念ね。範囲がもう少し広ければ勝てたかもしれないけど。言っとくけど、私の愛する
殷雷を傷つけたあんたを生かしておくつもりはないわ」
 刀の一閃が煌めいた。ポトリと落ちる二本の犬歯。



 愚かな。女が刀に変化し、男がその刀を握ったことで、虎はそう判断した。能力に劣る
男を庇うつもりだろうか。だがそれは一人に攻撃を集中させる結果も招く。防ぎようのな
い二種の攻撃をいつまでも避けきれると思っているのか?
 
 恵潤は、敵の犬歯が光ってから攻撃が発生するまでに一瞬の隙があることに気付いてい
た。それに、攻撃後にも隙はある。そこを巧くつけば、攻撃を躱すことは楽だった。あと
は……。

 戦いは一方的に虎に有利に進んでいる様にも見えた。しかし虎は苛立つ。確かに、相手
は自分の攻撃を避けることで精一杯に見えるが、一方致命傷を与えられずにいる。それに
だんだんと相手に与える傷が浅く、そして新たな傷の数も減ってきているのではないか?
 もしかして、この戦いを支配しているのは敵の方ではないか。そう虎が考え始めたその
時、敵は突然、一直線に自分目掛けて突進してきた。

 虎は圧縮した水で足下を狙ってきた。静嵐はそれでも構わず前へと進んでゆく。だが、
虎に近づくに連れて静嵐は体制を崩していった。
 静嵐の体勢と虎との距離。絶対に躱せない、虎にそう思わせた必殺の炎が静嵐を襲った。
炎は直撃し、朦々たる煙を立てた。勝利を確信し雄叫びを上げる虎。大きく開いた口から
犬歯が二本切り落とされた。
 目の前に、全身に火傷を負った男が立っていた。軽い爆発音を立て、女も姿を表したこ
れも全身に火傷を受けていた。なぜ、この程度で済んだのだ?
「私の霧と静嵐の風で炎の勢いを弱めたのよ。あなたの水を使って霧を作らせてもらった。
逃げ回っていたのは霧を集める為よ。それでもかなりの痛手を受けたけどね。
 あなたのような紳士を無闇に殺したくはないわ。大人しく降参しなさい」
 どさっ。静嵐の体が崩れ落ちた。全身の痛みに気絶したのだ。



 刀たちの勝利を龍華たちも映像を通して知ることとなった。
「さてと、もうそろそろ決着をつけさせて貰おうか。幾ら欠陥宝貝とはいえ、私の作品だ。
お前の弟子如きに敗北するはずもない。お前では私に勝てないと理解して貰うために、わ
ざわざ彼らを連れてきたんだよ」
「言ってくれるな龍華! その状態でよくも!」
 満身創痍の龍華。片腕は使い物にならず、右足も引きずっていた。そこへ戦いを終えた
殷雷たちが駆けつけてきた。龍華が一枚の符を取り出す。
「陰陽三天万化小火炎符だとぉ? その状態でくらえば、仙人とて無事ではないぞ」
 構わず龍華は符を発動させた。次の瞬間、大地に倒れ伏したのは虎寂だった。

 虎寂の持つ剣は囮。本命は腰の飾りだった。その飾りで空間を操っていたのだ。見破っ
てしまえば恐ろしい術ではない。仙人なら誰でも修得しているものだ。
 問題はその練度。術を使う速度を決定するもの。そして龍華はその点において、遙かに
虎寂を上回っていた。



 四海獄から仙丹を取り出し、飲み下すと龍華の傷は全て癒えた。
全開した龍華は、それこそ面倒臭そうに虎寂の口に仙丹を投げ入れる。
 虎寂の襟をひっ掴み、鋭く龍華は詰問した。
「私の勝ちだな虎寂。さあ、手紙を渡して貰おうか」
「ふ、ふははは……」
 ついに気が狂ったか? 冷ややかな目で見つめる龍華。虎寂の瞳がぬらりと光った。
「龍華、お前を招待したのには意味があるのだよ。お前が九遙洞を留守にする時を俺は狙
っていたのだ」
「どういうことだ?」
「貴様は人間界から拾ってきた子供を育てているそうだな。名は和穂と言ったか?」
「貴様、まさか!」
「大変だな。特に幼児はふとしたことで死んでしまうからなあ」
「黙れ!」
 その一言だけで術が発動する。再びのした虎寂を見ることなく龍華は飛行術でその場を
後にした。
「そいつを連れて九遙山に戻れ! もし和穂に何かあったらそいつを八つ裂きにしてくれ
る」
 ぽつりと静嵐が呟く。
「どうやって僕たち帰ればいいんだろう?」
 殷雷たちは殴りつけることさえ忘れて惚けたように静嵐を見つめていた。
「お前、道を覚えていなかったのか?」



 ほぼ一瞬と言っても構わない時間で龍華は九遙山に戻ってきた。暫く息を整える。力加
減を忘れるほどに速度を上げていたことに不安を覚える。まだ、この中に敵がいるはずな
のだ。
 洞内に一歩踏み込むと外界と一線を画す空間が龍華を包み込んだ。龍華の心の片隅に安
堵感が生まれた。洞内は出かける前と変わるところがない。かといって、安心もできない。
残っていた面々を考えると抵抗も出来ずにやられてしまったのかもしない。
 一秒でも時間が惜しかった。迷わず近道を選ぶ。
「……何だと?」
 工房に出たと思いきや、そこは貯蔵庫だった。珊瑚や水銀など宝貝の材料となる物質を
保管している。
 『お前の仙洞の構造はどうにかならないのか?』そんな護玄の言葉が浮かんできた。焦
って道を間違えたらしい。「くそ、こんなことをしている場合ではないというのに」毒づ
く龍華。
 構造を変えねばなるまいかと頭の片隅で考えながら、ようやく龍華は工房に辿りついた。
和穂は無事だろうか? 一歩踏み出した龍華は足の裏に柔らかい感触を感じた。
 一瞬、そこに和穂の死体がそこにあることを想像してしまったが、
「おぎゃー、おぎゃー!」
「ああ、どうか泣きやんでください和穂様」
 工房の隣の部屋から鳴き声が聞こえてきた。龍華は安堵のあまりへなへなと膝を地につ
ける。それにしても泣きやめといって赤ん坊が泣きやむわけないだろうが。やはり理渦は
封印だな。
 ところで、龍華の下敷きになったのは全長5mにもなろうかという虎の死体だった。い
や、何か呟いているということは死体ではない。何を言っているのだろうかと、龍華は耳
を澄ませてみた。
「湯呑みなどに、湯呑みなどに、湯呑みなどに……」

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