スチャラカもくれんタマスダれ
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鋭く射止めよ心

 風が舞い、少女の整えられた髪が踊る。
 あらかじめ定められた芝居の中にいるかのように、少女の足は軽やかに動く。
 少女の左手には朱塗りの弓が握られていた。少女は蒼に統一された鏃をどこからともな
く取り出すと、弓につがえてヒョウと放った。鏃は軌跡の先にある男の襟を貫いて壁に突
き刺さる。
 まるで演劇を見ているかのような少女の立ち振る舞い。表には常に微笑を絶やさずヒョ
ウ、ヒョウと次々と男を打ち抜いてゆく。しかし、ここは舞台の上ではなく、付近の村人
に怖れられる盗賊団『闇夜の虎』の砦だった。

「ええい、たかが小娘一人に何を手間取っている!」
 首領の叱咤の声が砦に響き渡る。砦といったところで、村人を脅かすのがせいぜいの盗
賊団、普通の屋敷を物騒に改造した程度に過ぎない。しかし、これで充分のはずだったの
だ。
 付近は領主の小競り合いの開始で治安が悪化し、盗賊を鎮圧する余裕はない。いや、そ
れどころか勢力拡大のために助力を頼んできたこともあったくらいだ。油断はあっただろ
うが小娘一人にここまでいいように荒らされる程のものだった、とは首領には思えない。

 少女は余程戦い慣れているのか、剣や槍など近接戦闘に用いる武器を携帯していないに
も関わらず、部下たちの猛攻を上手く凌いでいた。
 出来れば自分の部下に加えたいと思うほどの腕の冴え。だが、それもうまく少女を捉え
てからのことだ。もし断るというのなら、その時はその時。荒っぽい部下どもに上手くや
らせれば、すぐに抵抗する気力もなくなるだろう。
 お世辞にも広いとは言えない砦のなか、罠という罠を全てくぐり抜けているその少女を
捉える手だては今のところ盗賊たちの誰も思いついてはいなかったが。

「大人しく降伏してくださいませんか?」
 そうその少女は言っているのである。これがただ見た目のいいお嬢ちゃんならば「世の
中ってものを教えてやるぜお嬢ちゃん」などと言いながら頭なり脇腹なりに一撃喰らわせ
て気絶させてしまえば一件落着なのだが、この少女は男たちの力任せの攻撃をかすらせも
しない。
 男たちの殺意混じった鈍器を見て、「あらあらこの子は腕白で困ったものね」とでも思
っているかのような苦笑を浮かべているのだ。それがまた気に障る。

 だが、少女の奮闘もこれまでよ。首領は一人ほくそ笑んだ。少女は上手く立ち回って同
時に相手する人数を減らすことで対処してきているが、彼の懐刀が部下を誘導してなるべ
く広い場所へと少女を誘導している。四方八方から攻撃を仕掛けてしまえば、いくらあの
少女でも敵うまい。
 いつもは小うるさいことで悩ませてくれる参謀も、こういう時には頼もしく思える。こ
れが終わったら分け前の分配を増やしてやろう。
 そして少女が死地に落ちる。もの思いから冷めた首領は右手を振り下ろして一斉攻撃の
合図を出した。

 周りから一斉に攻め寄せられても、少女の口調に変わりはなかった。
「あらあら」
 ただし、言葉の間で少女の柔和な眼差しは雌豹の眼差しに取って代わられていた。彼女
は弓を腰紐に挟み込み、代わりに懐から短刀を取り出して両手に構える。
「死ねやこのアマ!」
 男が振り下ろした棍棒を短刀一本で受け流し、すれ違いざまに脇腹を斬りつける。
両手を使いがら空きになった背中。それ目がけて男が直刀で斬りかかる。
 しかし、刃は突如現れた女性の小手に弾き飛ばされた。呆然と佇む男に、女性の拳が突
き入れられる。見れば、少女と女性は互いに背を合わせて、獲物を迎え撃つ姿勢だ。
 盗賊たちはそれを遠回りにしながら、じりじりと近づいてゆく。と、二人が走り出した。
あっさりと囲いを突破した少女は人間ならざる脚力でもって、一息に松の木の枝に飛び乗
った。

 男たちは怖れて誰も松に近づかない。少女は――いつのまにか女性の姿はどこかへ消え
ている。少女はたばさんだ弓に新しく取り出した鏃をつがえる。少女が念を込めると鏃の
先端に火が灯る。少女が矢を放つと、吸い込まれるように地面に激突し、砦全体を揺るが
しかねない程の爆発が生じた。

「展令さん、やりすぎではありませんか?」
「何言ってるのよ。盗賊団に情けなんてかける必要なんてないじゃない」
「それでも、死者を出してしまったのはやりすぎです」
「でも、そうしないとあんたの身が危なかったじゃない!」
 一人高見に見物していた首領と数少ない無事だった部下は女同士の話し声を聞いた。不
思議なことに、口調の違う二人の人間が話しているようなのに、声質が全く同じなのだ。
 それならば、同一人物に違いないだろう。そしてその声は、よく聞けばどちらもが盗賊
団に襲いかかってきた少女の口から漏れていた。
「ちょっとそこの首領さん、大人しく降参しなよ」
「ああ、だからもっと平和的に話しませんか?」
「大人しく私に捕まって村人に死ぬより辛い目に遭うんだな」
「だから展令さん、もっと穏便に」
「どうしてあんたはそんなに気楽なのよ!」

「どうします、兄貴?」
 爆風を受けて、自分と同じく転げ落ちていた部下に、首領は何も答えなかった。抵抗は
無駄だとさっきの攻撃で悟っていたからだ。抵抗したところで、無駄に死傷者を出すだけ
だろう。だったらさっさと降伏したほうがいい。それくらいの仁義は弁えているつもりだ
った。
 それに、人格分裂者に自分の作り上げた組織を微塵に砕かれたと思いこんだ首領の闘志
は既に萎えてしまっていた。



 綾春は村人の笑顔に送られて新たな旅路へと踏み出したが、気は晴れなかった。まあ、
新たな旅路といっても、次の村に行くだけなのだが。
 すぐ隣りを歩いていた女が綾春に声をかける。こちらも不機嫌そうな声だった。
「まだ根に持っているわけ? ああしないとあんたの身が危ないって何度も説明したじゃ
ない」
「そうかもしれませんが、あそこまで残酷なことをしなくともいいではありませんか」
「だからあんたは甘いのよ。ああやって反抗する気を無くすくらいで丁度いいの」
 一応もっともらしく弁解している展令だが、綾春にはそれが言葉の上だけのものだと分
かっていた。
 綾春が昔出会った爆燎は冷酷な決断を下すことはあっても、決して無用な殺生を行った
りはしなかったものだというのに。それに、展令がこうした騒ぎを起こすのもこれが最初
ではないのだ。
 綾春は展令にもはっきり分かるように――どうせこっそりしてもばれるに決まっている。
「あの爆発の痕跡を説明するにも大変でしたよ」
「うっ、あれはまあ、そうかもしれないけど」
 綾春は正論では展令を納得させられないからと、矛先の角度を変えてみた。もともとあ
の砦は村長の避暑用の屋敷だったのだが、いつのまにか住み着いていた盗賊によって改造
されてしまったらしい。
 つまり、元々所有権は村長にあるわけで、盗賊に下手にいじられた挙げ句、謎の大爆発
とあっては村長も穏やかではいられない。
 盗賊が蓄えていた火薬が爆発した、ということで何とか誤魔化せたが、いつばれるか分
からない、と二人は半ば逃げるようにして村を後にしたのだった。
「そう言えば、あんたって何かの武術を習っていたの? 随分と外見よりキビキビした動
きだったけど」
「私の家の者は万が一のことを考えて、全員が一通りの護身術を習うことになっています」
「あんた、お嬢様だからねー」



 綾春と展令、二人の出逢いは数ヶ月前に遡る。綾春が旅から終えて実家へ戻ってきた時
のことだ。家の門をくぐった綾春は叔父の姿を見かけて声をかけた。
「叔父様、綾春ただ今帰郷いたしました」
「おう、綾春か。無事で何より」
 叔父は一言だけ言い残すと、何かそわそわした様子で門外へ出ていった。それから両親
に会うまでにも何人かの親戚に会ったのに、その反応は大抵同じ。出かける時はあれほど
盛大に見送ってくれたのにと、ほんの少しだが悲しい気分で綾春は両親の前に進み出た。
「お父様、お母様。綾春、ただ今帰りました」
「よく帰ったね。そういえば、爆さんは?」
「爆さんは、爆さんはお亡くなりになりました」
「そうか。いい人だったのにね。気骨もあって」
「はい。私は言い尽くせないほど、爆さんに良くして頂きました」
 爆さんとは、綾春が旅に出かけた時のお供であった。本名は爆燎。旅の最中に命を落と
した武人のことだ。腕と人柄を見込んで綾春の供になっててもらった両親にとっても是非
、綾春と共にこの屋敷へ戻ってきてもらいたい人物であった。
「それよりも、ここに来るまでの間、親族の方々がとても慌てていたようですけれど、何
か困ったことでもあったのですか?」
 両親は爆燎が死んだと聞いて悲しみの色に染まった顔を、更に深刻なものにした。父親
は一つ溜め息をつくと、ぼそぼそと話し始める。

「知っての通り、我が家は近辺では名を知られた商家だ。それだけでなく、その富を背景
にして、近くの村々を保護下に置いている。
 今までは何の揉め事もなかったのだが近頃、諸侯の小競り合いに付け込んだのか複数の
盗賊団が出没するようになってな。我ら一族は衛兵を派遣したのだが、平和に慣れたこの
土地では、たいして腕の立つ人材はいない。
 そこで、衛兵募集の範囲を広めたのだが、こちらの足下を見て高値をつけてくる奴らば
かりで、どうしたものか困っているのだよ」
「爆さん程の腕利きで、篤実なお方はいないものね。でも爆さん一人じゃ流石にどうしよ
うもないかしら?」
 多分、爆さんならば一人でも盗賊団の一つや二つを灰燼に帰すのは容易いのではないで
しょうか、と綾春は思ったがそれは口にしなかった。既にいない人の話をしても、それは
悲しいだけなのだ。
「それと、もう一つ」
「まだあるのですか?」
 盗賊団の跋扈だけでも穏やかではないのに、まだ他にもあるというのかと綾春は軽い目
眩を覚えた。父親はそんな娘を取りなすように、幾分穏やかな顔で続ける。
「自分は爆燎槍の妻だ、どうしても合わせろ、という女性がいてな」
 父親の言葉の途中で部屋に駆け込んでくる人影が一つ。無造作に着物を着流していて、
流れの芸者のように綾春には思えた。
 その女性は紅い髪を振り乱して、
「親父、爆燎槍の匂いが増したわよ。さあ、爆燎に今すぐ会わせて頂戴!」
「ま、まあ少し落ち着いてくださいよ。お茶でもいかがです?」
「ええいゴチャゴチャ言わずにさっさと会わせればいいのよ!
 む、そこの見かけないあなた、あなたが綾春ね。爆燎はどこ行ったの」
「爆さんはお亡くなりになられました」
 綾春は事実をありのままに告げた。女性は暫く呆気にとられてあんぐりと開けた口を引
き戻すと、矢継ぎ早に早口で言葉を浴びせてきた。
「爆燎が死んだ? 誰がそんなこと信じるってのよ。龍華が制作した武器の宝貝の中でも
実戦では一、二を争うと言われた爆燎を破壊出来る存在なんてそうそういないのよ?」
 あ、分かったわ。あんた、爆燎と離れたくなくてそんな大嘘言っているんでしょ。もう
完璧に見破ったからね。まったく爆燎もよくこんな小娘と旅を出来たもんだわ。年上に対
する礼儀もあったもんじゃない。一番許せないのは、初対面の人間に真顔で嘘をつくって
ことだね。
 ほら、爆綾をどこに隠したの。いつも一緒にいるはずでしょ!」
 女性は綾春に近づいたかと思うと、辺りをパンパン叩き出した。爆燎槍を隠し持ってい
ないか探しているらしい。頭の上から足の裏まで叩くと、ひと思案した女性は綾春の胸元
に手をいれてきた。
「あっ、やめて下さい!」
「えーい、どこに隠したのよ、ここじゃないってことはもしかしてそこ?」
「大体、どこを探していらっしゃるんですか!」
「いや女の子だし、色々と隠す所ってあるじゃない。まー、あんたくらいの胸じゃどうや
っても隠せないだろうけどね」
「そう思うのならばやめて下さい」
 微塵の気後れも見せずに綾春が答えると、女性は少し離れてじろじろと綾春を眺め始め
た。ぐるり、と一回りしてやっと納得いったのか口を開く。
「本当に持ってないの?」
「だから、爆さんはもういないのです!」
 思いの外強い声だった。声を発した綾春自身が、その声量に一番驚いていた。女性は一
転して申し訳なさそうな顔を作って、
「御免ね。どうしても信じられないのよ。あの爆燎がね」
「あの〜」
 先程からのけ者にされたみたいで情けない顔をしていた父親が女性に声をかけた。
「あなたと爆さんとはどういった関係なんです?」
「だから、何度も言ったように」
「爆さんは宝貝ですし、妻がいると言われたこともありません」
「えっ? 爆燎そこまで話したの? もしかして親父さんも知ってた?」
「ええ、実は。いつも話す前にあなたが去ってしまっていたんですけど」
「もしかして、あなたも宝貝なんですか?」

 それが二人の出逢いだった。その後、女性こと展令は突然「爆燎が命をかけてまで守ろ
うとした人間がどういった人か知りたい」と言い出した。
 宝貝ならば護衛としてこれ以上のものを望むべくはない。これはもっけの幸いと、綾春
は盗賊が出没するという村に展令と共に向かったのだった。そして今に至る。



 さて、先程から話の中に出てきている宝貝とはいかなるものだろうか。民話などに現れ
ることもあるので、知っている人もいるかもしれない。
 仙人が自らの技術を結集して作り上げた道具、それが宝貝である。だが、それは雲の上
にあるものであって、人がおいそれと手にすることの出来るものではない。
 だが現在、地上には約700個の宝貝が存在していた。見習い仙人の不手際によって地
上に降り注いだ宝貝たちの中には、人の形をとれる者もいた。綾春と旅をしていた爆燎も
そうだし、そして展令もまた宝貝である。
 人が扱う道具に様々な種類があるように、宝貝もまた色々な形をしていた。日常雑貨か
ら攻城戦に用いられる兵器の類まで、枚挙にいとまがない。今、綾春の横を歩いている展
令は弓の宝貝であった。綾春が操っていた朱塗りの弓、それが展令弓の本性である。



 盗賊が出没するとは聞いていたが、綾家が雇った衛兵も役目を果たしているとみえて街
道からは一掃されたようである。だからというわけではないが、綾春は街道筋の草原に体
を横にして寝そべっていた。
「ふう、疲れましたね、展令さん。あ、お水でもどうですか?」
「あんたも呑気ねえ。今こうしている間にも村が荒らされているかもしれないのよ?」
「そうかもしれませんが。ちょっと疲れてしまいまして。展令さんは疲れていないのです
か?」
「あんた馬鹿じゃないの。武器の宝貝がこれくらいで音を上げるわけないじゃない。それ
に、あんたみたいに大荷物背負って旅する人間も珍しいわよ?」
 村で汲んできた水を注いだ杯を受け取って、展令は一気に飲み干した。実は、道中綾春
が行李を背負ってくれるよう頼んだのに、展令は「重そうだから嫌」と無下に断っている
のである。
 それでいてこの言いぐさ、かちんとくるものがないではない綾春だったが、
「武器の宝貝なのですし、このくらい持ってくれてもいいのでは」
と口に出す綾春ではない。
「そもそも、その中に何が入っているわけ? まさか着替えとか」
「別に着替えだけじゃありませんよ? お餅に、白味噌、ちょっとした調理器具に食器を
少々。あとはですね」
「慌てて出発したのに、いやに用意がいいわね」
「それは旅装を解いてなかったので、そのまま出発したからです」
「ふーん。そういうわけね。あっ、そこのおじさん!」
 展令は通りがかりの人に声をかけた。その人は綾春たちが向かおうとしている方向から
来ているので、向こうの事情を知るにはもってこいだろう。
 その人の話によると、衛兵が来る前は村人も怯えてしまって商売にならなかったが、今
はなんとか平穏を取り戻しつつある、ということらしい。
「行商をやってるんだ。何かいい品物ない? ほら、これも何かの巡り合わせだと思って
さ」
「それでは、赤味噌を頂けませんか? 海に近づいているのですし、海産物を頂くには赤
味噌が一番ですから」
「あんたねえ、どうしてそう地味な物選ぶかな。もっとこう、可愛らしい装飾品なんかに
興味はないわけ?」
 綾春は首を傾げて、とても不思議そうにしていた。その姿勢は可愛らしいと思うののに
どうして興味ないのかしらね、と不満げな気持ちの中、行商人が広げた品物に展令の目は
釘付けとなるのだった。



「ふーっ、なんとか陽が落ちる前に到着したわね」
「さっそく今日の宿を取らないといけませんね」
 それからも体の弱い綾春のために休憩を二度、三度入れ、それでもなんとか予定通りに
二人は次の村に到着した。行商人の言っていた通り、一見変哲もない村に見えるが、衛兵
のピリピリとした雰囲気が村全体に伝わってなのか、どことなく違和感が漂っていた。
「あんたの家の紋所を見せたら『へへーっ、綾家のお嬢様で御座いますか』てな風にただ
で止めてくれないかな?」
 綾春は展令の冗談を無視して、一人最寄りの民家に立ち寄っていた。とん、とんと軽く
二度扉を叩くと、人の良さそうな老婆が姿を見せる。
 綾春が老婆と話している間、展令はぼーっとそれを眺めていた。やがて話が伝わったら
しく、老婆が村の奥の方を指して戸を閉める。
 閉まり終わるまでずっと頭を下げていた綾春はピシャ、という音を聞いてようやく頭を
上げる。笑顔で振り向くと、
「あちらの方に旅人用の宿があるようです。では参りましょうか」



 草木も眠る丑三つ時、展令は窓から月を見上げて物思いにふけっていた。いつもキリッ
と上向きの眉も、心なしか俯いているように思える。展令は綾春の寝顔を見ながら、睦言
のように言葉を繋げる。
「ねえ爆燎、たしかにこの子は良い子だね。あなたがこの子との旅を請け負ったのも良く
分かるわ。
 でも、あなたが身を庇ってまで生かそうとした、それだけの価値がこの子にあるのか。
それはまだ分からないわ。もしこの子があなたの死に相応しくない相手だと分かったら、
その時は」



 コケッコッコー。コケーッ、コケーッ。
 雌鳥の朝一番の鳴き声を聞くとすぐ、綾春は眠りから覚めた。それまでぐっすりと眠っ
ていたのが嘘のように。基本的に寝覚めの良い体質なのだ。
「早いわね。もっと寝ていてもいいのに」
「そういうわけにも参りません。さあ、食事にかかりましょうか」
「あんた、まだ寝ぼけてるね。ここは宿屋だよ?」
 あら、とこちらが脱力しそうな声を出す展令はなるべく視界に入れないようにして、そ
れでも綾春はテキパキと布団を屋外に干して、それから着替えを始めた。寝間着を普段着
に替えて、昨晩洗濯しておいた下着を風呂敷に包んで行李に入れる。寝間着を抱えて宿の
裏にある川へ向かい、手始めに手を水につけて、すくったそれを顔へもってくる。パシャ
パシャ、冷たい水が顔を打ち意識も格段にハッキリしてくる。
「ふう。さて、洗濯しませんと。展令さんは何か洗濯するものありません?」
「ないよ」
 展令が着ている服は、いわば自分自身そのものであり、仙術をもってして造られたそれ
は特に洗濯しなくとも、不潔になるということはない。
 周りから見ている人間にとってはみっともないことこの上ないのに、当人たちはそんな
ことを気にすることはないらしい。

 それからも綾春は生まれながらの気だての良さを発揮し、台所に足を踏み入れては料理
の手伝いを申し出て店員に丁重に断られたり、箒を見つけるや掃除を始めて、慌てて飛ん
できた店員に「お客様にそんなことはさせられません」と箒を奪われたりしていた。
 結局、朝食よりかなり早い時間に起きたはずなのに、いつの間にか丁度いい時間になっ
ていた。

「まあ、なかなかだね」
「そうですか? 私はとても美味しいと思いましたけれど」
 本当は食べなくてもいいんだけど、目の前にある料理を食べないのは礼儀に反するから
仕方なく食べてあげるわと、興味なさそうに言ったにしては終始笑顔でご飯を頬張ってい
た展令。
 しかし、食べ終えるとまた素っ気ない感想を洩らす。綾春はただ武器の宝貝が食事に興
味を持つことに照れているだけだと知っているので、展令の食事光景を微笑ましく眺めて
いた。
 展令は展令で、こいつはどんな料理を出されても笑顔で食べ終えて「ごちそうさま美味
しかったですよ」と言うのだろうな、などと考えていたのでお互い様といえばそうかもし
れない。
 展令がお茶を飲んで一服すると、くたびれた服をまとった子供が二人のついた机に寄っ
てきた。展令が鬱陶しいとばかりに追い払おうとする一方、綾春は目線を子供に合わせて
優しく訊ねる。
「お姉ちゃんたちに何か用かな?」
「うん、知らないおじちゃんが莫迦でかい行李を背負ったお姉ちゃんにこれを渡せって。
これだよ」
「ありがとう。でも、これから知らない人についていったら駄目ですよ」
 綾春から駄賃を貰った子供は元気良く返事して、宿屋から一目散に駆けていった。
 展令は綾春の手から手紙を奪い取って、そそくさと机上に広げる。鼻歌交じりに手紙を
広げていた指が途中で止まる。
 鼻歌も止み、真剣な眼差しで文面を見つめている展令を不思議に思って、綾春も手紙の
文面を覗き込む。そこにはこう書かれてあった。

 警告。この村の子供を人質に取った。返して欲しくば今日の陽が落ちる前に村はずれの
炎落の滝まで来るがいい。

 震えだした綾春の手を優しく取って、展令は教え諭す。まずは、この文面が本当かどう
かを確かめる方が先だと。
 願わくば嘘であって欲しいと願いながら、衛兵たちの寄宿所へと向かう二人。綾春が綾
家の者であることを示すと、あっさりと情報を漏らしてくれた。
「実は、我々も懸命に探しているのですが、一向に手がかりがなく。この情報はどこから
入手なさったのですか。箝口令をしいているはずなのです」
「恐らくは、犯人から直接入手したことになるだろうね。子供に持たせてよこしたのは悪
趣味な嫌がらせかな。多分、あんたたちがそこに行ったところで、人質がいちゃそうそう
手は出せないだろ?」
「そ、それはそうだが。では誰が助けに? 待て、それだけは勘弁してくれないか。俺の
首が飛ぶだけじゃすまないぞ!」
 展令が綾春と二人だけで指定された場所に向かおうとしていることを察した隊長は悲鳴
を上げた。
 無理もない。雇い主の娘をそんな場所に向かわせ、万が一のことがあったとしたら責任
問題で済むかどうか。何しろ、穏和なことで知られている一族ではあっても、この地方で
は隠然たる勢力を誇示しているのだから。
「どちらにしろ、相手は綾春一人を標的にしているんだろう。それなら、あんたたちが下
手に付いてきて相手を刺激するよりはましだと思うけどね」
「では、行きましょうか展令さん」
「ほいな」
 釣りにでも出かけるように、至って自然な様子で出立しようとする綾春と、それに軽く
応じる展令。隊長は必死で二人を押しとどめようとした。
 しかし、一度決めたら梃子でも動かない綾春の気持ちを動かすことは出来ず、呆然と二
人を見送る隊長。二人が出ていって暫くして後、隊長は慌てて綾家へ救援要請の早文を出
した。事の顛末を記した手紙とともに。
 間に合わないのは隊長も百も承知だ。ただ、他人の我が儘で今の職を失うかもしれない
と思うと無策のまま手をこまねいてはいられなかった。



 村人に滝の場所を聞いてすぐに二人はその場所へと向かった。宿の裏側の川沿いに上流
へと進むと着くよ、という言葉に従って二人は歩いていた。
 上流に行くに従って道は人の手が加えられていない方向へと進んでいく。苔や低木に足
を取られそうになった綾春を展令が助けつつ、二人は進む。
 いつのまにか辺りは木々に覆われていた。炎落の滝までもう少しだろう。
「あの隊長さんには悪いことをしてしまいました」
「だったら来なけりゃいいのに。そもそも、私一人で行くのが一番いいのにさ」
「あら、それは気が付きませんでした。でも、あなただけ行かせるのも不安です」
「たかが人間が言ってくれるじゃないの」
 昨日、あれだけの爆発を起こした人間の口から出た言葉とは思えない発言だった。
 あんなことを起こされては堪らない、というのも綾春が自分も行こうとしている理由の
一つ。そして綾春の心の9割以上を占めるのはやはり、子供を巻き添えにしてしまったと
いう罪悪感だった。
「さて、そろそろ戦闘開始かな」
 展令がそう言い終わらない内に、展令の姿はかき消え、そこにあるのは朱塗りの弓が一
つだ。これが展令の本来の姿である。
 綾春が紅い弓を拾い上げると展令の声が直接聞こえてくる。展令の声と指示に従って弓
を林に向ける。弦の音が二度鳴った。ドサドサッと何かが落ちる音が聞こえる。哨戒して
いた敵を”見つけた”綾春が弓で射落としたのである。尋常ならざる武器を手にした今の
綾春の目には、尋常ならざる視力が宿っている。

 後は先日と同じだった。それどころか、林という視界の狭い場所を選んだのは、寧ろ相
手に不利に働いた。木々の隙間を通して飛んでくる矢をよけられる人間などそうはいない。
 次々と仲間を失ってゆく敵を追いつめてゆくと、名前通りに紅く光る滝が見えてくる。
その滝の真下、頭領とおぼしき男が子供を後ろ手に縛って刀を首筋に突きつけていた。
「そこから動くんじゃねえ!」
 頭領はそうダミ声で怒鳴ったが、動くなと言われて止まる人間はいない。綾春は展令弓
を構え、刀を持つ手目がけて矢を放った。展令の力によって生み出された矢は子供の頭す
ぐ横の石に突き刺さる。
 人質が通じないと見て取った頭領は見せつけるように刀を振り上げる。その顔に、凄ま
じい勢いで飛んできた矢が突き刺さった。肉が砕ける音と石が砕ける音が同時に響き、肉
と石の破片をかぶった子供はフラッと倒れ込んだ。
 頭領をやられて逆上した部下たちが一斉に子供だけでも血祭りに上げようと動き出す。



 戦闘が終わった時には、またしても各所に噴煙を上げる爆発跡がくっきりと残っていた。
 展令は誤魔化すように「いやー、またやりすぎちゃったわね」と笑っている。無責任な
笑顔には拘らず、綾春は展令に咎めるように、いや悔やむように訊ねる。
「どうして外した、いえ外れたのですか?」
 その質問を聞くなり、展令の顔色がザッと色あせる。展令はそれまでの陽気さが嘘だっ
たように、金切り声を上げる。
「あんた、まさか私が殷雷刀みたいに情に脆い宝貝だと思ってるんじゃないでしょうね。
 私は違う、そんな欠陥は持ってないわ!」
「分かってます。情に脆い宝貝がこんなことをするわけありませんから。
 それに、私は刀を持っていた手を狙っていたのに、矢は顔に向かって飛んでいきました。
 展令さん、あなたの欠陥は非常時に狙いが甘くなることではないのでしょうか。だから」
 綾春の言葉を遮り、綾春の襟首をきつく掴んで展令は叫んだ。今まで溜め込んできた思
いを全て吐き出すかのように、とても強い、しかしとても脆い声だった。
「そうよ、その通りだわ。非常時に狙いが甘くなる弓なんて使い物になりゃしない。だか
ら龍華に封印されたのよ。
 そして封印された私は、何とか自分の欠陥を誤魔化す方法を考えた。それが、大味な攻
撃を仕掛けることよ。都合良く、私にはちょっとした火系の術を操れるからね。こうすれ
ば、少々狙いが外れていたって変わりないから!
 でも、今回は本当に堪えたわ。盗賊の顔だからまだ良かったものの、もし子供に当たっ
たりでもしたらと思うと。どうあがいても、私は欠陥宝貝のままだったのね」
 綾春は展令に揺さぶられるままにされていたが、やがてこう呟いた。
「だから、何をやっても完璧な爆さんに憧れていたんですね。
 でも、爆さんだって悩んでいたのです。冷静すぎる自分、完璧過ぎる自分に。
 欠陥があるからって卑屈になることはありません。誰だって、欠点の一つや二つは持っ
ているのですから」
 展令は、自分より背の小さい綾春に抱きついて、泣いた。綾春は展令を優しく受け止め
、ずっとそのままで、二人の時は過ぎていった。



「さて、行きましょうか綾春ちゃん」
「あの、ですから”ちゃん”はやめてくれませんか?」
 あの後、子供を無事村に送り届けた綾春は村人一同からの歓迎を受け、三日ばかり逗留
することになった。それもこれも、自分の首がかかっていた隊長が綾春の無事の帰還にた
がを外してしまったらしく、村中に女雄綾春の名を知らしめてしまったためだ。
 日々の話題に飢えている村人たちにとってこれほど格好の話題はない。ただ、綾春には
どうしても自分が酒の肴に使われているような気がしてならなかったのだが。
 宴会の最中に綾春は気付いたのだが、いつのまにか、展令の綾春への呼びかけがあんた
から綾春ちゃんに変わっていた。
 親密感を抱いてくれたのは嬉しくても、ちゃん付けされるのは一人前の女性にとって耐
え難い。綾春ちゃんと呼ばれる度に抗議しても、展令には一向にやめる気配はなかった。
「さて次の新天地に出発よ!」
「でも、三日も滞在してしまって、大丈夫でしょうか」
「なになに、少々悪さが酷くなっていても、私がジャーンッと敵を蹴散らしてあげるから
問題なんてないわよ。綾春ちゃんが気にかけることはないわ」
「ですから、”ちゃん”はやめて欲しいのですが」

『爆燎、やっとあなたがこの子に命を懸けた理由が分かったわ。この子も一筋縄じゃいか
ない星の下に生まれついているようね。危なっかしくて見てられないわ。 
 あなたが戻ってくるその日まで、私がこの子を守ってあげる。そうしたら、あなた私の
ことを振り向いてくれるのかしらね』

「展令さん? 突然立ち止まったりしてどうかしたのです?」
「何でもないわよ。今日中に次の村に着く予定だから頑張りなさいよ」
 綾春が少し不満そうに声を上げる。展令は綾春を小突いて頑張りなさいよ、と言う。そ
して、二人の旅が始まった。



『展令弓』 
 木火土金水の五行のうち、火を操ることの出来る弓。
 欠陥は、非常時に照準がぶれること。正確さを信条とする弓に、
 この欠陥ではまるで話にならない。

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