スチャラカもくれんタマスダれ
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プロローグ
新学期に登校した
北浜雄一は
『私立高校への美少女留学生』
に沸き立つ教室でどのようにして賭金を巻き上げられたのか?



『飛行場で途方に暮れる左方天詳』

 関西国際空港、名実共に関西最大の飛行場に、落ち着きなくそわそわしている男がいた。
中肉中背の見た目どうということもない男性だ。せわしなく右手に持った扇をはためかせ
て、首もとに空気を送っていた。
 左方一門初の上海講演の話手に選ばれたこの男、左方天詳は上海行きの飛行機に搭乗す
るため、関空行きのバスに数十分揺られて辿り着いたばかりだった。
 天詳が話手として選ばれたのは一門きっての有望株だから――というわけではなく、海
外渡航を嫌った師匠に押しつけられただけである。物見遊山気分の老人達に囲まれた中、
天詳が一行の最年少だった。
 世間では若いとは言えない年齢だが、と天詳は溜息をついた。これから一行の旅行券の
取得やら、彼の周りに散らばっている荷物の山を預かり所に届けるとか、面倒な雑用が待
っているのも溜息の理由だ。
 それにしても、この荷物をどうしたものか。先に預かり所の届けてしまえればいいのだ
が、旅行券がないと荷物は預かってくれないだろう。
 天詳はしばし考え、空港の従業員に荷物の監視を頼むことに決めた。さっそく辺りに目
を配って、なるべく屈強そうな従業員を探していると、ふと見覚えのある人影が目にとま
った。
 仲がよいといった関係ではないものの、気付いたからには挨拶をかけないのは失礼だろ
うと、天詳は声をかけた。
「天山さん、お久しぶりです」
 天詳が声をかけた相手は天詳をじっと見つめた。ややあって、
「見覚えはあるのだが、名前は何と言ったかな」
「左方天詳です」
 相手が名前を覚えていることまでは期待していなかったので、それほど気落ちせずに答
えられた。
「久しぶりだな、左方天詳」
 天山にしては、愛想のいい口調だった。天詳に歩み寄る天山の後ろに、天山に付いて歩
く少女がいることに天詳は気付いた。
 天山は少女に何やら話しかけられていた。何と言っているか分からないのは距離がある
からだと勘違いしかけたが、天詳ははたと気付いた。自分は耳の良い方だ。
 注意深く聞いてみれば、天山が少女に返している言葉も天詳には馴染みの薄い言葉だっ
た。関西弁でも名古屋弁でも、日本標準語でもなければ会津弁でもない。
 少女は天詳が天山の知り合いであると聞かされて、空港の中というシチュエーションに
はいささか元気溢れる挨拶をした。
「ニーハオ」
「に、にぃはお」
 『中国語の日常会話50』の一番最初に出てきた言葉だった。なるほど、さっき天山が
話していたのは中国語だったのだな、と天詳は当たりをつけた。
 改めて少女を観察する。目鼻立ちの整った顔に、女性特有の丸みがようやっと出てきた
ばかりの姿態。胸はやや小振りだ。
「○X△xp3w……」
 気さくに話しかけてくれるのは嬉しかったが、天詳には何を言っているのかちんぷんか
んぷんだった。それと見て取った天山が少女に、
「日本語で話してやれ、楊花」
「あ、はーい」
 明瞭な日本語に思わず胸をなで下ろした天詳を天山は冷ややかな目で見下ろした。
「これから上海に行くってのに、あの程度の会話が聞き取れなくてどうする」
 天詳は言う言葉もなかった。天山とは、ガイドがいるから大丈夫、との言い訳をしよう
ものなら即座に万倍の罵詈雑言を飛ばす男である。出発前から疲れる気は勿論無いのだ。
「まあいい。道すがらにでも俺が教えてやろう」
 意味するところは明白だったが、それでも天山は聞き返した。
「え? 座長の話では現地のガイドを雇うと言ってましたが」
 天詳の質問を鼻で笑う天山。
「あの老いぼれども、相変わらず性格がねじ曲がっているな。まあ、俺も三ヶ月ほどとは
いえ現地に住んでいるといえば嘘ではないからな。」
 老いぼれども、という言葉は敢えて聞き逃して、天詳は傍らの少女に目を向ける。
 無意味ににこにこと微笑んで天山たちの会話を見守っている少女。
「彼女もガイドですか?」
 天山は胸の前で手を振った。
「いや、こいつは日本に留学しに来たんだよ。な」
「日本のドラマを腹一杯見てやるんだよ」
 言って、少女はVサインを掲げた。心から楽しみにしているようだ。と思えば、肩を落
として溜息をついた。年頃の少女というものはよく分からないと天詳は思った。
「でも、第一話を見逃してしまったよ」
 カレンダーで確かめるまでもなく、天詳は今日の日付を知っていた。四月五日。確かに
、いくつかのドラマは既に始まっていた。
「第一話を見なくたって、どうにかなりますよ」
とよく知らずに天詳は慰めた。
「早く友達を作って第一話を見せてもらうんだな」
 天詳と違い、天山のアドバイスは的確だった。
 少女はうっし頑張るぞと呟くと、友達百人できるかなーと調子っぱずれの歌を披露して
いた。



『二日後 シュレディンガーに起こされる北浜雄一』

 にゃ。
「ふぎゃあああっ!」
 顔に鋭い痛みを感じて俺は跳ね起きた。
 俺は傷を確かめようと鏡に手を伸ばす。訂正。俺の部屋に鏡なんてありはしない。どた
ばたと階段を駆け下りて、俺は一階の洗面所に飛び込んだ。
 五つの掻き傷が俺の顔に残っていた。どこかで見覚えがあると思えば、シュレディンガ
ーが机の柱にこさえた傷とそっくりである。
「やっと起きたん?」
 鏡の中で、俺の向こうに女性の顔が映っている。婆ちゃんに言わすと俺に似ているらし
いのだが、俺はそうは思わない。
「母ちゃん、シュレディンガーに俺を起こさせようとすんのはやめいと言うたやろ」
 語調も鋭く詰め寄る俺の気色を、親は頓着してないようだった。
「何度も呼んだのに一向に起きへんお前が悪い」
 一方的に悪人扱いされる。
 それどころか、
「新学年そうそう遅刻でもされてみい。井戸端会議で母ちゃんがどんな目に遭うかお前に
は分からへんの?」
 新学期そうそう猫のひっかき傷をつけて、で笑われるであろう息子の気持ちも考えて欲
しい。
 そうそう、シュレディンガーは我が家の飼い猫である。飼い猫とは言ってもそこは気紛
れに唯我独尊を重ね合わせた猫のこと、人に命令されたからと言ってほいほい従うシュレ
ディンガーではない。ところが、母親の俺を起こせという命令にはどういうわけか素直に
従うのである。
「ご主人想いのいい猫よね」
 主人はきっと母ちゃんだよな、と俺が憎まれ口を叩くより先に母親は洗面所から出てい
った。
「はよう、朝飯片付けてな」
 自分の部屋に戻ってみると、シュレディンガーは俺の布団の上に我が物顔にのっかって
いた。シュレディンガーにしてみれば、自分の寝床を夜の間だけ俺に貸している、という
ことなのだろうか。
 そんなとりとめのないことを考えながら手っ取り早く着替えを済まし、鞄を手に俺は食
卓に向かった。
 朝食は焼き焦げのついた食パンx2、スクランブルエッグ、コーンサラダにほうれん草
のお浸しだ。最後の献立は昨晩の残りだろう。
 パンにマーガリンを塗っていると、台所から母親の声が飛んできた。
「今年は雄一も受験生やな」
 食欲の失せる話題だった。おそらくは、俺と同じく高校三年を迎えた人間の八割は今朝
、似た台詞を親から聞かされていることだろう。心から同情する。同情ばかりしてられな
いのが悲しいが。
「大丈夫やろ、そろばん検定一級持ってるし」
「阿呆。そんなん、今の世の中に通用するわけないやろ。せめて、パソコン検定一級とり
や」
 そろばん検定一級の方が価値が高いと思うのだが、親は俺の意見には賛成でないらしい。
電化製品もろくに使えないのに、やたらとTVで喧伝されるITだの情報技術だのを崇拝
しているのだ。おのれ森前総理。
 食事に時間をかけていては、面白くない話を延々と聞かされそうだったので、俺は食事
の手を早めた。
「そんなに急いで食べるんじゃない。消化に悪いやろ」
 どないせえっちゅうねん。

 朝から重い気持ちで一杯だった俺は、通学路を歩く学生の中に知り合いの姿を見つけた。
 軽いソバージュに大きめの眼鏡。今では眼鏡も随分と小さくなっているというのに、埃
が入りやすくなるやん、と昔ながらのフレームを使用している強者だ。ちなみに、眼鏡を
外すと突然美人になったりはしない。
「よう、徳湖」
「や、雄一。どしたん? 新学期だってのにテンション低いけど」
 あっさりと今の俺の状態を看破した立野徳湖に溜息に載せて返事を返す。
「朝っぱらから受験生、受験生連発されたんだよ」
「あ、やっぱり雄一も? うちもそうなんよ」
 二人して溜息をつく。やはり、どこの家庭も一緒のようだ。
 たわいのない話で盛り上がっていると、俺らはほどなくして我がH西校に辿り着いた。
公立みたいな名前だが、歴とした私学である。
「北浜先輩、立野先輩、おはようございます」
「おはよう、二人とも」
 先に声をかけてきたのが南方圭司、俺たちの一個下の学年にあたり、数学部の後輩であ
る。もう一人は西中島涼子。ミスH西高に選ばれたこともある美女は、優しげな笑みを浮
かべていた。
「おはよ、南方君、涼子」
「おはよう。涼子ちゃん、南方」
 H西校のダーク・クイーン(徳湖のことだ。念のため)がさっそく二人をからかった。
「朝から二人で仲良く登校? いやー、熱いわね」
「ふふ、そういう立野だって北浜君と一緒に登校しているじゃない」
「たまたま、そこで会ってね」
 ああ、やっぱ涼子ちゃんはいいなあ。涼子ちゃんの優しい微笑みを見るたびに、南方に
やったのがひどく残念に思えてくる。
 と、後ろから殺気を感じた。
 ぶるぉん。
 俺の脇を飛び出したバイクは南方と涼子ちゃんを隔てるようにして停止した。バイク男
はヘルメットを取って涼子ちゃんに挨拶した。
「おはよ、姉ちゃん」
「もう、家でも言ったじゃない良ちゃん」
 南方と涼子ちゃんが付き合って以来、予想以上の姉馬鹿ぶりを見せつけている西中島良
太だ。事ある毎に二人の邪魔に入る弟のことを、ちょっと変だな、くらいにしか涼子ちゃ
んは思っていない。というのは南方の言だが、案外南方を試しているような気もするので
ある。
 危うく轢かれそうになった南方は顔面に冷や汗を垂らして硬直していた。

 新学期と来ればクラス替えである。
 ねーねーどうだった私A組げっあいつと同じ組かよえー私B組ところで担任ってC組ま
ともな男いないわねやったねまた同じクラスだよ。
 大盛況の廊下をすり抜けて、張り出されたクラス表に俺たちは目を通した。
「俺はB組だな」
「私もB組」
「俺もB組や」
「ちっ」
 俺の舌打ちを西中島良太が耳ざとく聞きつけた。
「待て北浜、その舌打ちはどういうことや」
 分かっているくせに、確かめねば気が済まないのか西中島良太。
「どういうも何も、お前が思っている通りのことだ」
「言ってくれるな北浜」
 西中島良太の敵意が主に南方へ向かっているため最近忘れかけていたが、こいつは元々
、我が終生の好敵手なのだ。
 俺は西中島良太から少し離れてファイティングポーズを取る。ジャブ、ジャブ、ストレ
ート。うむ、今日のパンチの切れなら西中島良太とも互角に渡り合える。
 がたいのいい西中島良太は軽く足を開いてこちらの攻撃を待ちかまえている。よし、乗
ってやろうではないか。
 利き足で踏み込んだ俺に教師の怒号が飛び込んだ。
「ホームルームだぞ。早く自分の教室に入れ」
 何時の間にかホームルームの時間になっていたらしい。互いに中指をおっ立てて俺たち
は階段を上った。三年の教室は二階、二年の教室は三階にあるので二階の踊り場で南方と
別れ、俺たちは三年B組の教室に飛び込んだ。

 てんでばらばらに好きな場所に座っていた生徒を無理矢理出席番号順に座らせて、新し
い担任教師仁村均は出席をつけた。そのあとすぐに廊下に並ばされ(これも出席番号順だ)
、体育館向けて出発する三年B組。
 校長の”有り難い”に心の中で突っ込みを入れ、教頭の新入生歓迎会に関する注意事項
を右から左に聞き流してようやく始業式は終了した。
 つくづく、学校は忍耐と服従を学ばされる場だと思う。
 教室に戻ると、早速ホームルームが始まった。全員が席に座っていることを確認した仁
村は、
「よし、それではホームルームを始める」
 はい、はい、と手を挙げる生徒がちらほら。その内の一人を仁村はしかめ面で指名した。
「クラスの席替えをしましょう」
 教室中から、特に最前列の生徒から歓声が上がった。
 最前列の生徒の気持ちはよく分かる。授業中うたた寝することも出来ないし、チョーク
の粉はかぶってしまうし、悪いことづくめだ。視力が悪い連中は喜ぶかもしれないが、幸
い俺の視力は両眼とも1.2だ。
「すまん、先生がクラスの名前を覚えるまで、そうだな一週間くらいしたら席替えするか
ら、それまで待ってくれ」
 不満を残しながらも、なんとか静まる教室。
 仁村は分の悪い雰囲気を察して、ことさら明るい声で言った。
「代わりと言っちゃ何だが、お前達に朗報だ。なんと、我がクラスに留学生が転入するこ
ととなった」
 その言葉に、教室全体が一斉に沸き立った。
 性別から容姿、真面目なところで日本語喋れるんですか、など質問が飛び交った。
「先生」
 騒がしい教室で不思議に通る声。涼子ちゃんだ。
 手を挙げたわけでもなく、普通に喋っているだけなのに、いつの間にかクラス中が涼子
ちゃんの言葉に注目していた。
「うち私立でしょう。しかも三年の受験シーズンに、転入生が来るって変じゃありません
か?」
 あっさり担任は涼子ちゃんの疑問を認めた。
「まあ、よくあることじゃないな」
 珍しいからと言ってあり得ないことじゃない。彼女は向こうで進学を既に決めていて、
日本には半年の留学の予定で来ることになった。また彼女は、彼女が住むことになった場
所から一番近い学校を選んだ。それが我がH西高だった。
 要約すると、そんなことを仁村は話した。
 主に男子生徒の早く出せコールに押されて仁村は教室を出ていった。
「なあ、雄一。男子生徒が転入生を金髪と思ってるかどうかで賭けへん?」
 後ろから賭けられた声に俺は振り向いた。徳湖だ。
 賭けがどうのこうのというより、徳湖は男子学生を皮肉っているようだ。
 俺は答えた。
「転入生が金髪かどうかじゃなくてか」
「そっちでもええけど。雄一はどっちに賭ける?」
 横からしゃりしゃりと西中島良太が口出しをする。
「俺は金髪ではない方に五百円賭けるぞ」
「賭けにならんね」
「そうだな」
「それじゃあ、私が金髪に百円賭けようか」
と提案したのは勿論涼子ちゃんだ。
 損するだけだからやめときなさい、と徳湖が涼子ちゃんに説教していると廊下のドアが
すっと開いた。
 快活な声が教室に響く。
「Hello♪」
 日本人には概してあり得ない流暢な英語だった。
 後ろを向いていた俺は慌てて前――教卓に立つ女生徒に目を向けた。
 髪はくすんだ黄色だった。瞳は滑らかなサファイアブルー。
 愕然として口を開ける俺、徳湖、西中島良太の三人。あら、と涼子ちゃんは首を傾げる。
 歓声と口笛を受ける女生徒は明らかに俺たちに向けてくすっと小悪魔の笑みを浮かべた。
「賭け金は私が総取りね」
 言うが早いか、”かつら”と”コンタクト”を投げ捨てる。
 唖然とする俺たちに背を向けて、彼女は自分の名前を黒板に書き付けた。なかなかの達
筆だ。
「楊花(やんふぁ)です。中国の上海から来ました。半年の間ですが、どうぞ宜しくお願
いします」

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