役立たず再び!
堤防ちかくのあぜ道に二人の女が立っていた。”二人の女”と表現したが、
より正確を期すのならば、一人の女性と一人の少女と表現した方がよかろうか。
更に言うとそのうちの一人は、少女といったほうがより確かだろう。
女は精悍な顔つきで、、質素な衣服を身につけていた。
身を飾る装飾品は全くというほど着けてない。が、美人であることは疑いない。
美人と見れば見境無く声をかける軟派な男はそこそこ栄えた街ならば
どこであれいるものだが、そんな男たちが街で彼女を見つけたとしても、
彼女に声をかけることは出来ないだろう。
彼女のその豹のような眼光に、普段から彼女が発している『気』に耐え、
彼女のすぐ傍で日々を過ごせる人間などざらにはいない。
女の名は、夜主。
少女のほうは、実に可愛らしい顔立ちをしていた。
また実に年頃の娘らしく、耳飾りが両方の耳に着けられている。
とはいえ、旅の同行者を見れば、ただ可愛らしいだけの娘ではないことが判る。
少女の名は、梨乱。
*
今、夜主と梨乱の二人が見つめているものは、勢いよく燃えさかる薪、
薪の発する熱に炙られている魚、そして魚を刺してある木の枝だった。
二人が見つめる中、魚の一匹を、最も脂の乗っていがゆえに火の通り方が不十分の
魚を刺してある串を、夜主がその手に取る。
すぐさま夜主は梨乱の目をかいくぐり、口に運び咀嚼した。
「いやあ、いつも湿気た干し肉ばっか食べてもんだから、
たまにはこういう新鮮な魚を食べるてっのもいいもんだね」
「あーっ! 夜主さん、私がちょっと目を離してる間に、
なに勝手に先に食べ始めてるの! しかもその魚、それは私が目を付けていたのに。
だいたい、誰が作った釣り竿で魚を釣ったと思ってるの」
「魚を釣ったのは私だぞ。お前にどうこう言われる筋合いはない」
悪びれもせず言い返す夜主の言葉に、”うっ”と言葉に詰まる梨乱。
ところで、話が出来るのはこの一行ではこの二人だけではない。
その”もう一人”に梨乱は矛先を変えた。
「ねえ、捜魂環、私の方が正しいよね」
とそう梨乱が話しかけたのは、捜魂環。
夜主の指にはめられた指輪である。
かといって、梨乱が「おかしい」人間というわけではない。
この捜魂環は意志をもった指輪。無論、こんな道具が人間界に
もともとあるわけじゃない。
和穂という仙人が誤って人間界に落としてしまったのだ。
この捜魂環のような不可思議な道具を、人々はこう呼ぶ。「宝貝」と。
「捜魂環、もちろん私が正しいよな」
多数決による敗北を防ぐべく、夜主は捜魂環に圧力をかける。
夜主の指にはめられていることが示しているが、捜魂環の所有者は夜主である。
そのことを優先すれば、夜主が正しいと言うべきなのだろうが、
わざわざ梨乱の目をかい潜ってまで魚を奪った夜主には十分に非があった。
夜主を立てれば道理が立たないし、かといって梨乱を立てれば、
これ以降しばらくは夜主にいびられる事となるだろう。。
つまり、捜魂環にとっては、どちらとも言い難いのだが、
あいにく発言しないことを許してくれる二人でもない。
だいたい、この二人は毎日毎日、つまらないことで口げんかを起こし、
(口げんかだけで終わることさえ稀である。)
毎回毎回、捜魂環は仲裁に入るのだが、それで二人が喧嘩を止めてくれた事は
今までに一度たりとて無かった。
*
「全く、そんなに仲が悪くて、よく一緒に旅が出来ますね」
そんな捜魂環の苦悩を解消してくれたのは、横から割り込んできた声だった。
「いえいえ、喧嘩するほど仲が良い、と言うでしょう・・・」
呑気に話す捜魂環を黙らせ、二人は見知らぬ声が聞こえた方向に向かい構えを取った。
断っておくが、彼女たちはまだ他にも宝貝を2,3持っているが、
捜魂環以外に人と「話せる」ものはない。
宝貝とは、神秘の道具である。それを狙う人間は後を絶たないし、
宝貝を一つでも手に入れた者は、その魅力に取り憑かれ、
さらに多くの宝貝を求めるようになる者が多い。
事実、夜主もその様な人間の一人なのである。
二人は、横から割り込んできた声の主を、こうとらえた。
「自分たちの宝貝を奪いに来た敵である」
もしくは「自分たちに恨みを持った敵である」と。
つい先日も、剛始という男に襲われたばかりでもあった。
「この口調からして、またどっかの商人の道楽息子か?
まったくいい加減にして欲しいよな。どうせならまとめて一度に出て来な。
一人一人、性根を正していくのも面倒だろうが」
と振り向きながら夜主は言い放つ。
「あんたなんかじゃ、この夜主さんにはかないっこないわよ。
見たところ、武術の心得も無いみたいだし、その槍も宝貝じゃないでしょ」、
と振り返ってから梨乱は相手に忠告する。
梨乱達に話しかけてきたのは、まだまだ年端もいかない少年だった。
夜主の視線を真っ向から受けても少しも怯んだところが見られない。
怯むどころか、まるで『自分にかなう者などいない』、と考えているような目を
夜主に、そして梨乱に向けていた。
少年は梨乱の忠告を無視した。
「心配はいらない。この錆びた槍でも、十分君たちを倒せるよ。
それじゃあ、死闘を始めようか」
少年は『死闘』という部分に力を入れていた。気の利いた冗談のつもりらしい。
「そうそう、自分を殺した人間の名前ぐらい知っておきたいよね。
僕の名は航晶。ま、覚えていられるのもあと数分の間だけど」
そう言った少年の姿が、掻き消えた。
そのこましゃくれた態度に怒りを覚えた夜主が航晶に仕掛ける。
航晶の声が聞こえた方向に風の速さで踏み込み、鋭い拳撃を放つ。
だが空振りに終わる。さすがに位置は変えていたようだ。
多少、航晶を見直して夜主は辺りの気配を探る。
だが、うまく気配を隠しているのか、気配を感知できない。
と、遠くに殺気を感じた。ちょうど梨乱がいる辺りだ。
夜主は急いで警告を発する。
「梨乱!!」
夜主に注意されるまでもなく、梨乱は気配を察知していた。
武術を囓ってないようにも、囓っているようにも思えた中途半端な気配だった。
にもかかわらず、少年の姿が見えないことに一抹の不安を感じながらも、
梨乱は殺気の飛んできた方向へ拳を放つ―――何もない場所に向かって。
慌てて拳を止める梨乱。そこに大きな隙が出来てしまった。
止まった拳の近くに、突然草臥れた槍の穂先が出現した。
相手は拳を潰すつもりだ! 手の甲を狙って突き出される槍。
「くっ・・・」
梨乱の手に一筋の紅い線が刻まれた。手に穴を穿とうとした槍の一撃を、
拳を回転させる事で、防いだのだ。
姿が見えず、足音も聞こえず、大概の気配までも消している敵。
状況は、二人にとって明らかに不利だった。
夜主は梨乱を援護しようとしたが、敵は一撃離脱を繰り返している。
援護すら難しい状況だった。こうなったら手は一つである。
「梨乱、一時退却!」
梨乱に近づいた夜主は、言うなり梨乱の服の襟をひっ掴む。
「ち、ちょっと待ったーー。」
夜主の意図に気付いた梨乱は悲鳴を上げる。
夜主の履いている革靴は、宝貝『俊地踏』。
風の速さで移動することが出来るのだが、疾走時に発生する
風圧やら何やらから使用者を保護出来ないのが欠陥だ。
勿論、襟首をひっ掴んで他人ごと移動するなどもっての外である。
*
「はあ、はあ、はあ、・・・」
「なんだ、軟弱だね。ちょいと走っただけでもう疲れたのかい?
それに、助けてくれた夜主様に対して、何か言うことがあるだろう」
「はあ、はあ、はあ、・・・」
乱暴な手段と知りつつも、夜主が逃げに回ったのには理由がある。
1: こちらが攻撃してから、梨乱が襲われるまでにかなりの時間があった。
ということは、相手は高速で動けないのだ。
2: あの航晶とか言う坊やに仕返しをするための名案がない。
一時撤退して、相手の宝貝の種類を見極め、方策を決めるべきだ。
3: 梨乱に対する嫌がらせになる。
「梨乱、いつまでも休んでないでお前も相手の宝貝の正体を考えろ。
いつまた、あいつが襲ってくるか判らないんだぞ」
「夜主様、それは無理というものですよ。俊地踏を使った状態で
梨乱様を引っ張るなんて。梨乱様、大丈夫ですか?」
「はあ、はあ、まったく、なんて無茶な、ことを、してくれたわね。
我ながら、よく生きてる、ものだわ」
「ああ、確かにアレで生きているのは凄いと私も思うがな」
しれっと夜主が言う。その言葉を聞いた梨乱の目に危険な光が灯るが、それだけだ。
それどころではないほど疲労困憊しているのだろう。
*
梨乱の息が整うのを待って、夜主は状況を整理し始める。
「今度の相手の特徴は、まず姿が見えないこと。気配までも消していやがる。次に、
足音が無いこと。これらについての対策はないかい、梨乱」
「まあ、強い感情は隠せないみたいだし。少なくとも航晶にやられることはないわね。
でも、逃げるのはもう勘弁して欲しい。ふう、姿を隠す宝貝か・・・え?」
どうやら、梨乱は何かに気付いたらしい。身を乗り出して夜主が迫る。
「どうした、梨乱。何か心当たりがあるのか?そんなら早く喋った方が身のためだよ」
「夜主さん、本当に気付いてないの。ほら、あの『隠身衣』よ。」
隠身衣。使用者の姿と気配とを消す力があるが、姿や気配を消すために
使われている『闇』が使用中に蓄積されてしまうため、ついには
隠身衣を着なくても、姿が見えなくなってしまうという欠陥を持った宝貝だ。
かつて夜主が盗んできたのだが、いくら使い勝手が良くとも、
こんな危ない宝貝はとても使うに使えない。
夜主は隠身衣を捨てるよう主張したが、
梨乱はもともと和穂を探して旅をしているのだからと、
ついでに和穂に届けるよう主張した。
いくら協議しても結論が出ず、業を煮やした夜主は、夜中梨乱が寝ている隙に
こっそりそこいらの湖に捨ててしまったのだが。
どういった経緯を経て航晶の手に渡ったのか。
その宝貝は今、何故か再び二人と相まみえている。
「なるほど、ではあの航晶坊やにその事を伝えてやれば、大人しく引いてくれるな。
ふっふっふ。隠身衣を脱いだら、ボコボコにしてやる」
ああいった性格の人間に対する夜主の態度の冷たさは並ではない。
「ちょ、ちょっと夜主さん、穏便に、穏便に。
それに、あの少年が持っているのは隠身衣だけじゃないはず。
足音を消すというのは隠身衣には含まれていないもの」
ということは、隠身衣以外にもまだ航晶は宝貝を持っているということだ。
「そんなことはとっくに気付いている。航晶をボコボコにした後、
懐を漁るついでに、他の宝貝も捜しておこう」
いくらなんでも、これは酷すぎる。
*
それから二人で隠身衣への対抗策を考え、三日の間、二人は動かずに航晶を待った。
勿論、航晶を誘き寄せるためだ。
おそらく、航晶は二人の位置を探し出す術を持っているはずだ。
その宝貝について、夜主が捜魂環に尋ねたが、捜魂環は「心当たりはありません」
と答えた。そのせいで、またも捜魂環は夜主に冷たく当たられたが。
そして、ついに航晶がやってきた。夜主では相手をからかうばかりで
説得など出来ないと見た梨乱と捜魂環の多数決で、
説得役は梨乱と決まっていた。
航晶は前と変わらず古びた槍を持っていた。
「へえ。僕を待っていてくれたんだ。なにか、良い方案が浮かんだのかな。
でも、どんな策も僕には無意味だよ」
そして、相変わらず小生意気だった。
ぶち殴ろうとする夜主を梨乱と捜魂環必死になって抑える。
「ねえ、航晶。あなたが来てる隠身衣は危険な宝貝よ。
このままずっと使用していれば、あなたは生活できなくなってしまう。
何しろ、姿も気配も無いんだから。お願い、お姉さんたちに宝貝を渡してちょうだい」
だが、その一言も航晶には効果が無いようだった。
少年は悠然とした構えを崩していない。
「なんだ、そんなことか。知ってるよ。でも、僕には関係ない。
その効果を打ち消す宝貝を持っているんだ。さて、お喋りは
このくらいにしてもらおうか。君たちも素直に宝貝を渡せば、身の安全は保障するよ」
ついに我慢の限界を超えた夜主が梨乱を押しのけ、前に出る。
しかし、その時既に航晶の姿は消えていた。
二人は背中合わせになって身構えた。その手には、球状の物が握られている。
「一応、用意はしてきたんだね。僕には無意味だけど」
その声は遠くから聞こえてきた。
声を手がかりに攻撃されるのを恐れているのだろう。小心な航晶を鼻で笑う夜主。
「無意味かどうか、自分で確かめてみるんだね」
返事は無かった。てっきり『では、お言葉に甘えて確かめさせてもらいましょうか』
とでも言ってくるとおもったのだが。
殺気はまたしても梨乱に襲いかかった。
どうやら、航晶は梨乱を与し易しと見ているようだ。
夜主はほくそ笑む。あいつが与し易いだと?
槍が空を裂く音が聞こえる。梨乱は声の聞こえた方向に腕を向けた。
くぅっわぁっーんっ!!
金属同士がぶつかって甲高い音が聞こえた。
その声を聞くより速く、梨乱は手にしていた球を地面に叩きつけた。
航晶は、少し驚いていた。どうやら梨乱は腕に手甲を着けていたらしい。
この分だと、夜主も着けているのだろう。辺りを見回すと、夜主が接近していた。
やばいやばい、さっさと逃げよう。横目でちらりと見ると、梨乱は鼻を塞いでいた。
『はて?』
そんな航晶の視界に、黄色い煙が入ってきた。
梨乱の目の前で、航晶は咳き込んでいた。
これなら姿が見えなくとも、用意に航晶の居場所が判別できる。
「ふふん♪ どう、私自慢の特製煙玉は?」
横では夜主までもが咳き込んでいたが、それは置いといて。
後で文句を言われるだろうが。
咳き込みながらも槍を振り回す航晶だが、そんな力の篭もっていない攻撃は
梨乱には通じない。槍を梨乱が握った感触を得た航晶は―――
*
航晶が目を覚ましたとき、自分は何故か縛られていて、あの夜主という女が
自分を見下ろしていた。慌てて自分の身の回りを確かめたが、
やはり、既に隠身衣は取り上げられていた。
「さあ、尋問開始といこうかね。
ああそうだ、よくも煙を向けてくれたな梨乱。勿論、止めたりしないよな」
夜主は自分の不注意で煙を吸い込んだのを梨乱に八つ当たりしているのだが。
一方梨乱の方も、何故自分たちを襲ってきたのか、
その辺りの理由は是非とも知りたいところである。
「まあそれはともかく、どうせ言っても止めないんでしょ。
私も襲われた理由を知りたいし。出来るだけ穏便にね」
「出来るだけ、ね。そいつはこいつの出方次第だね」
夜主は航晶をジロリと睨む。
「おいこら、未成年を縄で縛るなんて、何て野蛮な奴らだ。人権侵害だ、訴えてやる」
まだまだ反抗的な航晶の言葉、ではなく航晶の言葉に含まれた単語を聴いて、
夜主はキョトンとする。
「なあ梨乱。人権ってなんだ」
「最近、流行りの言葉よ。人間が生まれながらにして持つ幸福に生きる権利、
ということらしいわ。訴えるっていうのは、言わなくても分かるよね」
「いや、訴える位は分かるが。・・・法なんぞ、『殺すな、傷つけるな、盗むな』
で十分じゃないか」
「仮にも盗賊の夜主さんの台詞じゃないわね。盗みは御法度じゃないの?
・・・まあ、そういう事。すごい街だと、死刑をなくす運動が盛んだとか」
「死刑をなくす?この世には、死刑にしてなお飽き足りない人間がいるというのにな」
どうやら、夜主は自分が死刑を科せられそうになったことは忘れてしまったようだ。
「そんな事はどうでもいい。―――で、ええと、何だっけ? ああ、そうだ。
なら梨乱ちゃんよ、この場合どういった罪があるのかな、この航晶少年に」
「それについては、私がお答えいたしましょう」
と言ったのは、戦いの場では活躍できなかった捜魂環だった。
「まず、やはり暴行傷害ですね。夜主様もこの少年に暴力を働きましたが、
それは正当防衛ですから。町にもよるのでしょうが、十日ほど独房に
いれられておしまいでしょうか」
すらすらと答える捜魂環。
「ところで、正当防衛とは何なんだ。結局の所、私に罪はないようだが」
「判りやすくいいますと、まあつまり、相手が先に仕掛けたのだから、
相手が一方的に悪いということです」
そこに割ってはいる航晶の声。捜魂環は彼にも話しかけていたのだ。
「待て、僕はその夜主とかいうオバサンには危害をあたえて無いぞ。
だから、梨乱を襲ったのは罪と認めてもいいが、夜主も罰せられるべきだ」
オバサンと言われて、大人げも無く夜主は航晶をブン殴った。
捜魂環は平然と後を続けた。
「認めましたね、航晶少年。夜主様はご友人の梨乱様が襲われたのを黙って
見過ごすことが出来ず、あなたに襲いかかったのです。
ですから、夜主様には情状酌量の余地があります。
それに対して、あなたは宝貝を奪うことが目的だったのですから、
やはり非は貴方にあります。何といっても、あなたは梨乱様を襲ったことを
罪と認めたのですから」
厳格な裁判官のごとくに、航晶に告げる捜魂環。
捜魂環の言葉に対して、「私は梨乱を助けようとなど思ってない!」と
こっそりと夜主が反論したが、「そういうことにしておけばいいんですよ」
という捜魂環の言葉にそういうものかと納得した。
*
悔しさのためか肩を震わせていた航晶に、優しく梨乱が声をかける。
「ねえ航晶君。私たちももうこれ以上あなたを責めるつもりもないし、
キミの持っている宝貝を出してくれないかな」
「師匠!私を弟子にして下さい。」
急に勢いよく顔を上げた航晶は、そう発言した。
「へ?私?だめだめ、そんな柄じゃないよ」
多分に面食らった梨乱に航晶は、冷たく言い放つ。
「お前じゃないよ。お前みたいな小娘に教えてもらうことなどあるもんか」
「小娘・・・」
小娘と言われた梨乱を夜主がからかう。
「はっはっはっ。まあ、ここはお姉さんみたいな人生経験豊かな人間が選ばれる
ということだよ」
そんな夜主に対しても、航晶は冷たく言い放つ。
「キミでもないよ。キミみたいな学の足りない人に教えて貰うことなんか」
二人して冷たくあしらわれた梨乱と夜主は、互いにひきつった顔を
見合わせると、夜主の指にはめられた指輪を見る。
「ひょっとして、師匠とはこいつのことかい?ほら、捜魂環、何か喋りな」
何かお見合いの時に言われるような古典的ともいえる夜主の言葉だ。
「師匠とは、私の事で?」
その声は、確かに指輪から聞こえてくる。そのことに気付いた航晶はそれにも構わず、
「ああ師匠!師匠の形がどうであろうと、私は気になど致しません。
私は、貴方のその大いなる知識を持って私を導いて欲しいのです」
「そうは言われても、私の使用者は夜主様ですし。夜主様が望めば、話は別ですが」
幾分困惑した捜魂環の声。
言葉使いや態度がどうであろうと、やはり航晶は言い訳のきかない子供に過ぎない。
『どうすれば子供を言い聞かせる事が出来るのか?』
そんな気持ちが捜魂環の端々に表れているのだが、
航晶は全然そんな大人の気持ちに気付いてはくれなかった。
「そんな、師匠。あなたがそんな学の足りない女の風下に立つなんて間違ってます。
どうか、私を導いて下さい」
「夜主様、宜しいですか。私がいなくなっても」
夜主たちは、夜主に掛けられた動禁錠の鎖を断ち切るために、
地上に宝貝をばらまいた和穂の元へと向かっている。
動禁錠の鎖を断ち切るには、武器の宝貝が必要なのだ。
そして、和穂は、お供に刀の宝貝たる殷雷刀をつけている。
捜魂環もいくつかの宝貝を見知っているが、
戦いに関する宝貝ではないために、武器の宝貝の知り合いはほとんどいないのだ。
それゆえに、和穂のもとへと辿り着くのが最善手と思われた。
そして、その和穂の居場所を知るには、捜魂環は絶対に必要な宝貝なのである。
「いや、許さん。こいつがいなくなるといろいろ面倒なのでね」
悪いが、坊やには宝貝を全て置いてからどっかにいってもらうよ」
と言って航晶の襟を掴むと、
「さあ、さっさと宝貝を出してもらおうか!少なくとも、
隠身衣の闇に対抗できる宝貝に、足音を消すことのできる宝貝があるはずだ」
と脅しにかかる夜主に、航晶は唾を吹きかける!
今度こそ、彼はぼろぼろにされてしまった。
*
「これが、隠身衣の闇に対抗できる宝貝、『白香塵』だ。
おしろいの宝貝なんだよ。この宝貝が出す霧が隠身衣の闇を薄めてくれるんだ。
これ単体でも、気の疲れがとれる霧を発生させる事が出来る。でも、隠身衣の闇を
払いながらじゃむりだけどね」
夜主にぼこぼこにされても、こんな尊大な態度を取れるとは、
なかなか将来が楽しみな若者だ。
「何の宝貝でもかまわんさ、これで隠身衣も使い放題だ」
夜主は、体全体で「ヒャッホウ!」と叫んでいる。
隠身衣の『闇』が装着者の身に付着してしまうのは、本来身を隠すのに必要な
『闇』の量よりも、隠身衣の発生させる『闇』の量が多い事による。
適度の量であれば『闇』は自然界に拡散されるのだが、量が多いと拡散しきれず
使用者の身の回りに溜まってしまうのだ。
白香塵は、その拡散しきれない部分をいわば中和しているのだ。
ただ、実際には身を隠すために使う『闇』の一部まで中和してしまうのだが。
まあ、本来の使い方ではないのだから、仕方あるまい。
「じゃあ、白香塵の欠陥は何?」
興味津々といった風に尋ねる梨乱に対して、
「まあまあ梨乱ちゃん、そんなことどうでもいいじゃない。
少年が今無事なんだから、そんなに酷い欠陥はないだろう」
「思いっきりはしゃいでるわね、夜主さん・・・で、欠陥は?」
鷹揚に頷く航晶少年。
「うん、大した事じゃない。おしろいってのは、
異性の気を引くために使うものだろ」
どういう生き方をしてきたのか、随分と知識が偏っている。
「だけど、この白香塵は、逆なんだ。こいつを使うと嫌われる、
というわけではないんだけれども、だれにも好きになってもらえないんだ。
全く、このことを使ってから知ったときはどうしようかと思ったよ。
実は、僕はもう結婚は諦めているんだ」
二人の顔に縦線が浮かぶ。二人とも、よく言えば個性が強く、
悪く言えばあくの強い女性だ。
『梨乱ちゃん、そんなに何でも一人でこなせると、可愛い気がなくて男にもてないぜ』
『夜主さんが言うと、説得力があるね』
なんていう風に、口げんかの種にもなったりする。
勿論、結婚が全てではないけれども、結婚は絶対に出来ないとまで
言われて平静ではいられない。
完全に投げやりな口調で梨乱が言う。
「どうする、夜主さん。どうしても、隠身衣を使いたい?」
こちらも投げやりな口調で言う。
「いや、そこまでして・・・。大体、私の様な手練れにはさほど必要ではないしな。
で、足音を隠す宝貝については?」
「ふん、そんな簡単にこの僕が秘密をばらすとでも思ったのかい」
言って航晶はバサッと髪の一房を持ち上げる。
が、坊ちゃん頭なので似合わないこと甚だしい。
一通りポーズを済ませた航晶の目は、間近に夜主の拳を見つけた。
くぁわしぃぃーん
いやに鈍い音を立てて、航晶の頭はゆっくりと倒れてゆき、
ついには足と頭の高さが同じになる。が、そどまで。
とっさに梨乱が足を差し出して、それがクッションとして働いたのだった。
「ちょっと、夜主さん。あのままだったら下手したらこの子死んでたよ」
「わりぃわりぃ。ちょっと力加減を間違えてな」
しばらくして目を覚ました航晶は、夜主が本気で自分を殺すつもりだったと
気付いたか、大人しく喋り始めた。
「これが、宝貝『静響踏』。足音を消す宝貝さ。欠陥は、男性専用の靴であることかな」
口は相変わらずの航晶少年ではあるが、恐怖の色が見え隠れするその瞳は、
ちらちらと夜主の様子を伺っていた。
航晶が指し示している靴を見て、夜主は首を傾げた。
「男性専用だぁ?! そんなことあまり関係ないと思うが。ちょいと貸してみな」
強引に静響踏を取り上げて、静響踏を履こうとする夜主。
静響踏は、夜主の足にあわせてその大きさを変えた。
「ほれ見ろ、ちゃんと私に会わせてくれるじゃないか」
そうは言ったものの、いざ足を突っ込んでみると、なんだか落ち着かない。
どこかに違和感があった。試しに走ってみる。
そうすると、その違和感・不快感は耐え難いものとなった。
梨乱も試したが、結果は同じだった。
これは男性専用の靴だ。自分たちには使えない。そう二人は結論づけた。
ここで、梨乱がすっかり忘れていた疑問を思い出した。
湖に沈めた隠身衣をどうやって手に入れたのだろう。
「ああ、それね。家の事業でその湖で干拓を行ってね、
見つかった隠身衣を無理矢理言って手に入れたんだ」
『家の事業・・・?』
二人の呟きが重なる。
航晶。家が裕福である。生意気な性格をしている。姓は航である。
なにやら、二人共が知っている人物に似ていた。
いままでその点を気にしなかったのは、航晶がそのとある人物の知り合いなら、
その人物は必ず自分の名前を言わせるであろう、と思っていたからだった。
恐る恐る、梨乱は航晶に訪ねた。
「ねえ、航昇って人が知り合いにいない?」
「ああ、兄さんだよ。そう言えば、兄さんが宜しく伝えてくれって」
『・・・』
航昇。その名前は二人に苦い思い出を呼び起こさせる。
梨乱は、彼によって村が『泥』に襲われ、打開策として制作した浮鉄を
うち砕かれた悔しさ、そして悲しさ。
夜主は、彼によって自由を奪われ、操られた怒り。
『他には何か?』
「ああ、いつか復讐してやるって言ってたよ」
「そうか。・・・では、なぜ君は私たちを襲ったのだい?」
夜主の声は低く、そして堅いものとなっていった。
良くない兆候である。怒る寸前だ。
「ええと、それは・・・」
「どうしたんだい。言わないとどういう目に遭うかまだわかってないのかい」
「いや、言った方が余計に酷い目に遭わされると思うんだ」
『言え』
二人の有言の脅迫。航晶はそれに耐えきった。ただし三分が限度だったが。
「君たちを倒すことと引き替えに、兄さんが譲られるはずの財産の三分の一を
僕に渡す、といった契約を結んで・・・」
「そうか、よく言ってくれた。今から君の兄さんを全殺しにしてくるから、
兄の財産は全て君の物だ。ただし、君も半殺しの目に遭ってもらうが」
「あのー、夜主さん、殺すのは幾ら何でも・・・」
「何を言う! 梨乱、お前も彼奴には恨みがあるだろう」
「ほら、『殺すな、傷つけるな、盗むな』という法三章もあるし」
「ちっ。つまらん事を言ってしまった。ならば、せめてこいつだけでも殴らせろ!」
夜主が目で指し示したのは、勿論哀れな航晶くん。
「この子が航昇の手先になったというのは事実だしね。
でも、出来るだけ穏便に済ましてよ」
よっしゃあっっっ!!!
一声叫ぶと、夜主は航晶を連れて森へと踏み行った。
悲鳴。それもすぐに止む。航晶が気絶したからだ。
梨乱はそう推測して、耳を塞いで森から離れていった。
*
半日後。森での狩りを終えた猟師が上機嫌で家へと帰る途中、
子供の死体を発見した。いや、そう思ったのは気のせいで、その子供は生きていた。
猟師は急いでその子供を村へと連れ帰り、村にあるただ一見の診療所に担ぎ込んだ。
子供を医師の所へ連れてゆき、猟師の役目は終わった。
ここからは、小さな物音にも怯えて大声で泣き出す患者を
暖かく見守ってゆく、医者と看護婦の物語である。
『白香塵』 精神浄化作用を持つおしろいの宝貝。これを使えば気分スッキリ。
航晶が語った欠陥は、実に恐ろしいものである。
『静響踏』 その名の通り、足音を消して移動することの出来る宝貝。
欠陥は、男性専用であること。女性である龍華にとっては
役に立たない宝貝のはずだが、なぜこんな物を作ったのだろうか。
[index]