夜主と欠陥宝貝
どこにでも訪れる夜。どこにでもある街。では、この街の何処が他の街と違うのか
というと、その唯一の事柄は宝貝があることだったりする。
まあ、近頃ではそう珍しいことではないのかもしれないが。
雨の降る夜の街に一つ、人影がポツンと存在していた。隙一つ無く存在する影。
その影の形から、影の主は女性であろうと推測出来る。
では、美人なのだろうか。だが、この夜の暗闇の名かでは定かではない。
しかし、例えこれが昼の太陽の視線に晒された姿だったとしても、
彼女の美醜は判断しにくい。
なぜならば、彼女はその顔の殆どを布で覆っているからだ。
布の隙間から、溶岩の熱さを持つ強い意志を感じさせる瞳が二つ覗く。
この女の名は夜主。宝貝を追い求める女。
*
「なあ、捜魂環よ。本当にこの屋敷に宝貝があるってのか。
昼間、ここをじっくりと観察させて頂いたし、この屋敷の情報を集めたりしたが、
ここに住んでいるのはこの街で一番繁盛している服飾店の老主人、元主人だぞ。
屋敷に屈強な用心棒がいる気配は無い。まあ、使用人の幾人かはいるようだが、
別段怪しいところはない」
「そう言われても。夜主様、確かに『隠身衣』はここにあります。
その事については間違いありません」
「だが、『衣』の宝貝が服飾店の元主人の手に渡ったというのか?
それはあまりにも安直すぎやしないか」
いつになく、夜主は慎重な態度で今回の仕事に挑んでいた。
それというのも、近頃はまともな宝貝にありつけなかったからだ。
「そうだ。きっとあの服飾店は海運業も営んでいて、私が屋敷に踏み込んだ途端に
『ふははは、引っかかったな、愚か者め。儂の屋敷に入ったのが運のつきだ。
それい、皆のもの、奴を引っ捕らえよ!』とか何とかいって、屋敷の中から
雇われの兵士どもがわらわらと出てくるに違いない!」
その突飛な想像に呆れる捜魂環。
「夜主様、自分でも信じていないことをよくもそう、堰を切ったように話せますね。」
「わかっている。あの屋敷の大きさでは、出てきたとしても十人ほどだろう。
恐れることはない。この俊地踏がなくとも、そのくらいなら余程の
手練れでない限り余裕であしらえる」
「あくまで自分の意見を主張するんですね。夜主様」
*
今回、夜主が狙っているのは衣服の宝貝、『隠身衣』。使用者の姿を隠し、
気配までも消すことが可能な宝貝である。(捜魂環・談)
昼間の内に街で聞き込みや脅迫などで情報を収集した夜主は、
この屋敷に宝貝があることを、宝貝の持ち主が服飾店の老主人であることを
突き止めていた。
そして今、宝貝を入手しようと夜更けにかの屋敷に忍び込もうとしていた。
*
昼間見たところでは、この屋敷に異常は無かった。
屋敷を取り囲む塀の高さも通行人から中を覗けなくするほどであり、
信じられないほど無防備な事には、屋敷を見張る犬の一匹とていないのだ。
『どうしてこんな所に宝貝があるんだろな』
等と考えつつ、夜主は今一度、捜魂環に対して隠身衣の欠陥を確認した。
「捜魂環、隠身衣の欠陥はなんだったけな」
「たしか、身を隠せる時間が極端に短かったはずです。たとえ夜主様でも五分
持てばいいところでしょう。普通の人間なら三十秒と持ちません」
宝貝に好かれてもそんなに嬉しくはないが、自分を慕ってくれるというのは
気分のいいものだ。が、この美貌の炎応三手使いを怪物扱いするのは許せん。
「捜魂環よ。何度『私を化け物扱いするな』と注意すればわかるのだ?
今回ばかりは許してやるが、次回はないと思えよ。
もし次があったならば、問答無用でお前をそこら辺の道端に捨ててやるからな。
しっかりと覚えとけよ」
「どうかお許し下さい、夜主様。そんなつもりではなかったのです。私はただ
夜主様を尊敬して・・・」
哀れなほど震える捜魂環の声。
「まあ、許してやろう。それに、ここでのんびりしている暇はない。
朝食に遅れたら、梨乱にばれてしまうしな。そろそろ始めるぞ」
*
そう、夜主は手錠の宝貝『動禁錠』の束縛を断ち切るために、梨乱と旅をしている
最中なのである。動禁錠のせいで、夜主は梨乱から一里以上離れられないのだ。
とはいえ、梨乱と旅をしているからといって、宝貝探しを止める夜主ではない。
旅の間も捜魂環に宝貝反応がないか、調べさせているのだ。
つまらない宝貝なら、梨乱にも教えてきたので、そう不信感は抱かれてないだろう。
そう、こんな使える宝貝を梨乱に教えてやるものか。
*
屋敷に忍び込んだ夜主は、周囲の気配を探りながら着実に、しかし大胆に
目的地へ向かって移動する。屋敷にいる使用人その他はあわせて10人ほど。
この広さなら適当な数だろう。
「ふむ。どうやら、本気で罠じゃないらしいね。使用人が多いわけでもないし、
こりゃ楽勝だな。なあ、捜魂環よ」
「夜主様、油断大敵ですよ」
「お前に言われるまでもない。ところで、こちらの方向でいいのか?」
『本当にわかってるんですか?この前も油断して失敗したじゃありませんか』
との思いが浮かぶ捜魂環だが、さすがに口に出すほど愚かではなかった。
その代わりに夜主に返した返事は、
「はい、夜主様。ここから十歩進んだ左から反応が出ています」
「よし、目指す隠身衣までもう一息だな」
どうやら、そこは屋敷の主人の部屋のようだ。つまりは、件の老主人の。
その部屋の近くで立ち止まる夜主。捜魂環はその行動を不思議に思って
夜主にその真意を訊ねる。普段なら中に人がいようと躊躇しない夜主である。
「どうなされました、夜主様。なにか不都合でも?」
「いや、大したことじゃない。どうやら、まだご主人様は起きていらっしゃるらしい。
まあ、難関を突破してこそ、欲しいものを手に入れる喜びというものが
あるんだが。こいつは一暴れできそうだね」
基本的に、夜主は自分の思ったこと、考えたことを迅速に実行に移す性格である。
珍しく部屋に入る事に躊躇したとはいえ、やはり夜主は夜主であった。
躊躇したのも短時間のこと、夜主は老主人の部屋へ力強く踏み込んだ。
戸を音も立てずに開ける夜主。開ける際に確認できたのは、
老人と彼から離れた場所にある布団の側に置かれている衣服。
おそらくはこれが隠身衣だろうと夜主は検討を付けた。
注意深く老人を観察する。この年まで店を切り盛りしてきた貫禄が
全身に漲っていた。老人とはいえ、油断していい相手ではあるまい。
「爺さん、さっさと宝貝を渡してもらおうか。その年で怪我は辛かろう。
さっさと渡した方が身のためだよ」
この老人が所持している宝貝が隠身衣だけとは限らない。
この前のどこぞの三男坊の時も、捜魂環が記憶していない宝貝のせいで
不覚をとったのだ。老人の動きに警戒をしつつ、隠身衣に近づく夜主。
隠身衣まではまだ遠い。
「ふむ、宝貝というと、お主が狙っているのは隠身衣じゃな。
ふん、そんなものさっさと盗って行くがよい」
「何を考えている、このじじい!私を罠にはめるつもりか」
突然の申し出に困惑したことを隠すためにも、そういきがってみる。
一体どういうことだ?命が惜しいが、自分の誇りも守りたいためにああ言ってみたのか。
もう一度、老人を注意深く観察する。間違いない、この老人は自分に怯えているわけでも、
虚勢を張っているわけでもない。この老人の目は真っ直ぐに私を見つめている。
この眼差しは、剛毅といった言葉そのものを顕わしている。
ならば、この申し出は一体!
「まあ、確かに儂の言葉は信じられぬじゃろうがな。
儂はそんな衣服なぞ、いらぬのだ」
「何を馬鹿なことを。宝貝は、その本能で自分を望む人間の元へと現れる。
隠身衣がじじいの元にある以上、じじいが隠身衣を望んだはずだ!」
「全く、疑り深い御仁よな。まあ、盗賊としては当然なのじゃろうがな。
なら、儂自身が隠身衣から離れようかの」
離れると見せかけて、助けを呼ばれては困る。だが、もう少しじじいが下がれば、
助けを呼ばれても安全にこの屋敷から逃げ出せる。
「よし、離れてもらおうか。ただし、五歩だけだぞ」
なんと、言われたとおりに五歩だけ離れる老主人。
夜主は、風の速さで隠身衣をひっ掴み、すぐに屋敷から脱出する。
追っ手のかかる気配はない。そのまま裏路地へ向かう。
屋敷に忍び込む前に振っていた雨は、まだ降り続いていた。
*
「捜魂環よ、取りあえず今回の首尾は上々だな。いつも
このくらい上手く行くといいんだが」
「さっきは『難関を突破してこそ』とか仰っていませんでしたか?
それはともかく、長居は無用です。さっさと宿に戻りましょう」
「まあ待て、こいつを試してからだ」
ぽん、と夜主が叩いたのは勿論『隠身衣』。
人がいないことを確認して、(これには二重の意味があるが)
隠身衣を着た夜主は、近くの水たまりへと足を進める。
そこに映った夜主の姿は・・・。雨が降っているので分かりにくいが、
そこに夜主の姿は髪の一房すら映ってはいなかった。
「はっはっは。今回は実に大成功だな。捜魂環、お前も偶にはこういった
使える宝貝を覚えているんだな」
夜主に褒められ、捜魂環はあまりの至福に天へと登る気持ちになる。
『ああ、夜主様についてきて良かった。これまで幾度と無く無茶な命令を受け、
数え切れない程の無言・有言問わずの圧力・いびり・脅迫。
でも、これで私は救われた・・・。ああ、夜主様に(エンドレス)』
自分の世界に入り込んで喜びに陶酔する捜魂環。
それに突っ込みを入れるはずの夜主は、調子っ外れた歌を歌っている。
だったのだが突然、捜魂環は耳障りな音を聞きつけた。
『私がせっかく幸せな気分に浸っていたというのに、それを邪魔するのは誰ですか!』
と捜魂環は考えた。
が、ふと気付いてみると、音を立てているのは、自分自身だった。
夜主は捜魂環を岩に叩きつけているのだ。
自分と岩が衝突して鳴る音を背景に、捜魂環は夜主の声を聞いた。
地獄から響いてきたような夜主の声を。
調子っ外れた歌を歌っていた夜主の機嫌は、
捜魂環が陶酔している間にとことん悪化していた。
夜主の機嫌が悪化した原因が見えなかった捜魂環は、愚かにも尋ねてしまった。
「いかがなされました、夜主様。何か不都合でも?」
捜魂環の質問を聞いた夜主は、これまでよりも激しく捜魂環を岩へと打ち付けた。
捜魂環には痛覚はないのだが・・・。
ここに至って、捜魂環は自分に夜主の怒りのその原因があるのでは、と推測した。
それと時を同じくして、その怒りは単なる八つ当たりで、
自分はその怒りを甘んじて受けるしかない、という事も悲しいほど理解してしまった。
「教えてやろうか?こいつが何と言ったかを」
女性とは思えぬ程に低く押さえられた夜主の声。
だが、その声は確かに女性のものであり、更に捜魂環の恐怖を煽る。
「やかましい、どうしてお前の見知っている宝貝はみんなこうなんだ。
この『衣』が何といったと思う。こいつは『使用中、身の回りに張り巡らされ、
外部から姿と気配を遮断する「闇」ですが、使用が終わってもそのまま
身の回りに残ります。まあ、一度や二度の使用なら心配はいりませんが、
長時間の使用や幾度もの使用は控えるのが賢明です』とこうほざきやがったんだぞ」
「夜主様、私に八つ当たりしてもどうしようもありません。
それより、隠身衣をどうなされるおつもりですか」
*
”八つ当たり”という言葉に加速された激高を何とか押さえ、
夜主は今後の方針を模索し始めた。さて、このやっかいなものをどうしてやろうか。
「そうだ、お前を包んで、どこかの溝に放り込むというのはどうだろう」
「夜主様、どうかそれだけはお許し下さい、どうか!」
ならばどうしようか。悔しいが、捜魂環無くしては宝貝捜索など不可能だ。
それに、盗んだものを返すというのも腹が立つ。何より自分の自尊心も傷つくしな。
困って空を仰いでみれば、いつの間にか雨は止み、空は白みがかっていた。
もう夜が明けてしまう。もう迷っている暇はない。何かいい手はないのか!
足を深い溝に挟まれて出られなくなってしまった様に、夜主の思考は空を彷徨う。
その時、夜主の鍛え上げられた耳に、音が突然飛び込んできた。
その足音と思われる音は、夜主を思考の淵から抜け出させた。
その口元には笑みが浮かんでいる。獰猛な獣が狩りの獲物を目の前にした、そんな笑み。
追っ手か? 足音の響きからすると、追っ手は一人であるよう思われた。
厳しく訓練された兵士であれば、多人数を一人と思わせることも可能かもしれないが、
ここは辺境。そこまで訓練された兵士がいるとも思えない。
「どうやら、追っ手をかけられたらしいね。
それにしても、たった一人で私をどうにかできると思われるとは
この夜主も甘く見られたもんだ」
ついに追っ手が姿を見せる。追っ手は、まるで知り合いのように
夜主に対して気安く声をかけてきた。
「やっぱり夜主さんか。こんな所で何をしてるの?」
からかうような追っ手の声。いや、この声は・・・
「梨乱? どうしてここに」
「昼間、いやに夜主さんは服飾店を気にしていたでしょ。夜主さんが
服装に気を配るはずもないし。宝貝でもあったんじゃないの、と思った私は、
寝たふりをして夜主さんの動向を窺っていたのよ」
「暫くつけていると、夜主さんが屋敷に忍び込んだのが見えたから
取りあえずこの路地裏で待っていたのよ。まさか自分もあの屋敷に入るわけには
いかないもんね。共犯にされたらたまったもんじゃないし。
この街は裏道がたくさんあるから、この路地裏でいいのか
不安に思っていたんだけどね。諦めかけて次の路地裏へ行こうと思った時、
人の影が見えたので近寄って見たのよ。本当に、今日の私は運がいいわ」
ところで、その服はなに?」
『何だと。この私に、盗賊が本職であるこの私に気付かれないように
私を屋敷まで尾行していたというのか? こいつはそんな特技まで持っていたのか?」
ふと、夜主は屋敷から出てくるまで降っていた雨を思い出した。
自分は俊地踏と捜魂環、それと忌々しい動禁錠を”手にして”いるが、
気候・天候を操る宝貝『天呼筆』は梨乱が手にしている。
確か、天呼筆を使って降らせた雨は、使用者の知覚として感じ取れたはずだ。
と、いうことは。”屋敷から出てくるまで”降っていた雨によって、
私の行動は筒抜けだったというのか!!
くぅぅ。白々しくも”本当に、今日の私は運がいいわ”等と言いやがって。
この夜主が気付かないと思ったら大間違いだぞ。
それはともかくも、やはり隠身衣に気付いたか。
無論、これが宝貝だと分かっているのだろう。
そうだ、この厄介なものを押しつける良い機会ではないか。
ニコリと笑みを浮かべる。だが、それは獲物を捕らえた肉食獣の笑みであり、
自分でも分かっていた。捜魂環が五月蠅く言ってくるまでもない。
「ああ、これか。こいつは『隠身衣』といって、その名の通り使用者の
姿を消し、さらには気配をも消せる優れものだ。
日頃ただ飯を喰らっていることだし、その借りを返すためにもこれは梨乱にあげよう」
とことん不審気な眼差しを夜主と隠身衣に向けながら、隠身衣をうけとる梨乱。
「夜主さんがそんなことを言うなんて、思い切り怪しいわね。
隠身衣、あなたの機能を詳しく教えて」
といいつつ手を触れる。
先ほどの夜主の再現だろうか、一瞬青くなったかと思うと、すぐに
怒りの形相へと変化する梨乱の顔。
「夜主さん、どうもありがとう。気持ちはありがたく頂いておくわ。
なんて言うと思ったら大間違いよ!」
そう言い終えると、梨乱は隠身衣を夜主目指して投げつける。
夜主が隠身衣を叩き落とすと、梨乱が垂歩拳の構えをとっているのが確認できた。
そんな梨乱に応えて、夜主も炎応三手の構えをとる。
「一体、何が気に入らなかったんだい。夜主お姉さんに教えてくれないかな」
そして、捜魂環の制止も空しく、定例の『姉妹喧嘩』が始まる。
『隠身衣』 装着者の姿・気配を消す衣の宝貝。
欠陥は、身を隠すために使う『闇』が使用中常に身の回りに
蓄積してゆく為、ついには隠身衣を使わなくとも、
人々の目に触れられなくなってしまうこと。
詳しくは、透明人間に関する映画、小説を参照に。
ただし隠身衣の場合、ハッピーエンドはありません。
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