今日も元気が沢山ありすぎて困ってます、そうとでも言いたげな勢いでここ、
霧島医院の玄関と診察室の扉が次々と開く。
帰ってきたのは誰か―顔を見るまでもなく分かっている。霧島医院、ただ一人の医者
霧島聖の妹、霧島佳乃。その足下に驚異の毛玉生物がじゃれついている。
「ねえ、お姉ちゃん行人くんにあのこと話してくれたぁ?」
「あ、ああ。そうだったな」
一体、今度はどんな無理難題をふっかけるつもりなのか。
「何か言ったか?」
「空耳じゃないか?」
メスを構えて聖が脅しをかけてくる。立派な人権違反だ。国際人権裁判所に提訴
してやろうか。……しかし残念ながら、裁判に持ち込むだけの金がなかった。
「お姉ちゃん、ちゃんと説明してよ」
ぷーっと、木の実を含んだリスみたいに頬を膨らます。
子供っぽい仕草だったが、この少女の雰囲気と一致していて、違和感はない。
「うむ。私はだらだらと話すのは嫌いだからな、単刀直入に話そう」
「働け」
「働いてるだろぉがあっ! しかも、この病院の床掃除までさせられて!
しかも無償だ!」
思わず年甲斐もなく興奮してしまった。聖は興奮した俺を全く気にしない口振りで
先を続ける。
「つまりだな、ここで住み込みアルバイトとして働いてみないか?
一日三食の食事付き、寝床も待合室でよければ進呈しよう」
悪くない条件だった。いや、今の俺の現状―宿無し職無しの流れ者、からすれば
破格とも言っていい。
俺はすぐにでも頷きたい衝動をこらえて、
「考えさせてくれないか」
「え〜っ、こんなにいい条件他にはないよぉっ」
佳乃は俺の腕を引っ張って、ねえねえと呼びかけている。
「何か不満があるなら聞いてあげよう」
まず、その尊大な口調をどうにかして欲しい。
そんな胸中はおくびにも出さず、俺は指をぴっと一本立てた。
「いつまでもここにいる、というわけでもないからな。期日を決めて欲しい」
「そうだな…佳乃がバンダナを外せるようになるまで、ではどうだ?」
佳乃が大人になるまで。それは、いつのことだか分からない。
俺は、この申し出を蹴ってもいいはずだった。空の上にいる少女。
哀しい、哀しい風を一身に受けている。そして、今、この空の上にも。
俺の旅の目的。
そう、俺は旅人だ。幾日も、幾年も歩き続けて―そして、この街にやってきた。
ただそれだけだった。ここに来て、俺になかった何かを、俺は知った。
温もりを、他社との触れあいを知った。だから…
「わかった。それでいい」
いやったあっ! と文字通り飛び上がって喜ぶ少女。
俺はその少女の笑顔だけで、受けた甲斐があると思った。
「ぴこぴこぴこっ!」と器用に前足立ちからジャンプを見せるポテトは当然無視する。
改めて、俺の職場となったこの診察室を見つめる。かすかに漂う消毒液の匂い。
右手。パイプベッドの上にかけられた毛布は、清潔さを誇るかのように佇んでいる。
左手。おそらくはカルテが入っているであろう棚は、随分と使い込んでいるように
見えた。それは、この建物全体についても同じか。
聖が右腕を載せている机。先程の棚や、簡単な道具箱もこの上に載せられている。
ディスプレイが二代もあるのはどうしてだろう。
その上には、およそ使用の形跡が見あたらないホワイトボード。胸部X線写真を二枚
並べて貼ってある。
ふと、俺は気になって訊ねる。
「どうして器具もいないのにX線写真が?」
「いい質問だな、国崎君。まあこう、雰囲気と言ったものをだな。
このほうが病院らしいだろう?」
良くは分からないが―なにしろ俺が病院に厄介になるときというのは、
寒中路上で凍死しそうになったのを助けられたとか、そういった時に
限られているからだ―俺は頷いた。聖も満足げに頷く。
奥には、水道の蛇口が見える。水道周りは念入りに掃除しているらしく、
外から射し込む熱戦を反射していた。
すぐ横には、先程茶を淹れるために使われたポットと急須がおいてある。
「ではまず、これを腕に付けてくれ」
手の平に乗せられたものを見る。ありふれた腕時計だった。
アナログ式の、かっちこっちという音がやかましい。
「社会人として真っ当な仕事に就く以上、一分一秒たりとも誤らない姿勢で
望まなければならない。そこで、だ」
「そこでだぁーっ!」
「君には、その腕時計を常に身につけてもらう。
まあ安心しろ。今この時間から正確な体内時計を構築しろとは言わない。
ただ、時間を守るということに慣れてくれればいいんだ」
「慣れるのだぁーっ!」
流しの風来坊に時計は必要ないが、アルバイト青年には必要だろう。
俺は腕時計を腕にはめる。そして、腕の動きを確かめる。いつもと全く変わりない。
何か妙な細工でも施されているのではないか、と思っていたのだが。
「ちなみに、仕込み針を仕組んでいるからな。私の命令に逆らったら自動的に
麻酔針が打ち込まれる仕組みだ」
俺は慌てて腕時計を外した。
聖は表情をぴくりとも動かさず、むしろ仏頂面で言った。
「冗談に決まっているだろう、私は医者だぞ」
リモコンから自動車のラジエーターまで治す医者は安心できなかった。
「っと、言うことで。君を大東亜強行軍第二十三小隊隊員3号さんに任命するっ!
あたしは1号で、ポテトは2号だよ」
「ぴこっ」
俺はこの地球外モコモコよりもランクが下なのか? 悲しかった。
就職が決まった途端に佳乃に俺は連れ出されていた。
「ところで、今日はどこへ行くんだ?」
「未知の生物を目指して、まだ見ぬ秘境へレッツゴーだよぉ!」
未確認移動物体ならば、俺たちのすぐ横にいると思うのだが……。
「……やっぱりここか」
「うんっ、そうだよぉ」
「いつも同じ場所でつまらないなー、と思わないか?」
「やだなぁ。いつもと同じだからいいんだよぉ」
そんなものかもしれない。
佳乃に連れられて来た場所は、神社へと続く道の途中にある一本の橋。
ここまで来ると商店街の賑わいも(もとから賑わってないのかもしれないが)
潮の香りもどこか遠くへ飛んでいってしまう。
俺は欄干に腰掛けて、風を楽しむ。優しく染みいるせせらぎの音。
夏の風物詩といえばこれ、セミの声たち。風が運んでくる音に耳を傾ける。
スカートに気を付けて、佳乃がすぐ横に腰掛ける。
「いい風だね、行人くん」
言葉に出せない思いもある。だから、俺は何を言わずに頷いた。
佳乃がにっこりと、それ以外に形容しえない笑みを満面に浮かべた。
「ぴこぴこーっ」
ポテトも心なしか、楽しそうに見えた。
川面に西日の光が映って、幻想的な光景を映し出すまでゆっくりと辺りの風景を
楽しんで、俺たちは帰途についた。
「ただいま〜っ。お姉ちゃん、今日の晩ご飯は?」
「ぴこぴこぴこーっ」
「……ただいま」
照れくさい感じを隠せぬまま、帰宅の言葉を口にする。
家に、帰る。たったこれだけのことでさえ、俺の生活からはほど遠いものだった。
こういうのも、悪くない。
「おかえりなさい」
「ぴこっ」
二歩だけ俺より早く帰った一人と一匹が返事を返す。
手を挙げて返事の代わりにする。
「おかえり、佳乃。今日は私特製のジャンボハンバーグだぞ」
両手を挙げて喜びを表す佳乃。
前足をぴっこりと挙げて佳乃の周りを嬉しそうに巡回するポテト。
聖は二人を慈愛のまなざしで見つめる。その視線が俺の上を通った。
「……おっ、そういえば国崎君がいたのか。そうか、通りで材料が余ると思えば」
俺は玄関横に置きっぱなしにしてあった荷物を手にして、
「じゃあ、世話になったな」
「あわわっ、行人くんが行っちゃう」
誰かが俺の肩を強くつかむ。振り返って確かめると、やはりそこにあるのは聖の顔。
「君もつくづく冗談が解らない男だな。安心しろ、私は約束は守る」
笑えない冗談ばかり言うからだ。
「何か言ったか?」
シャキーンッ! 磨き上げられたメスが怪しい光を放つ。今にも「血が欲しい……」
と聞こえてきそうだ。
「いえ、ボスの高尚すぎる趣味についていけなかっただけです。以後、精進しますので
どうかご飯を食べさせてください」
食事が絡むと至上最弱となる俺だった。
ジャンボハンバーグは本当にジャンボだった。皿からはみ出しそうなまでの大きさ。
窮屈そうでこちらが哀れになってきたほどだ。しかも、なぜか丸かった。
満月のように丸かった。そのわけを聞いてみると、
「ふふ、それが霧島家秘伝の技だよ」
「秘伝だぁー!」
「この秘技を修得するまで五年はかかったからな」
「五年だぁー!」
「ぴこぴこぴこぴこぴこーっ」
モッコリ生物までもが強烈に主張する。
モッコリ生物……我ながら嫌すぎるネーミング。
「コツは、隠し味の豆板醤と味噌だ。ちょっぴり付け加えただけでこんなにおいしい」
「へーっ。そうなんだぁ」
まるで、深夜の通販番組のような口上だった。
皿に余裕がないから当然、付け合わせは他の皿に盛りつけられることとなる。
「このカボチャサラダは私の会心作だぞ」
「あ、こっちの春巻もおいしいよ〜」
俺は喋る暇もないほどに、とにかく口の中にものを詰めこんでゆく。
「うぐっ!」
の、喉に春巻が詰まった……く、苦しいっ!
急いで自分の湯呑みを見る―飲み尽くした後だった。
いや、少しでも水が残っていればなんとかなる!
湯呑みを口の高さに上げて、一瞬で逆さに持ち帰る。ぽと。無駄だった。
「わあ、大変だよっ! お水お水!」
「やれ仕方ないな」
肩を軽くすくめて聖が急須に手をかけて、持ち上げる。所在なくふらつく急須。
俺が湯呑みを持っているからだった。
「んぐー! んぁ」
や、やばい。気が遠くなりかけてきた……。
空。その向こう。一人の少女。悲しい。物語。法術。母さん。
記憶の断片が俺の脳裏を駆けめぐる。これが走馬燈だろうか。
「ほら、落ち着いて飲むんだぞ」
聖の声とともに差し出される器。それをがしっと右手でつかみ取る。
「ごご、ぐご、ぐぐ、ぐっ。ぷはぁーっ」
あー、死ぬかと思った。
「サンキュ。助かったぜ」
俺は命の恩人(人じゃないけどな)を机に置いて食事を再開した。
さすがに今度はゆっくりと食べる。
「えーと」
佳乃が俺の方を見つめている。心なしか頬が紅潮しているような?
「あたしの湯呑み返してくれないかな」
はて、あたしの湯呑み? 無意識に、俺の視線が下に落ちる。
湯呑みが二つあった。
右は俺の湯呑み。『行人くんの』と筆書きしているから間違いない。
もう一つは『あたしの』。となれば、もう一つの湯呑みには『お姉ちゃんの』と
書かれているのだろう。この字は佳乃の手によるものらしい。
じゃなくって。こ、これは、まさかもしかしてお約束の……。
考えるのもこっぱずかしい単語を頭の中から振り払い、俺は言った。
「すまん。今から洗ってくるわ、これ」
「いいよ。そこまでやらなくても」
佳乃がそう言うなら。俺はそのまま佳乃の湯呑みを手渡した。
聖に緑茶を注いでもらい、一口だけ口に含む。なんとはなしに俺は佳乃の
ことを見ていた。
「ふ、ふ、ふ。佳乃、嬉しそうだな」
含んだ調子の聖の声に、妹さんの顔が急変する。
「え? あ、そう、これはね」
どうもうまく言葉が出てこないらしい。
「国崎君も、どうして佳乃を見つめているのかな?」
「いや、なんとなく」
俺の回答に聖は盛大なため息をついた。何か不満があるのか?
「全く、困ったものだ。なあ、ポテト」
「ぴっこり」
何やら同意しているらしい。
そうこうしているうちに、あたふたしていた佳乃も落ち着きを取り戻す。
食後にはよく冷えたマスクメロンが出てきた。
一玉丸ごとを聖が抱えて持ってくる。そして、その場所―待合室で分け始める。
「だって、こうした方がおいっしいもんっ!」
「ぴこぴこーっ」
らしい。
目の前でメロンを取り分けていく様は、素人の俺からしてもかなり手慣れたもの
だった。いや、実際慣れているんだろう。
そして、8分の1に切られたメロンが俺の皿に載せられる。
早速フォークを手にとって―その前に聖に奪い取られる。
「君は、どうして昼間私が渡した腕時計をしてないのかな?」
「この通り、肌身離さず大切に扱っているであります。だから、フォークを下さい」
俺にフォークを渡すと、聖は机の下を見て、
「うまいか、ポテト?」
メロンを食う犬畜生。
「ぴ、ぴこ?」
俺の殺気に気付いたか、ふかふか犬が怯えた眼差しでこちらを見つめる。
甘い。きゅぅ〜んとか甘い声を出す見た目も可愛らしい犬ならともかく、
その程度で俺の殺気をどうにかできると思ったのか?
「ふ、愚かな」
ぽかっ。
「愚かなのは貴様だ。ポテトを苛めるんじゃない」
あんたが俺を苛めるのはいいのか。
俺は最後に苛烈な眼差しを毛玉生物に向けてから改めてメロンにスプーンをさした。
デザートを終えて、久しぶりに腹を収めた俺は、昼間俺が磨いた床に寝っ転がる。
冷たくて気持ちいい。思わず頬ずりしてしまう。
佳乃は晩飯を食べ終えるとすぐ「学校の宿題があるから」と自分の部屋へ
行ってしまった。聖も今は後かたづけで忙しい。昼間よりな、と胸中でつぶやく。
つまり、暇だった。しかも、何もやることがない。今までもそうだったと言われると
そうなのだが。
俺は、人形を取り出した。長年連れ歩いてきた俺の相棒。その年月を表すかのように
あちこちにほつれが目立っていた。……一度、修繕せねばなるまい。
人形を机の上に立たせる。そして、念を込める。
ひょこっ。立ち上がる。一歩、二歩と歩みを進める。そのまま机の端まで歩いて、
そこでくるりと向きを変え、大ジャンプ! 人形は俺の手元に戻ってくる。
パチパチパチ。おざなりな拍手が聞こえた。
「いやあ、いつ見ても素晴らしいな。仕掛けが全く分からない。
だが、おしむらくは動きが少ないことだな」
歩く、走る、飛ぶ。この人形ではそれ以上細かいことはできっこない。
かといって、新しい人形に変えるつもりは毛頭ない。俺はいままでこいつで
稼いできたという誇りもある。手放せない愛着も感じている。
俺の感情を読みとったのか、すまない、といった手つきを見せる聖。
「君の仕事を説明しようと思う。ついては佳乃を連れてきてくれ」
「あんたが連れてくればいいだろ」
食後の運動は体に悪い。
ジャキッ! 一瞬で白衣からメスを取り出す早業を見せて、俺に圧力をかけてくる。
「分かりました。喜んで呼びに行かせていただきます」
うむ、と聖がメスをしまうのを見届けて、俺は二階の佳乃の部屋へ向かった。
「これで全員集まったようだな」
全員―聖、佳乃、俺、ポテトの三人と一匹が診察室に集まっていた。
夜中、といってもまだ9時すぎだが、こんな夜中に若い男女が集まってやること
といえば。俺は狼狽もあらかに叫んだ。
「ま、まさか3P(+1)!?」
ジャキジャキジャキーンッ!
指と指との間にメスを挟むと、片手で4本まで握れることになる。
今、聖の手にあるメスの本数はは8本。つまり、交差させた両手いっぱいに
メスを持っている。
「貴様ぁーーっ、私と私の妹に対し、そのような不埒千万な思いを抱いて生きて
この場から逃げられると思うなよ?」
これまで見たこともない表情の聖。そう、今まではまさに冗談だったのだと
はっきり理解した瞬間だった。
「ア、アイアンクローっすか?」
ここがプロレスリングでなくてよかったと心底から思う。
「お姉ちゃんっ、落ち着いてっ!」
レフリーも俺の味方でよかったとつくづく思った。
「死にやがれこのあほんだらがぁーーーっ!」
興奮するとべらんめい口調になってゆくらしい。
俺が冷静に観察する内に、凶器が俺に近づいてくる。
殺人犯の腰に佳乃がひしっとすがりつく。そして、
「行人さんを傷つけちゃダメっ!」
「……そうか。佳乃は優しいな」
一秒で元に戻っていた。
落ち着いた聖を前にして、俺は言った。
「ならどういった理由で集まったんだよ」
聖は答えずに左手でメスを持ち上げ、水平に振りかぶった!
聖の横手に飛んだメスは壁に突き刺さる。
ぶぃーーーん。
何かの作動音。と、俺たちの立っていた床はゆっくりと下降を始めた。
その速度は大したことはない。エレベータよりもずっとゆっくりしていた。
だが、なかなか目的地(そう予想していた)に着いてはくれなかった。
「一体、どこまで下に降りるんだ?」
「そうだな、あと50m程かな」
トンでもなかった。まさか、貧乏医院の地下にこのような施設があったとは。
天井、つまり診察室から漏れる明かりもどんどん心細くなってゆく。
「しかし、これは建築法違反じゃないか?」
「君は、ときどき知らないでもいいことを知っているな」
俺の疑問をはぐらかす形で聖は答えを返す。もしかして違法建築か?
「行人くん、もうすぐ着くよ」
期待に、人をビックリさせて喜ぼうという期待に揺れる佳乃の瞳。
ろくでもないものが待ち受けているに違いなかった。
やがて、下降は終息した。静かに移動は終わる。だが辺りは完全に闇に
支配されていた。星も月もない、真性の闇。
ただ人を震え上がらせるためだけに存在するような闇を、無造作に聖は歩いてゆく。
カチャッ。
聖がレバーを上に動かすと、ぼわあっとその場は電灯で照らされてゆく。
そこにあった光景は……。
「なんだこりゃ」
そこにあったのは、20年以上前のSF構想を思わせる機具の数々。
「歓迎しよう、新しい隊員を。我々は、」
くいくい、と佳乃がぶすっとした顔で聖の白衣の裾を引っ張っていた。
ああそうだったな、と聖が佳乃に主導権を渡す。改めて発表します!
そんな笑顔で、佳乃は宣言した。
「我々地球防衛軍へようこそ!」
………………。
…………。
……。
はっ。
今、何か時代錯誤な名称を聞いたような。うん、きっと夢に違いない。
「ちなみに、お姉ちゃんが隊長さんで、あたしは参謀さん。
で、ポテトが隊員一号さんで行人くんは栄えある隊員二号さんだよ」
二号なのに栄光があるのか?
それはともかく。
「……帰る」
「わわわっ」
しかし、帰りかたが分からなかった。逃げるにも逃げれない。
「よく戻ってきた、隊員二号」
生真面目な声で聖が俺を呼ぶ。俺は頭を抱えてしゃがみこんだ。
ここには、まともな神経をしている奴はいないのか?
ぴこ、ぴこっ。
もこもこ生命体が俺の肩を俺も困ってるのさ、と言いたげに叩いていた。
ちょっと勇気が湧いてきた。
「どうかなぁ? 驚いたぁ?」
ああ。心底呆れかえってる。
「どうした。嬉しくないのか?」
真顔で首を傾げている聖。
「きっと、あまりの事態の急転直下ぶりに右往左往して疲労困憊なんだよぉ」
「そうだな。さすが私の妹だ、よく分かっている」
二人で和やかな乙女空間を作る姉妹。
それからは目を背けて、俺は部屋をもう一度見回してみる。
20年前のテレビを再利用しているのでは、と疑ってしまうやたらと丸みを
帯びた各装置のディスプレイ。
(ちなみに、最近のテレビはフラットタイプといい、平たい画面をしている。
これは、パソコンのディスプレイにも言えることである)
異様に大きい入力用のキーボード。一つのキーの大きさが今のキーボードの二倍は
あるのではないだろうか。これでは文字を打つこともままならない。
全面にある、主ディスプレイと思われる画面は横:縦が16:3くらいに見える。
どこからこんなものを調達してきたのだろう。
それらの装置は、銀紙を貼り付けたような光沢を放っていた。はっきり言って、
今見てみるとみすぼらしい感じがひしひしと伝わってくる。
正直な感想は自分の死期を縮めかねないので、当たり障りのない感想を言っておく。
「長官席はないんだな」
「うむ、予算が足りなくてな」
中央に置かれているパイプ椅子がその代わりらしい。
ああ首相、こんなところに無駄な予算が配分されています。
ぽかっ。
「国の金に手を出すほど愚かじゃないぞ。患者の診療費から差し引いている」
どうやら口に出してしまっていたらしい。それでも十分問題があると思うのだが。
俺は立っているのも面倒になり、四つあった椅子の一つに座る。
「どうかなぁ? 凄いよねぇ」
幸せそうな佳乃。少し胸を反らして、誇るかのように。
俺はそんな少女の顔を見て、ため息をついた。
「あれは、五年前のことだった」
唐突に聖が語りに入る。どうやら事態はシリアスモードに突入したようだ。
「あたしがね、お姉ちゃんにお願いしたんだ。地球防衛軍の隊員になりたいって」
いかにも佳乃らしいお願いだった。しかし、俺はすかさず突っ込みを入れる。
「あんたは妹が世界征服してと言ったら征服すんのか」
「当然だな。可愛い妹の頼みだぞ」
間髪入れずに答えは返ってきた。揺らぐことのない信念をそこに感じる。
できることなら、その信念はもっと有意義な方向に向かって欲しいものだが。
「それからは大変だったぞ。それらしく見える物件を探し求めてゴミ捨て場を
彷徨い歩いたものだ」
「うんうん、大変だったよぉ〜。朝早く起きるのも大変だったけど」
毎朝早いうちにゴミ置き場を漁る二人組。しかも両人ともが女性であり、
しかも片方は病院の責任者である。
俺はこの病院が流行っていない最大の原因を突き止めた。
「で、この結果がこれか」
「触るな。銀紙が剥がれてしまう」
やはり銀紙で誤魔化していたらしい。
完全完璧にやる気を失って下を向いていると、佳乃が悲しそうな声で話し出した。
「本当はあたしは隊員さん一号がよかったのに、お姉ちゃんは隊員は危険過ぎるから
ダメだって。だからあたしは参謀っ!」
最後にはそれでも嬉しそうな口調で。
俺と毛玉犬との視線が合った。今の話だと隊員は危険な任務に就くことになる
らしい。
「それで、君の仕事だが……」
そう、そう言えば俺たちが夜中集まった理由はそれだった。
……これが仕事か?
「そうだよぉ。聞いてビックリ、行人くんは正義のヒーロー役なんだよぉ」
聞いたところ栄光の晴れ舞台に思える。ただ、正義のヒーローというものは、
13話か22話に一度瀕死に陥らなくてはならないという鉄の掟がある。
そして俺は、痛いことやつらいことは好きではない。
「その役はこいつに譲ろう」
俺は謙譲の精神を発揮し、地球外生命体を指さして言った。
びくっと毛玉が震える。
「ダメだ。ポテトには君のサポートをしてもらいたいからな」
「も、もしやこの毛玉と合体して変身したりしないよな?」
もしそうだとしたら人類という種の存亡に関わる大事のような気がする。
が、あっさりと聖は首を横に振ると、
「ポテトの体の構造すら分かっていないのに、そんなことができるわけないだろう」
俺の体の構造とこいつのそれが分かったら合体してパワーアップするのだろうか。
14話あたりで。
俺はその姿を想像してみる。ベースはありきたりの戦隊物のレッド。レッドを
もこもこの毛玉が覆ってゆく。
とても弱そうだ。いや、雪男に似ているかもしれないから、力はあるかもな。
「さて国崎君、『変身』と叫んでくれないか」
妄想にふけっていた俺を現実に引き戻したのは、それもとても現実とは思えない
台詞だった。妄想に埋もれていたほうが幸せだっただろう。妄想とは得てして
そういった性格を持っているものだが。
「冗談じゃない! どうして俺がそんなことをしないといけないんだ!」
「ええっ! そんなぁ……ひどいよ、行人さん」
ショックを受ける佳乃に反応して、聖の手に魔法のような早業でメスが
セットされる。あのメス、ちゃんと消毒しているのだろうか。
二人に責められて、俺は嫌々「変身」と小声で言った。
ぴかーっ!
俺の左腕にはめられたブレスレット―もといブレスレットがまばゆい光を放つ。
と同時に、左腕から何かが膨らんでいく感覚が全身を覆う。
おぞましい悪寒に襲われた時間は、大したことはなかったのだろう。
光が収束したと同時に、全身を覆っていた感覚が途切れた。
急いで俺は左腕を確認する。赤いスーツの上に鈍く光る時計がはめ込まれる形。
続いて両足に視線を移す。赤い。容赦なく赤いスーツが体を覆っている。
不吉な予感に突き動かされてベルト辺りに視線を向けると、やはりあった。
変身ベルトだ。中央が円形に膨らんで、円の中心から放射状に線が延びている。
「ふ、ふ、ふ。これで今日から君は『ほほえみ戦士ユガオン』だ!」
正義のヒーローにしてはほのぼのした名前だった。
聖は悪の天才科学者よろしく説明を始めた。
「今、君が来ているそのスーツは、君のサイコキネシスの能力を5倍に増幅させる」
「増幅だぁ!」
「また、繊維に特殊金属を織り込むことによって極寒灼熱問わず活動が可能だ!」
「可能だぁ!」
「額のレーダーは10km先からでも敵を捕捉し、離さない!」
「離さなぁい!」
「…………」
「……」
「……予定だ」
つか、つか、つか。俺は堅い足音で聖に迫る。黒のサングラスに似た視界だったが
それくらいなら移動に支障はない。
「おや? もしかして、ちょっと期待していたのか?」
ぴたっと俺の足が止まる。図星だった。
この恥ずかしささえこらえれば、ウッハウハ。そんな明るい未来予想図まで
夢想していた。
ともあれ、俺は再び歩き始める。
「私を殴るつもりか?
いいだろう、そのスーツを脱衣するキーワードを知らない君が、どうしてもこれから
一生そのスーツで生活したいというならば、私も止めはしない」
俺は、聖の真ん前で立ち止まった。
「言え。さっさと」
殴らないのはせめてもの雇い主への配慮だ。
「……」
五臓六腑を引き裂いても飽き足りない女は、黙りを決め込んでいた。
「……」
「……」
「長官、教えてくださいであります。サー!」
やはり自分の身の安全が第一だった。
「外れろ、だ」
言われた通りに俺がキーワードを喋ると、スーツは見る間に縮んでどこかへ消えた。
着装時は気付かなかったが、普段スーツは腕時計に収納されているらしい。
どこか物理法則を超越しているような?
「うう、残念だよぅ……」
いつもの姿に戻った俺を見て、佳乃が悲しんでいた。
「でも、行人くんはいつもはブラックで、変身したらレッド。
一人二役は大変だねぇ」
近頃の正義のヒーローは過去と違い5人ならぬ三人だったりするから、
ポテトと合わせて数は足りることになるらしい。
「ところでだな。この部屋、やけに埃っぽいのはどういうわけだ?」
まずい質問を受けたと言わんばかりに聖の顔が歪む。
それを見て俺はずずいっと詰め寄る。
「そ、それはだな……」
「あたしが飽きちゃったからだよぉ。だって、せっかく結成しても敵が現れない
んだもんねぇ」
秘密は押し隠そうとする悪の女幹部を離れ、あっさりと露見した。
敵が現れたらどうするつもりだったのか。聞いてみたくもあるが、さっさとこの場所
から離れることが第一だ。
「でもねぇ、ポテトが来てくれたんだよぉ。それに、行人くんも」
逆接の接続詞、そして俺の名前。俺の歩みは自然に止まる。
奇天烈生命体と俺に再結成の秘密―いや、人数が増えたということだけだろう。
「ちょっと不思議な犬さんと、ちょっと不思議な人間さん」
「佳乃の言によると、ポテトは我々の知らない宇宙から地球人との友好親善を計るため
派遣された親善大使らしい」
嘘やっ! 大体、その知らない宇宙って何やねん! ごっつぅ怪しいわぁ。
俺の胸中を気にする聖でもなく、淡々と話を先に進めてゆく。
「だが、かの星には和平派ばかりでなく、軍事行動で地球を征服しようと企む一派も
あった。
彼らは秘密裏に地球への征服を開始し、半ばなし崩しに議会を切り崩そうと
している。我々は、ポテトの協力を借りて彼らに立ち向かわなければならないのだ!」
恐るべき事実が次々と明らかになってゆく。
議論を戦わせるぬいぐるみ型犬族。その短い手でぽちっと強力無比な破壊兵器の
ボタンを押す地球外毛玉。
もしかしたら有名な大予言にて語られる『恐怖の大王』はこの毛玉犬かもしれない。
俺は毛玉の中に埋め込まれた目玉をじっと見つめる。
……やはり、俺にはこいつの意志は読みとれなかった。
「へぇ、そうだったんだぁ。知らなかったよ。凄いんだね、ポテトっ!」
外地球生命体を持ち上げて、いや抱き上げて頬をすりすりしながら佳乃が誉める。
知らなかった……?
見ると、こそこそと諸悪の根源が逃げ出そうとしていた。
「こらぁ、待ちやがれぇ!」
俺は聖を捕まえようと走りだした。
聖の左足が軽くステップを踏む。ごごうっ、と地響きを上げて、エレベータが
降下時とは比較にならないスピードで上昇してゆく。
俺は地面に視線を落とす。先程聖の足が乗せられていた場所に、ボタンが一つ。
脱出時(?)のスイッチだ。
「戻ってきやがれーーーっ! てめぇの妹の純潔が奪われてもいいのか?」
俺としては殺し文句のつもりだった。だが、
「ふふ。君はそんな人間ではない。悪ぶっていても……」
言葉の最後は彼我の距離にかき消されて、聞こえない。
「あわわっ? も、もしかして行人くんと二人っきり?」
「ぴこっ」
聖の姿が見えなくなってからようやく、佳乃は事態に気付いていた。
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