スチャラカもくれんタマスダれ
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 今日も水瀬家では元気に銅鑼の音が朝から鳴り響く。
ぐわわわ〜〜ん! ぐわわわ〜〜ん! ぐわわわ〜〜ん!
「って、どうして銅鑼が鳴っているんだよ!」
 祐一と北川は同時にばっと布団を押しのけてそう叫んだ。
ぐわわわ〜〜ん! ぐわわわ〜〜ん! ぐわわわ〜〜ん!
 朝の惰眠を貪ることは許すまじとするその快音はいつまでともなく。
頭にまで響き渡る騒音に耐えながら、二人は速攻で着替えをすませた。
そのままの勢いで部屋から飛び出す。
「おっはよう、二人とも」
 にっこり笑って香里が廊下に立っていた。銅鑼とばちを手にしていた。
「ところで今、何時なんだ?」
「七時よ。早く下に行って朝食を作ってね」
 二人は三十分は早いと思った。そして、それよりも聞き捨てならない言葉があった。
”朝食を作ってね。”とは一体。

 自慢ではないが、祐一には煮魚を作ろうとして
鍋ごと焦がしてしまった思い出がある。強火のまま火にかけたからだ。
水の味がするカレーを作ったこともあった。水の量が多すぎたらしい。
 そして北川にもこれまた苦い思い出があった。
両親が揃って一週間ほど旅行に行った時のことだった。
コンビニ食品に飽きたかれはシチューでも作ってみようと思った。
ルーの箱の裏面は作り方を丁寧に教えてくれるからだ。
 材料はありきたりのものだ。鶏肉、じゃがいも、にんじん、ブロッコリーなど。
それらを油をしいた鍋で焦げないよう軽く炒める。
 次は鍋に水を入れて中火でとろとろと煮込んだ。いちいち火加減を変えるような
ことは面倒だからしない。そしてテレビを見ながらふと料理のことを思い出した。
いくらなんでも焦げ付いてはいなかった。最後に牛乳を入れて弱火でコトコト。
 レンジでチンして二分でご飯。
まあいいだろうと思って火を止めて深皿に盛りつけた。
 味はまあまあだった。ルーを入れすぎて溶けていない事態も免れていた。
しかし、材料がみな、鶏肉を除いてトロトロに溶けていた。
歯ごたえといったものは皆無だった。ブロッコリーなどはもはや完全にスープと
一体化していた。
 そういった過去を持つ二人の男性にとって、自分で料理しろなどと言われるのは
首に縄をつけてバンジージャンプしてこい、と言われるに等しい。

「あの〜、出来れば香里様に調理して頂きたいのですが……」
 祐一と北川の二人は揃って床に這いつくばって懇願した。
しかし香里は冷めた目で二人を睨んでそれを拒む。
「何言ってるのよ。パンをトースターに入れて、卵をフライパンで焼いて、
サラダをガラス皿に盛りつけるくらいなら出来るでしょ」
 まあそのくらいなら支障無い。
 男性陣が納得したのを見た香里は廊下の奥へ歩みを進める。
大きく息を吸って、渾身の力を込めて銅鑼を叩く。
 どぅいぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜んっ! どぅいぃぃぃ〜〜〜〜〜〜〜んっ!
 祐一はたまらず香里の肩をつかんで、そして耳元で怒鳴った。
「近所迷惑になるからやめてくれ!」
「何言ってるのよ。名雪の目覚まし時計たちが近所迷惑にならないんだから、
これが駄目な訳ないでしょ!」
「他にも起こし方があるだろ? 脇をくすぐるとか」
「もうやったわ。効果は無かったけどね」
 さすがに祐一も呆れて物が言えない。
と二人の肩を北川がちょいちょいと何か言いたそうにつついていた。
「俺にいい考えがあるんだ」
 未だかつて北川の”いい考え”がうまくいった試しはない。
「眠れるお姫様を起こすのは王子様のキスと相場が決まっている」
 ことにもかいてそれかい。案の定、つまらない考えだった。
「ああ、それいいわね。じゃあ相沢君頼んだわよ」
 しかし、香里はあっさりその案に乗ると連れ添って(実際は北川が
ついていっているだけかもしれない)階下へ降りていってしまった。
「何なんだよ、もう」
 理不尽な思いに捕らわれながら、祐一は礼儀として名雪の部屋のドアをノックして
それから中に入った。

 いつ入っても変わらない目覚まし時計たちの群。
よく見るといつも二、三個入れ替わっているのは、毎月名雪が「起きれないから」
と買い足しているからに違いない。
 さて、どうしようかと祐一は考えた。この目覚まし時計が起動するには
まだ20分ほどの余裕があった。それまで待てば起こしやすくなるのだが、
自分がここでこうしている間にも下ではお食事会が開かれていると思うと
心安らかな気持ちになれなかった。
 脇腹をくすぐってみる。やはり起きない。
布団をはぎ取ってみる。しっかり掴んで離さない名雪までついてきた。
髪を引っ張ってみる。同時に足をくすぐるという高等技も披露する。
耳元で大声を出す。「起きろっ!」それでもすやすやと眠っていった。
 ここにいたってはアレしかないのか? いや待て、と辺りを見回す。
何となくだが、隠しカメラがあるような気がしたのだ。しかし、無い。
 覚悟を決めて名雪の顔に近づいてゆく。
何度もしたことではあるが、やっぱり今でも恥ずかしかった。
二人の唇が軽く当たる。名雪の目が重たそうに開かれてゆく。
「わっ」
「お、起きたみたいだな……」
 おいおい、これはどういうことだよと胸中で、祐一。
「起きたら目の前に祐一の顔が……びっくりしたよ……」
 はあ、そうですか。祐一は残念なような、安心したような気持ちでいた。
「ほらさっさと起きろ。早くしないと北川にご飯を全て取られてしまう」
「香里がいるからそんなことはないよ」
 寝起きの名雪は、意外と鋭かった。



 この階段にも随分慣れたな。今なら寝ていてもトイレに行けそうだぞ。
そんなことを考えながら祐一は階段を降りてゆくと、焦げ臭さが漂ってきた。
「全く感心するわ。よくもまあ、こんなに……」
 台所を覗くと、そこには黒い物体があった。
「何だ、これ?」
「目玉焼きよ。わからないでしょうけど」
 ほほう、と祐一は感心した。ここまで酷い料理センスを持っている人間が
あゆ以外にもまだいるとは。改めて地球の広さが身にしみて分かる。
「まあまあ。トースターはいい焼き加減だし、サラダもあるんだから」
 香里に慰められる北川は残骸をゴミ箱に移し、悄然としてテーブルに移動した。
「あんたは大丈夫でしょうね……」
 香里が疑わしげな目つきで祐一を見つめる。実に居心地は良くない。
「生焼けでも我慢する」
 祐一の言葉に一つため息をつくと香里もテーブルに向かった。

 祐一は自分の取り分、パン二切れをトースターにセットしてテーブルに座る。
焼けるまでの間に目玉焼きを食べていると名雪がようやく一階へ降りてきた。
名雪は一直線にテーブルを目指して歩いた。
「くー」
 テーブルに座ると右耳をつけて寝始める名雪。
祐一は更に二枚のパンを焼こうと思った。
「はむはむ……イチゴジャムおいしい……」
 右耳はテーブルにつけたまま名雪はジャムをたっぷり塗ったトーストを口に挟む。
「お行儀が悪いわね……」
 そう呟いても直させようとはしない。無駄だと分かってしまっているからだ。
今の時刻は七時三十五分。学校の始業式まで余裕はたっぷりとあった。



「なのにどうしてわたしたち走ってるのよ!?」
「多分、後かたづけをしていたからだとは思うんだが……」
 やっぱり始業式の日でも四人は仲良く通学路を走っていた。
祐一や北川にはかなりつらい速さで走っているのだが、
陸上部の名雪、そして香里にはまだまだ余裕がありそうだった。
「げ、元気だよな美坂さん」
 息を荒げての北川の言葉にも、祐一は頷くのがやっとだった。
 道路の上からは雪は姿を隠してしまったが、塀のすぐ内側や林の中には
まだ残っていた。人の足で踏みつけられて黒ずんでしまっているとはいえ。
「到着だよー」
 楽しそうに言う名雪の言葉に、予鈴のチャイムが重なった。



 始業式も終わり、自分たちの新しい教室に戻ってくると、
クラスメイトが話しかけてくる。
「よっ、今年もギリギリだったな」
「大変ねー、そうだ、もう少し起きるのを早くしたら?」
 そういった役にも立たない会話を続けていると、担任教師が入ってきた。
去年の担任と同じ―クラス自体が持ち上がりだった。
「んあー、さて、それでは席替えを行う」
 クラス中から悲鳴が上がる。これまで慣れしんで来た我が家を
離れなければならないのだから当然だ。
「せんせー。別にこのままでもいいじゃないですか」
 同意の声があちこちから上がる。こういう時同意しないのは、日当たりが悪いとか
一番前の列にいるだとかいう不満を持っている連中だけである。
「そうか? じゃあそれでいいか」
 担任のやる気にかけるところがある所は去年と変わりなかった。
クラス中で歓声がこだまする。
「よかったね、祐一」
 心から嬉しそうに隣の席の名雪が祐一に笑いかけた。祐一もそれに笑顔で答える。
「北川、俺の後ろはお前に頼んだぞ」
「おう、任しとけ。しかしどうせなら美坂さんを守りたいな」
「そう、それは残念だったわね」
 周りにはたわいないやり取りに見えても、それはとても楽しいものだった。
「それと、新入生くんだ。それも二人」
 担任のこの言葉にざわついていた教室は更に収集がつかなくなる。
「先生、新入生は女子ですか?」
 二番目の列にいる男子が先生に質問した。目は祐一を向いている。
悪かったな、俺は男子でと祐一は苦々しげに笑った。
「二人とも女子だ。さあ、入ってくれ」
 担任の手招きに応じて、言葉通り二人の女子が入ってきた。

 一人は眼鏡をかけていて、きつそうな性格に思えた。
「やっほ〜、祐一君、名雪さんっ」
 そして、もう一人は祐一の顔なじみの―月宮あゆだった。
「やっほ〜」
 両手を振っているあゆに合わせるように、名雪も大きく手を振る。
祐一は頭を抱えた。どうしてあゆがここにいるんだよ。
「席はと……北川の後ろと横でいいな。北川、廊下に机があるから取って来てくれ。
では、10分休憩だ」
「起立、礼!」
 学級委員のかけ声に合わせて礼をすると担任は廊下へ出ていった。
「おい相沢、何か忘れてないか?」
「そういえば、わたしも何か忘れているような気がするよ」
「そうか? 別に何も……」
 三人して首をひねる。見かねて横から香里が口を出した。
「さっき礼を言ったの、去年の学級委員よ」
 きっとさっきのことを言質に今年も学級委員にされてしまうだろう。
可哀想だが、自分は絶対にやりたくないとも思う祐一だった。

「祐一君助けてぇ……」
 悲鳴の元をたどってみればあゆが男子に取り囲まれて質問責めにあっていた。
子供っぽい容姿とはいえ、冷たそうな女子よりはよっぽど話しかけやすいからだろう。
「おい、相沢」
 北川にせかされて祐一はあゆを見捨てると北川の手助けをするため
廊下へ出ていった。互いに机と椅子を一対持ち上げて教室に戻ると
先生の指示通り北川の後ろと横の空いているスペースに置いて自分の席へ戻った。
「ふう……これで一仕事終わったな。名雪、あゆはどうした?」
「ほら……助けてあげようよ」
 あゆを取り巻く人の輪は、あゆで遊ぼうとした女性陣によって
更に厚みを増していた。あの包囲網と突破してまで助けたくは思わない。
「なあに、もうすぐ休憩時間も終わりだろ?」
 まだ五分はあるわね、と香里が冷静に指摘する。
「うぐぅ〜〜〜〜!!!」
 あゆは奇声をあげて助けを求めているようだった。やはり祐一は動かない。
「わたし、やっぱり助けてくるよ」
「やめなさい、あなたが怪我をするだけよ」
 あゆもその内、助けが来ないことを理解して自分の足で進みだした。
だが、厚い壁に阻まれてなかなか進めない。
 結局、あゆが祐一の机にたどり着く頃には先生が机の前に立っていた。

「あ〜、毎学期同じことをさせて本当にすまないが、今年も住居調査をする。
この不景気の世の中にそうはいないと思うが、新築に引っ越した者や
あるいは引っ越す予定のある者はその旨を知らせてほしい」
 担任が列ごとにプリントを配った。一番前の人から後ろへと渡してゆく。
「せんせー、プリントがありません」
 この担任はそのアバウトさをこういった時にも発揮する。ちゃんと数を数えないで
適当に配っているので、前にいる生徒は問題ないが、後ろにいる生徒―例えば祐一には
大問題だった。毎回隣の生徒にプリントが余ってないか尋ねている。
 そして、それはいつものことであり、担任はそれを変える気色を全く見せないにも
関わらず、担任にプリントが足りないと不満をぶつける生徒が絶対に一人はいるのも
いつものことだった。
 祐一はさらさらっと記入して机につっぷした。後ろから北川が声をかけてくる。
「なあ、あのあゆってのはお前の知り合いなのか?」
「うん、そうだよ」
 何故か北川の質問に答えたのは名雪だった。名雪は更に言葉を続ける。
「あゆちゃんはね、祐一の初恋の人なんだよ」
「なにいっ!!」
 突然大声を上げて立ち上がった北川にクラスの視線が集まった。
下手な誤魔化しをすると北川は口に手をあてて小声で話した。
「お前、ロリコンだったんだな……」
 祐一の上半身は力を失い、ばがっという音を立てて机に倒れ込んだ。
「へ〜、祐一くんはロリコンだったんだ……」
 そしていつの間にかあゆは祐一と名雪の席の間に座っていた。
「あゆ……何故お前がここにいる」
「だって、調査書も書き終わって退屈だから」
「そうじゃなくて……何であゆが高校にいるんだよ。授業分からないだろ」
 後ろの席の北川も頷いて祐一の説に加勢した。
「うむ。とてもじゃないが高校生には見えない」
「名雪さーん、二人がいじめるよぅ」
 あゆが名雪に取りすがって涙する姿は、どうみても小学生の子供だった。
「ところで水瀬さんの初恋の相手は?」
 北川がとんでもないことを名雪に問いかける。祐一が止める間もなく名雪は言った。
「わたしの初恋の人は祐一だよ」
「ボクもっ、ボクもっ!」
「は〜、お熱いこって」
 そう茶化す北川だったが、その目はどうしてお前ばかりこんなにもてるんだ、
と雄弁に祐一に語りかけていた。
 あまりなまでの苛烈さに冷や汗を流す祐一。横ではあゆも冷や汗を流していた。
あゆに向けられているものは名雪の微笑み。祐一からはいつもの笑顔にしか
見えなかったのだが……。

 たっぷりと時間が過ぎた後、担任の号令で後ろからプリントが回された。
祐一も北川からプリントを受け取って上に重ねる。
「おい、北川。住所間違ってるぞ」
「何言ってるんだよ。自分ちの住所を間違える奴がいるか?」
「あのなあ……水瀬家はまずいだろう」
 北川は住所の欄に水瀬家のそれを記入していた。右側に大きく取られた
地図を書く欄にも、学校から水瀬家までの道筋を描いてあった。
 クラスメイトの中には四人で暮らしていることを知っている人間もいるだろうが、
公の文書に書き残すのはとてつもなくマズイだろう。
「おい、ここの列だけいやに遅いな。ん〜、北川がどうかしたのか?」
「ええっ、あ〜っ、その……」
 取り乱す北川。『馬鹿、余計不審に思われるだろうがっ』と考えた祐一は咄嗟に
「北川お前な、住所に俺の家と書くってのはかなり悪趣味だぞ」
 横目でちらりと見ると、名雪は眠っていたが(プリントは祐一が代わりに回した)
香里の表情には恐ろしいものが垣間見えた。後でこってり絞られるだろうなと思った。
自業自得ではあるがな、とも。



「あんたねえ、何考えてるのよ!」
 家に帰って開口一番香里が言ったのはこの台詞だった。
「え? え?」
 寝ていた名雪に祐一が事の顛末を話している間も香里の避難は絶え間なく続いた。
「もしばれたらどうなったと思ってるの?
あんたはともかく私の人生は台無しよ! クラスの男子と一緒に泊まり込む
不潔な女子高生として処理されるんだわ!」
 北川は「いや俺はいいのか……?」と呟いていて、完全に押されていた。
出来れば激高する香里に口答えはしたくなかったが、やむなく祐一は北川を弁護する。
「落ち着け。事情を話せば先生だって分かってくれる」
「分かった振りはしてくれるでしょうね。でも、男女が外泊していたという
純然たる事実は消えないのよ。
 それに忘れてるんじゃないでしょうね。私は名雪の家に行くとは親にも言ったけど、
このおまけがいるとは一言も言ってないのよ!」
 おまけ呼ばわりされた北川は更に落ち込んだ。
そこにつけこんで香里が更に強く避難する。もう祐一にはお手上げだった。
「でも……わたしは嬉しいよ。北川くんがここを自分の家だと思ってくれて」
 その名雪の一言で、部屋はしんと静まった。刺々しい雰囲気も
一陣の風に吹き飛ばされたようにどこかへ飛んでいった。
「別にそう深い気持ちがあってのことじゃ……」
 本人としては何となく、以上のものではなかったのだろう。でも、それは……。
 名雪が、祐一が、そして北川が。香里に向き直る。香里の顔を見つける。
でも……心が通っていた。みんな通じ合っていた。
「わ、分かったわよ……私もつい書きそうになったことだし、許してあげるわよ」
「ありがとう。ごめんな、美坂さん」
「……いいわよ、さん付けしなくても。香里、と呼び捨てで」
 ぶっきらぼうに香里が言った。それを見た名雪は笑った。笑いが広がってゆく。
そこにいる全ての人間へ。その空間の全てへ。そして、その外へ。
 遠い空のどこまでも、続いていくよ。きっとね。

次回予告
 瞬く間に時は過ぎて。新学期も5月を迎える。
一人墓前に佇む名雪。とても黙って見ていられずに俺は声をかけた。
「名雪、墓前にカーネーションは似合わないぞ」

次回、last session Mother's Day

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