スチャラカもくれんタマスダれ
※ボタンの上にマウスを置くと説明が出ます

桜散って、生まれるものは

「祐一さん、はい、あーん♪」
 肉団子を刺したフォークが俺の口へと誘われる。
佐祐理さんの料理はただでさえ文句の付けようもない出来映えだというのに、
佐祐理さんが手ずから食べさせてくれる昼御飯。ああ、何て幸せなんだ。
今日は五月蠅い邪魔者―舞のことだ―も風邪で休んでいるし、
こんな幸せな午後の一時があっていいんだろうか? とそんな気までしてしまう。

「何か、舞に悪い気がしますね・・・」
 哀しげに呟く佐祐理さん。
佐祐理さんは俺のことが好きで、舞も俺のことが好きらしい。
だから、佐祐理さんは一番の友達を差し置いて、
こうしていることに罪悪感を感じてしまうようだ。
「ごめん、佐祐理さん」
「ふえ、何を謝っているんですか?」
「俺が今までハッキリして来なかったからこんな事に・・・」
「言わないで下さい。佐祐理だって、もっと前からハッキリしておくべきだと
思ってます。私、やっぱり悪い子かもしれませんね」
 そんなことはないよ、佐祐理さん。たとえ悪い子だったとしても、
俺は佐祐理さんのことが本当に大切だから、大丈夫。
俺の気持ちを示そうと、俺は顔を佐祐理さんの顔に近づける。
「ゆ、祐一さん、ちょ、ちょっと・・・恥ずかしいですよ」
「佐祐理さん、お願いだから目を閉じて・・・」
 頬を真っ赤に染めて、そんな仕草が余計に可愛いのだが、
佐祐理さんはゆっくりと目を閉じた。
 俺は自分の唇を佐祐理さんの柔らかそうな唇に近づけて・・・その時
「・・・祐一」
 はっ、舞がどうしてここに!? 
慌てて俺たちは身を離したが、意味がない気もする。
「こっ、これはだな、あのな・・・」
 動転して言い訳がうまく出てこない。
「そ、そう、これはね舞、これは・・・」
 佐祐理さんも同じく動転しているようだった。
 慌てふためく俺たちに、舞は諦めたような眼差しをして言った。
「本当は、ずっと前から佐祐理が祐一を好きなのはわかってた。
そして、祐一も佐祐理を好きなことも。
でも、私も祐一が好きだから、認めたくなかった。
だけどもう・・・潮時。佐祐理、祐一と幸せになって」
「舞・・・それであなたは本当にいいの?」
「・・・かなり許せない。でも、こればっかりは私の”希望”でもダメだから・・・」
「済まない、舞。お前にも苦しい思いをさせちゃったな」
「・・・いい。でもその代わり―」
 舞があの長剣を取り出した。そして、それを上段に構える。
その剣が目指す相手は―俺だった。
「待て、お前に本気でやられたら死んでしまう!」
「・・・大丈夫」
「何が大丈夫だと言うんだあっ!」
「・・・祐一、往生際が悪い」
 舞の放つ殺気が更に膨れあがり、俺は蛇に睨まれた蛙の如くに金縛りにあった。
逃げたいのに、避けたいのに体が全く動かない。
 ぎゃしぃっーーーーー!
頭と剣が衝突した衝撃でそんな音が部屋中に鳴り響いた。



ぐあっ!
 体を起こすと、そこは俺の部屋だった。
しゃっ、無意識の内に部屋のカーテンを開く。
爽やかな春の日差しが部屋へと降り注いだ。うーん、今日もいい天気だ。
ぎゃしぃっーーーーー! ぎゃしぃっーーーーー! ぎゃしぃっーーーーー!
 な、何だ? この怪獣が鳴いている様な喧しい音は?
案の定、その音は壁を隔てた隣の、つまりは名雪の部屋から聞こえていた。
「また、変な目覚まし時計を買ったな・・・」
 はあ。ため息を吐きながら、俺は騒ぎの元を絶つため、名雪を起こすために
自分の部屋のドアを開けて廊下へと出た。



 俺は舞のことが好きだ、と気付いてからもう四ヶ月。
俺は高校三年生だが、舞と佐祐理さんは大学生になっていた。
当初、舞との約束のこともあり、俺は俺と舞・佐祐理さんの
三人で暮らすことを考えていたが・・・


                 *


「ふえ? 祐一さん、大学受験はどうするんですか?」
 きっぱしとそんな事は忘れていた。夜な夜な学校へ出向いていた俺だ。
そんなことを考えていたはずもない。
「そういや、佐祐理さんはどこの大学?」
「佐祐理の大学はですねー。
・・・
 というわけでとっても良いところなんですよー。ねー、舞?
そうそう、舞もあの学校気に入ってくれたんですよー」
 え?ちょっと待て、毎日毎日学校へ戦っていて勉強する暇なんて
無かったはずの舞でさえ大学に行くのか? しかも佐祐理さんと同じ所に?
「ちょっぷ」
 ぐあ。考えが顔に出ていたらしい。舞に突っ込みを入れられてしまった。
しかし・・・佐祐理さんが受かったという大学は、佐祐理さんにとっては
別にたいした難易度ではないのかもしれないが、俺にとってはちょい偏差値が高い。
俺としては、是非舞と佐祐理さんが通う大学へ進学したい所なのだが・・・
「そう言えば、二人はは何学部?」
「佐祐理はですねー、文学部ですよ。お父様は医学部に行けと
度々仰っていたんですけどねー」
 うーん、医学部にいけとは、さすがはお嬢様。
けど、文学少女の佐祐理さん・・・いいなあ。
「・・・経済学部・・・」
 はっきし言おう。舞に経済学部は似合わない。それなら何が似合うかと言われたら
答えに窮してしまうだろうが、舞に・・・ぐへいえっ!
鋭い突きを鳩尾にくらって俺はせき込んだ。
舞のやつ、一体どこから木刀なんか取り出して来たんだ?



「・・・というわけで別の所に住みたいんですけど、
どなたか都合のいい知り合いを知りませんか?」
 俺はようやくあらかたの話を終えた。
秋子さんはどういった返事を返してくるのだろうか。
いつも通りの『了承』の一言を予想していた俺に、
その時に限っては意外な返事が返ってきた。
「祐一さんがいなくなると、寂しくなりますね・・・」
真琴を簡単に住まわせることを許可したり、ただ道であったというだけで
あゆを朝食に招待する秋子さんとは思えない発言だった。
「祐一さんは祐一さんの親御さんから預かっている大切なお客様ですし・・・」
 その割には何度も俺を襲おうとした物騒な真琴をそのままにしていたような。
「それに、名雪も寂しがるでしょうね・・・」
 そうだろうな。俺がここに来たときあんなに嬉しそうにしていたからな。

とまあそんな調子で、結局その日一日中、秋子さんは許可をくれなかった。
 夜、俺は自分のベッドに横たわってその日秋子さんと交わした会話を
一つ一つ思い出していた。どうして秋子さんは許可してくれなかったんだろうか。
そして漸く気付いたことが一つ。そうか、秋子さんが今まで許可を簡単に
出していた事柄は、全てこの家に人が増えることに関してじゃないか。
 名雪と秋子さんだけで七年もこんな広い家に住んでいたんだよな・・・
そんな感情は二人ともちらりとも俺に見せなかったけど、寂しかったんだろう。
一人暮らしなんて比較にならない寂しさなんだろうな。
だとしたら、世話になっている俺は二人の気持ちに気付いた今、
さっさとこの家から出ていくなんて冷たいことが出来るだろうか? 無理だよな。

 次の日。心を決めた俺は階段を下りていた。
ただ問題を先延ばしにするだけかもしれなかった。けれど。
「秋子さん、昨日の件ですけど・・・名雪が俺より早く起きているだとお!」
 あの名雪が俺より先に起きて着替えて、それこそ信じられないことは、
すでに朝食を食べ終えているなんて!
「祐一、驚きすぎだよ。私だって、偶には早く起きるよ」
「いや、これは夢に違いない。ふ、リアルな夢だな。名雪が早起きをしている以外は」
「祐一、失礼なこと言ってるよ〜」
「どうしました、祐一さん」
 いつものようにいつの間にか、秋子さんがそこに立っていた。
「昨日一日中考えたんですけど、やっぱり止めようと思います」
「・・・そうですか・・・」
 いつもと同じ無反応。だけど、俺には秋子さんが安心したように見えた。
「何、二人だけでなんの話をしているの?」
「秘密だ」
「秘密よ」
「二人だけの秘密なんてずるいよ・・・」

 秋子さんともう少し話したかった俺は、名雪を先に玄関で待たせておいて
台所の奥、洗面台へと向かった。そこで皿を洗っている秋子さんに近づき、
「でも、来年はどうなるか分かりませんよ」
 とそう小声で言った。
「分かっています・・・私たちの我が儘ですから」
 そこまでの事では無いだろう、と思ったが俺は何も言わず立ち去ろうとした。
「どうして人は、年を取るにつれて我が儘が利かなくなるんでしょうね・・・」
 去り際に秋子さんが呟いた言葉がいつまでも心から離れない。



 玄関で一人、従兄弟の少年を待つ少女。
少年は気付かなかったようだが、その瞳はほんの少し赤く腫れていた。
『祐一、約束を守ってまた会いに来てくれたよね。
・・・でも、それは私の為じゃなかったんだね。
もし、気付いてくれる過去があるとしたら、私たちはどんな関係なんだろう。
 舞さん、か。羨ましいよ、祐一と一緒に暮らしてゆけるなんて。
七年前も、そして今も。近くにいると思っていたのに、
するりと私の腕を抜け出て旅立っちゃうんだね、祐一・・・』



 台所には、彼女一人が存在していた。別段珍しいことではなかった。
この家には、もともと二人しか住んでいなかったからだ。初めは妻と夫。
時が流れて、母親と娘。そして、今は母親と娘、従兄弟の少年が住んでいた。
『もうすっかり慣れたと思っていたけれど・・・
あんなにも早く死んでしまったあなた。あなたを時には恨むこともあります。
少年はもうすぐ巣立っていきます。そして、近い将来には娘も。
その時、私はどうやって生きてゆけばいいのでしょうか・・・』


                 *


 というわけで昼休みの過ごし方を除いては、
概ね去年と変わりない過ごし方をしている俺である。
舞と佐祐理さんも暇を見つけては俺と一緒に過ごしていた。
 今日も、いつもと同じく、去年よりはかなり真面目に授業を受けての一日だった。
違っていたのは、水瀬家の玄関に舞と佐祐理さんの二人がいたことくらいか。
「あれ、珍しいな。俺の家に来るなんて。それに約束は明後日じゃなかった?」
「ええ、どうしても舞が話したいことがあるからって。ほら、舞」
「・・・家の中で話す」

「秋子さん、お客さんです。あ、この人は秋子さん。この家の家主なんだ」
「あ、佐祐理と申します。お世話になります」
「・・・川澄舞」
 舞ももう少し気を遣って喋ればいいものを。
フォローを入れようと秋子さんに向き直った俺は、
ついぞ予想もしなかった異様な景色を見た。
 佐祐理さんと秋子さんの間に極度に緊張した空気が漂っていた。
二人は今にも火花が飛び散りそうなほど、激しく視線を戦わせていた。
二人ともこれまで一度も俺に見せたことの無かった驕慢な笑みを浮かべてさえいた。
こ、これは一体どういうことだ!?
「あなた、やるわね」
「秋子さんこそ、かなりの腕前みたいですね」
 二人は戦いの中で友情を見出した戦友ように、ぎゅっときつく手を握りあった。
「えーと、お二人ともどうかしましたか?」
 俺が下手に出てそう言った時には、二人ともいつもの調子を取り戻していた。
「そうそう、お客様にお茶を出さないと」
「いえいえ、お気遣い無く。あ、これおみやげですけども」
「あらあら、わざわざ済みませんね」
 普通の会話のはずなのだが、態とらしい態度に思えるは俺の気のせいなのか?
俺はたまらず、舞にさっきの雰囲気のことをどう思うか尋ねてみた。
「・・・世の中には、知らない方が良いこともある」
 答えがずれていることよりも、
そんな不安を増長させる言葉が返ってきたことに、
安心感を得たかった俺は更なる不信感を抱え込んだのだった。

 俺の部屋でお茶を囲んで一服。落ち着いたところで、俺は話を切りだした。
「で、舞の用事って一体どんな事なんだ?」
 舞は実に珍しいことに頬を仄かに赤く染めて、
「・・・出来た、祐一」
とそう言った。




「・・・はい?」
 出来たって、何が?
「わあ、おめでとうございます。佐祐理は、男の子がいいなあ」
 男の子?子供?それってまさかもしかして・・・
「それにしても祐一さんも隅に置けませんね。このこのー」
 佐祐理さんが言いながら肘でつついてくる。
 隅に置けない?ああ〜、頭が混乱して何も考えられないぞ。
「ええと、用具も取りそろえないといけないし、そうだ、
胎教って流行っているらしいですよ。穏やかな音楽を聴かせて、
優しいけど芯は強い祐一さんのような子供に育てたいですよねー」
 胎教、子供、育てる・・・まさか!? 確かに俺は一度だけ舞を抱いたことがある。
だけど子供ってそんなに簡単に生まれるのか? そうなのか?
「祐一さん、さっきから何も言いませんね。嬉しくないんですか?」
 ああ、何か言わないと、誤魔化さないと。
「ところで佐祐理さん、赤ちゃんがどこから来るかしってる?」
「勿論ですよ。コウノトリさんが運んでくるんですよね」
 うあ。もしかしたらと思ったけど、佐祐理さんの親御さんって一体・・・。
変な顔をしていた俺に気付いたのか、佐祐理さんは
「あははー。幾ら佐祐理だってそのくらい知ってますよ。
保健の時間にやりましたから」
 とちょっと呆れた面もちを浮かべたのだった。

 今ようやく気付いたのだが、舞は全く発言していない。
こいつのことだから間違っていても、わざわざ訂正しようとは思わないだろう。
たとえばダンスパーティーに舞を参加させようとした時のように。
真偽は舞に確かめればすぐすむことじゃないか。
「おい、子供なんて産まれてないよな」
「・・・子供は産まれてる」
 あれ?今不思議な声がしたような。
「おい、子供なんて産まれてないよな」
「・・・子供は産まれてる」
 間違いないのか!? 高校生にして一児の父親となるのか?
どうしよう、秋子さんにはどうやって説明すればいいのだろうか。
海外にいるとはいえ、さすがに子供が出来たと知ったら親も駆けつけてくるだろう。
まずい。間違いなくまずい。舞の事は好きだし、子供が出来たのも嬉しいことだが、
社会的道義的にはどうだろうか?

 まず秋子さんならこうだ。
「あらあら。おしめとか用意しないといけませんね。
赤ちゃんの世話もするのも、名雪以来だわ」
 名雪ならどうだ?
「わ。びっくり。子供が産まれたら、私にも抱かせてね。
一度「高い、高い」をしてみたかったんだよ」
 北川ならどうだ?
「お前、名雪ちゃんという者がありながら他の娘に手を出すなんて・・・。
安心しろ、名雪ちゃんは俺が責任もって養ってゆくさ」

 俺がそんなくだらないことを考えている間にも佐祐理さんの一人芝居は続いていた。
「ねえ、名前はもうつけてあるの舞? まだなら佐祐理も一緒に考えるよ」
「・・・名前はもうついてる」
 ちょっと待て、いつの間にそんな所まで進んでいたんだ?
「え、どんな名前?」
「・・・ぬくぬくマフラー」
「へ?」
 佐祐理さんと俺の声が見事に唱和した。
「・・・ぬくぬくマフラー」
 うーむ、改めて聞いてみるとなかなかファンシーな名前だな。
・・・じゃなくって。
「マフラーが出来たのか?」
 こくこく。
「祐一さんの子供がお腹にいるんじゃないの?」
「・・・子供は今この瞬間にも生まれてる」
 成る程、そういう意味か。もう少しで大変なことに発展する所だったぞ。
「つまり、お前はマフラーが出来たからそれを俺に伝えに来たんだな?」
「・・・そう。苦労した」
「それにしても、今更マフラー貰ってもなあ。
この暑い中、マフラー着て外を歩くのは相当馬鹿らしいぞ」
 季節はもう春。暖かな日差しにマフラーは不要だ。いや寧ろ邪魔だ。
「・・・なかなか出来なくて今までかかった」
「ふえー。じゃあ、どうしてマフラーを編んだりしたの?」
「・・・実は私のもある。祐一とお揃い。お揃いのマフラーは恋人に必要だから」
 なるほど、お揃いのマフラーというやつか。
相変わらず、発想が子供らしいというか・・・。俺は苦笑した。
なら無下にすげ返す事も出来ないよな。
「よい、じゃあお揃いで街を歩くか! 勿論、佐祐理さんの分もあるよな?」
「・・・ゴメン、佐祐理。考えてなかった」
「お前なあ・・・三人じゃないと意味がないだろ」
「いいですよ、祐一さん。ねえ舞、これ一週間くらい貸してくれないかな」
「・・・嫌じゃない」
「佐祐理さん、もしかして同じ物を作るつもり?」
 舞が佐祐理さんに手渡したマフラーは、予想通りなんとか縫い物として
成立しているようなものだった。佐祐理さんが同じ物を作ったとしたら、
そのマフラーだけ見栄えが良くなるのでは・・・。俺が心配しているのはそれだ。
「あははー。佐祐理は裁縫が上手じゃないんですよー」
とてもそうは見えないが、恐らくそういう事にしておくのだろう。佐祐理さんだから。
そして、見た目失敗したようなマフラーを作ってくるのだ。
 次の、いや次の次に集まったときは暑さを覚悟しないといけないな。
そう、俺はその日に思いを馳せていた。

[index]