一年の計は元旦にあり――







「わぷっ」

 奇妙な声とともに、わたしの隣を歩いていたみさきの姿が消えた。
「わ、わ、わ……」
「おーい、先輩! 生きてるかーっ!」
 みさきの慌てた声と、手を引いていた折原君の声……一体どんな状態になっているのか明
白だった。
 わたしは軽いため息とともに足を止める。

「……あなたたち。楽しそうね」

「雪ちゃんひどいよー。ぜんっぜん楽しくないよっ」
 元旦の人ごみにもみくちゃにされ、せっかくの晴れ着の着付けも台無しにしているみさき
が情けない声をあげる。
 折原君はみさきの着物についたほこりを払いながらも、やっぱり楽しそうに笑っていた。
「ひどいよ〜。二人とも極悪人だよ〜」
「はいはい、極悪人でいいから早く行くわよ」
 まだぶつぶつ言っているみさきを立たせ、目的地である神社に向かって歩き出す。
 ただ、今度はわたしと折原君の二人でみさきの手を引いていた。
 つないだ手から感じるぬくもりが、冬の寒さをやわらげてくれる。
 わたしたちの周囲の空気はどこまでも冷たく澄んでおり、目の前を覆い尽くそうとしてい
る人垣から視線を上げると、どこまでも続いている水色の空が浮かんでいた。
 冬のよくある光景だった。

「はい、先輩。これでも食うか?」
「浩平くん、ありがとう〜。冷たい雪ちゃんとは大違いだよ〜」
 みさきは食べ物をもらって、あっさり機嫌を直している……。
「まったく。子供みたいね、あなたたち」
「うぉっ。深山先輩それはちがうぞっ。オレはだなぁ……」
「私は雪ちゃんと同じ年だよ〜」
 二人とも行動がどこか子供っぽくて、こうやって言うとすぐむきになって反論してくる。
 わたしはそれが凄くおかしくて、思わず吹き出してしまった。

「……浩平君。もしかして笑われてる?」
「もしかしなくても思いっきり笑われてるぞ」
「私たちの沽券に関わるね」

 みさきの言葉にすぐ頷くわけでもなく、折原君は少し止まる。
 必然的にみさきを挟んで手でつながっているわたし達も止まることになった。
「どちらかというと、オレは先輩がそんな言葉を知ってるとは思っても見なかった」
「ひどいよ〜。極悪人がまた一人増えたよ〜」
「いや、さっきの時点ですでに二人…とか言ってたし」
 ふう……内心でため息をつきながらも、いつもと変わらないやり取りに再度の笑みを浮か
べてしまう。
 わたしとみさきが大学に進学してすでに二年。
 折原くんが再びわたし達の後輩になってから一年が経とうとしている。
 その間に幾度となく繰り返されたやり取り。それが今、目の前にあった。

「じゃ、雪ちゃんが極悪人で、浩平君が大悪人」
「……先輩。極悪人と大悪人はどっちが悪いんだ?」
「えっ? えとえと……どうしよう?」
「いや、今決められても……」
 まったく……。
 わたしは再びこみあげてくる笑いをこらえながら、二人に声をかけた。
「さっさとお参りしましょうか? 人も多いしね」
「うん。そうだよ。こんなに大勢の人の中を歩きたくないしね」
 年賀参りの発案者が勝手なことを言う。
 だが、それもいつものことだったので、わたしはさらりと聞き流して歩いていった。


 ぱんぱんぱんっ。

 手の鳴る音が周囲に三つ響き渡った。
 乾いた朽木がはぜるような音を響かせ、冬の澄んだ空気を振動させる。
「……」
 喧騒に包まれながらも、しばしの沈黙が訪れる。
 ふと気配を感じて閉じた目を開けると、みさきがこちらをじっと眺めていた。
 ……もっともこの表現は的確ではない。
 みさきは目が見えないから、本当の意味でわたしを見ることはないだろう。ただ昔から付
き合っていた幼馴染の気心で、みさきがわたしに用があるんじゃないかと思っただけだ。

「……みさき。お祈りをしているときは目をつぶるのよ」
「私、普通でも見えないよ〜」
「真に受けないで。……それで、なに?」
 折原君も興味深げにこちらを見ている。
 みさきは、ちょっと考え込むように口を閉ざすとゆっくりと――それこそ、一言一言選ん
でしゃべっているかのように言葉をつむぎだした。


「ええとね。……旧年中は大変お世話になりました。今年度もご迷惑をおかけするかと思い
ますが、なにとぞよろしくお願いします」


 そう言って、ちょこんと頭を下げた。

「……」
「……」
 その後に起こる、一瞬の間――。
「わはははははっ」
「あ、あははは……」
 妙にかしこまったみさきの言葉に、わたしも折原君も盛大に声を上げて笑ってしまってい
た。
「ひ、ひどいよ〜っ。私、何も変なこと言ってないよ〜」
 顔を赤くしたみさきが両手をぶんぶんと振り回して抗議の声をあげている。
「い、いや。すまんみさき先輩……。ぷっくくくく……」
「浩平君。嫌いっ!」
「そうよ、みさきがまじめにやってるのに笑うなんて……」
「雪ちゃんも盛大に笑ってたよっ!」
「それは目の錯覚よ」
「だから見えないもんっ」
 周囲の人たちが、大きな声でやりとりをするわたし達をじろじろと見ている。
 でも――今のわたしにとって、それは関係のないことだった。
 いつもと同じ日常。
 毎年繰り返されてきた、みさきとのやり取り。
 そして……折原君のおかげで迎えられた、三人そろっての初詣。
 そう。
 今日がみさきの目が見えなくなってから、初めて訪れた初詣だったのだ。
「いや先輩、ほんとにすまん。お詫びになんでも好きなものをおごるから……」
「え、ほんとっ? ……う、ううんっ。だめだよ。そんなことじゃ買収されないよ」
「く……ばれたか……」

 いつもと同じ日常。

 いつもと同じやりとり。

 でも……やっぱり今日は違うのだ。
 一年の始まる日にふさわしい言葉を――。

「二人とも」

 わたしは声をかける。
 親友と、親友の一番大切な人に。
 こちらを振り向く二人、その笑顔に向かってわたしは声をかけた。


「あけましておめでとう。これからもよろしくねっ!」


 おろそかには出来ない。
 なぜなら、一年の計は元旦にあるのだから――。
 

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 あけましておめでとうございます。
 「私立桐月図書館」の管理人をしております、桐月といいます。
 今回、21世紀の元旦を記念して、この年賀SSを書き下ろしました。
 稚作ではありますが、どうぞお納めください。

 では、未熟者ではありますが今年度もよろしくお願いします。

                       一月一日 桐月 拝――