スチャラカもくれんタマスダれ
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第五話

風雲急を告げる展開に
北浜雄一は
『生きていたディレル』
に何を思うのか。


『同時 ”彼女”に遭遇する立野徳湖』

 暗闇に仄かな明かりが灯る。けれども、私の視角はなかなか焦点を合わせてくれなかっ
た。目が悪くなって困ることの筆頭に挙げてもよいだろう。暗闇に入ったとき視界が回復
するまで時間がかかるということは。
 涼子が黒っぽく見えたのは視界が回復しきっていないからだと考えたのはそのためだ。
霧が晴れるように明瞭さを取り戻す私の視界の中、それでも彼女だけは黒一色のままでい
た。
 疑問が生まれる。彼女はついさっきまでそんな色で着飾っていただろうか。答えは、否。
そして私は涼子の唯一、黒で覆われていない素顔に視線を移す。闇の中、爛々と輝く瞳。
敵を狙い、射すくめ、命を奪いとる獰猛な肉食獣が持つ瞳。疑問が理解、そして恐怖へと
変わった。
「ディレル、生きていたの」
 ”彼女”は私の問いにニイと笑いかけた。
「今、あなたの目の前にいる私が証拠じゃないかしら」
 その通りだった。積極的にそのことを認めたくなかっただけだ。
「怯えてないのね」
 上から下まで私をなめ回すように眺めながら、不思議そうに彼女は問いかける。
「逃げないの」
 本当は今にも膝が崩れ落ちそうなほど怯えていた。実のところ、今すぐ悲鳴を上げて助
けを求めたかった。それに、何をすればいいのかさえ思いつきもしなかった。彼女に言わ
れてようやく気付いたほどだ。
 思考を止めていた脳が働きを再開する。”彼女”はいつか見たように不敵に腕を組んで
構えていた。私は振り絞るように声を出す。
「さっきのは貴女の仕業なの、ディレル」
「いえ、違うわ」
 白々しいことを、と憤る私をディレル冷ややかな目で眺める。
「あれは、私じゃない。写本を読んだ他のディレルの仕業よ」
「信じられないわ」
「あらそう。じゃあ、信じられるように説明してあげましょう」
 まるで物わかりの悪い生徒を説教するようなディレルの口調。
「私なら、暗示をかけて相討ちなんて手は使わない。天詳に視角魔術をかける隙があった
ならば、その場で天詳を殺しているわ」
「ディレルらしいわね」
 そう、反吐が出るほどにディレルらしい発言だった。”彼女”は確かに事実を話してい
るのだろう。
「信じてくれたみたいね」
 ”彼女”は涼子の顔で笑った。親友の顔を使って笑うディレルに言いようのない怒りを
抱く。
 ディレルの言葉と違い、私はディレルを信じてなどいない。私は常にディレルの発言に
注意していた。百個の事実の中にある一個の嘘を見抜こうとして。

 ディレルが言うにはこうだ。先の戦いで彼女はその大部分を封じられた。天詳といえど
も、脳の奥深くに逃げ込んだ最強のディレルの全てを消し去ることは出来なかったらしい。
ただし、”彼女”は視角魔術を行使する力を失っている。

「そこまでは分かったわ。そこで質問。なぜディレルは私の前に姿を見せているのか」
「私以外のディレルを滅ぼすためよ」
 誇り高きディレルとしては、かつて完成品だった自分以外に紛い物が存在することが許
せないということだろう。この見解を伝えると、よく分かっていると誉められた。ディレ
ルなんかに誉められてもちっとも嬉しくもない。
「視角魔術を行使する力は失われたわ。けど、この人格が存在するように視角魔術を知覚
する能力も残っているということよ」
「その能力で私たちを助けると」
「そういうことね」
「それで、あなたの要求は何かしら。無償奉仕をディレルが好むとは思えないわ」
「ないわ」
「ないですって。ここまで私たちに協力して見返りを欲しない? 口封じを頼まない? 
私を馬鹿にしているの」
「逆よ。あなたを評価しているからこそ何も言わなかった。確かに口封じは望みの一つ。
けど、あなたは私が釘を差すまでもなく天詳とユゲには秘密を守るでしょうから」
「どういうことよ」
「それを説明する義務がないわ。北浜くんによろしく」
 ディレルは私を無視して布団をかぶった。間もなくして穏やかな寝息が聞こえてくる。
そっと布団の端をめくり挙げて顔を覗いてみる。いつもの涼子の顔だった。『雄一くんに
よろしく』とディレルは告げた。雄一には”彼女”について話してもよいということだ。
 ディレルの洞察は鋭い。雄一は天詳とユゲとは違い、封印を大前提としては考えないだ
ろう。そして私も、現段階では封印を大前提としては考えていない。
 ディレルの手の平で動いているような無力さを感じながらも私は雄一の部屋へと向かっ
た。



『翌朝 うかれポンチの南方圭司』

 目ヤニよし、髭よし、髪型よし。さあ、今日も張り切って一日を頑張ろう! 眠気覚ま
しに頬を自分で張って鏡から目を離す。
「朝から元気だな南方。その元気を分けて欲しいもんや」
「おはようございます!」
「ふぁぁ……おはよう」
 部長と北浜さんは日が昇ってからも惰眠を貪っていた。二人が言うには「お前の朝は早
すぎる」とのことだけど、僕に言わせてもらうならば、二人の起床時刻が遅いだけだ。西
中島良太さんは僕が起きたときには部屋にはいなかった。北浜先輩が言うには、朝から筋
トレをやっているらしい。
「朝食まであと何分だ」
「南方、何分だ」
 枕に頭をつけたままで先輩が聞いてきた。僕はすばやく手元の腕時計で確認する。
「あと四十分ですよ」
「じゃ、四十分後に起こしてな」
 布団の中へ潜っていった二人は特に気にせずに僕は部屋の扉を開けた。そして涼子先輩
の部屋へと向かう。といっても、一つ部屋を隔てた場所にあるので三歩で着いてしまった。
 次はノックだ。ただそれだけのことに妙に緊張してしまう。開けられたドアから寝ぼけ
眼の先輩が可愛らしい寝間着姿で出てこないだろうか。寝ぼけたまま下着姿のまま出てき
たりはしてくれないだろうか。そんな邪なことを考えた僕に罰が当たったのだろう。突然
開いたドアに僕は強く頭を打ち付けられた。
「ん、なんかぶつけたんかな。お、南方」
「徳湖さん、おはようございます」
「丁度良いところ。涼子の居場所を知っていたら教えて欲しいんやけど」
「その涼子さん目当てにここに来たんです」
「そか」
 軽い返事に似合わないきつい眼差しで立野先輩は虚空を睨んでいた。
「まさか!」
 涼子先輩はディレルにさらわれてしまったんだ。僕は天詳さんに伝えようと慌てて駆け
出した。そんな僕の足を誰かがすくう。
「何するんですか!」
 無防備だった僕は地面に転がった。起きあがって、僕に足を引っかけた立野先輩に詰め
寄る。
「これは私の失策よ。天詳には私から説明するわ」
 奥歯を強く噛みしめている立野先輩を僕は初めて見た。これは苛立っているのか?
「なら北浜先輩に伝えてきます」
 言って駆け出す僕の足にまたしても何かが絡みつく。危うく転けそうになってけれども
今回はなんとか持ち直して、
「まだ何かあるんですか」
 僕は、恨みがましい目で立野先輩を睨んだと思う。
「南方に頼みがあるのよ」
 ちょっとここで待っていて、と部屋の中に消えた立野先輩が戻ってきたとき、手には香
水の瓶らしきものが握られていた。



『10分前 覚醒するディレル』

 チョロいものよね。覚醒した私が傍らの布団を見て最初に思ったことはそれだった。立
野徳湖もまだまだ。私を相手にするには力不足というものだ。
 前夜からの黒ドレスを脱ぎ捨てる。自らの象徴を捨てるようで口惜しいが、そうも言っ
ていられない。出来損ないのディレルに私がディレルだとばれては困るのだ。
 涼子が揃えていた洋服に着替えて私は中庭に向かった。昨日この宿に入った時から、中
庭に視角魔術の名残が残っていることに気付いていたからだ。辿り着いた中庭に人はいな
かった。本能的に危険を避けているのだろう。人体に害を及ぼすほどの影響力はとうに失
われていても、根元的な恐怖を覚えるのだろう。
「ほっ、ほっ、ほっ」
「良ちゃん、おはよう」
 灯籠の裏から姿を見せた西中島良太と挨拶を交わす。
「おはよう、姉ちゃ――」
 不意に西中島良太は口を閉じて何事かもごもご呟いていた。
「どうしたの。調子でも悪いの?」
 私は弟を心配する姉の表情で近づいた。彼にはここを調べる間眠っていてもらおうと考
えたその時。
「久しぶりやな、ディレル」
 何故気付かれたのか。動揺する私に西中島良太の拳が迫る。この疾さは調味魔導を――

・唸る西中島良太の拳を寸前のところで避け一蹴りで10歩の距離を飛ぶ私に西中島良太
が驚愕の表情を見せる。

「徳湖も侮れないわね。あなたにも調味魔導を施しているとは思わなかったわ」
「そちらこそ、まだ視角魔術が使えたようやな」
「違うわ。今の私は視角魔術を使えない。調味魔導なら扱えるけど」
 西中島良太は私を見据えてじりじりと動く。その目を逆に覗き込みながら私は両手をだ
らりと下げる。
「私に協力しないかしら。あなたにも悪い話ではないはずよ」
「なんやて?」
 不審の色を深める西中島良太に噛んで含めるようにして私は話しかけた。



『15分後 じっと待つ北浜雄一』

「なるほど。事情はよく分かりました」
「あの時すぐ、天詳さんに伝えるべきだったんです。なのに私は」
 徳湖の自省の言葉を途中で天詳が遮った。
「まさかディレルがまだ生きているとは思いませんでした。ディレルを滅ぼしきれなかっ
た私にも責任があります」
「二人ともやめるんだ」
『しかし、』
「責任をなすりつけあっている間にも、ディレルは俺たちの先へ先へと進んでいるんだぞ」
 ユゲの言葉に天詳と徳湖は一も二もなく黙り込んだ。
「でも、これからどうしたらいいんでしょうか」
 南方が誰にともなく問いかける、それが問題だった。ここに集まったメンバー、俺・徳
湖・南方・天詳・ユゲにはどちらのディレルの居場所も掴むことができない。
「何かが起こるのを待つしかないってことやろ」
「それから僕たちも行動を起こして、それで間に合いますか」
「他に方法がない」
 静けさに包まれる部屋に南方が居心地悪そうにしていた。
「僕、ちょっと外を見てきます」
「あまり遠くに行かんといてよ」
 分かってます、と言い残して南方は部屋を出ていった。まあ、南方も一人で涼子ちゃん
を探し回るほど若くもないだろう。
「いつから事がここまで大きくなってしまったのか」
 悔やむようにぼやいていた天詳がユゲに移る。おっ、溜息をこぼした天詳は初めて見た
ような気がする。
「ユゲ、前々から思っていたのだが――お前が絡むと事件が大がかりになってしまうのは
どうしてだろうな」
「おいおい。確かにそんな傾向があるかもしれないが、俺が主体的に煽っているわけじゃ
ないぞ」
「つまりは、ユゲはトラブルメーカーだってことね」
「台風の目ともいうな」
「おまえらなあ……」
 一触即発の空気が部屋に漂う。しまった、冗談の通じない男だったのか。気分転換をど
うやって図ろうか悩む俺までも吹き飛ばす勢いでドアが開き、南方が息せき切って戻って
きた。
「大変です。涼子さんが芸者の控え室で暴れているって」
 南方の言葉に全員が立ち上がった。
「南方、控え室はどこだ」
「え? 僕に言われても……」
「鈍い!」
 まごまごする南方を一喝し、部屋から出た俺は近くにいた従業員に控え室の場所を訊ね
た。
「控え室まで案内して頂けませんでしょうか」
 そうつけ加えたのは天詳だ。俺もまた冷静ではないらしい。かくして、俺たちは従業員
に道案内をさせて(というとまるで強盗犯のようではある)控え室への道を急いだ。

「案内して下さってありがとうございます」
「いえいえ……」
 そそくさと立ち去る従業員。部屋に入る順番は既に決めてある。俺・ユゲ、南方・天詳
、徳湖の順に扉を潜る。内部を見わたして状況を確認する。
 隅で震える芸者たち、何かを読みふけるディレル、そして――芸者の一人を羽交い締め
にする西中島良太の姿があった。
「西中島良太が掴まえているのが出来損ないよ」
 ディレルの声から一瞬の間をおいて、俺とユゲがディレルに、南方と天詳が西中島良太
に襲いかかる。入り口からの距離でいえば涼子ディレルまでよりも西中島良太までの方が
短い。

・西中島良太に向かう南方・天詳を片目で捉えながら俺たちはディレルに向かう途中に西
中島良太は抱えていた従業員を南方・天詳組に向けて放り出すと俺たちに向かうが無駄だ
俺たちが先にディレルにたどりつくとの予想は俺たちが近づくよりも速く遠ざかるディレ
ルに覆されディレルとの間に西中島良太が立ち塞がる。

「西中島良太!」
 俺は叫んだ。言外にそこをどけ、との意味を込めて。
「姉ちゃんは放っておいてくれ」
 西中島良太も叫び返す。残念ながら今の涼子ちゃんはディレルであって西中島良太の姉
ではない。ディレルを逃すわけにはいかないのだ。
 こうしている間にもディレルは何かの紙――おそらく写本だろう――を恐るべき速読法
で読み進めている。なぜ西中島良太がディレルに肩入れしているのか考える暇もなかった。
 天詳は南方が捉えた従業員に「言葉」を囁いている。南方はどう動くべきか分からずに
困っている。徳湖は戦況を見守っている。
 そしてまた次の行動へと移さない俺を後目にユゲが西中島良太に襲いかかった。一撃で
西中島良太は壁まで吹き飛ばされる。脳震盪を起こしたのか西中島良太は壁にもたれかか
ったまま動かない。障害物を排除したユゲは真っ直ぐにディレルを目指す。
 部屋の端まで逃げていたディレルはユゲの接近を無視して本を読み進める。俺が見たと
ころユゲがディレルが写本を読み終えるよりディレルを捉える方が早い。ディレルの怜悧
な横顔に焦燥がはしる。

 ディレルは最後の一枚に目を通した。一瞬見えた満足げな表情は俺の気の迷いだったの
かもしれない。ユゲを両腕にしっかりと抱えた俺に見えたのは、その後気を失って倒れる
涼子ちゃんの姿だった。



『一時間後 物語の顛末を聞く北浜雄一』

「一度ディレルになった者はディレルに再びなるのは不可能である、それに留意し、最終
ページから見なければならない」

 ディレルはつまるところ、脳神経細胞の接続によって形成される。普通人が持たない脳
神経細胞の接続を生成することがパウ・ディレルの書の効果だ。これは視角魔術に限った
ことではない。五感魔術は全て、通常ならば接続されていない脳神経細胞を接続させるこ
とによって「魔術」を発動させる技術だ。
 では、ここで問題。何故「一度ディレルになった者はディレルに再びなるのは不可能で
ある」のか。他の五感魔術が何度でも効果を発現させることができるのに、ディレルにだ
け一回という制限があるのか。かつてのディレルたちは何故パウ・ディレルの書を再読す
ることにより100%に近いディレルを目指さなかったのか。
 理由は、他の五感魔術が形成する脳神経細胞の接続が一時的であることに対して、ディ
レルは恒常的に脳神経細胞の接続を形成することにある。本来”無い”はずの接続を恒常
的に形成することは神経細胞に大きな負担を強いることになる。
 最終ページはディレルに必要な神経細胞網のクリアを行う。このときクリアにされるの
は、視角魔術が形作る仮想的な脳神経接続に限られている。一応、ディレルという視角魔
術は何度でも行うことが出来るようになっているのだ。しかし、仮想的な接続により”疲
れた”神経細胞から仮想的な接続を形成することは出来ない。
 よって、「一度ディレルになった者はディレルに再びなるのは不可能である」。この法
則を使えば、西中島涼子の脳神経細胞に涼子と同居している私というディレルを消去する
ことができる。五感魔術師との戦いに敗れ、生き恥をさらしているこの私を。

 西中島良太が語ったディレルに協力した訳とは以上のようなものだった。
「天詳さんに消されるのではディレルのプライドが許さなかったようやな」
 西中島良太はそんな最後の言葉で締めくくった
「本当に滅ぶつもりだったからよかったものの、ディレルに騙されるとか思わなかったん
か」
 俺は西中島良太の首を絞めながら周りに同意を求めた。
「ディレルが嘘をつくとは思えへんけどね」
 俺の意見は徳湖によってあっさりと否定されてしまった。
「むう。確かに死んでも嘘だけはつかん正確やな」
「そ、それにな」
 西中島良太がまだ何か言おうとしていた。俺の恥の上塗りをするつもりか。
「あんときのディレルの瞳は姉ちゃんのやったから」
 頬を掻きつつそう宣う西中島良太。
「写本も確保したことですし、これにて一件落着、としませんか」
「そうですね」
 俺たちが話している間も徳湖はリュックに道具を片づけていた。
「なんで涼子ちゃんの荷物をお前がいじくってるんや」
「いじくるだなんて人聞きの悪い。電車の時間が近いからに決まっているでしょ」
 俺はポケットに入れていた券をまじまじと眺めた。
「午後四時出発とあるぞ」
 ちなみに今は一〇時過ぎだ。時間は腐るほど余っている。
「馬鹿ね雄一。金沢といえば兼六園よ」
「昨日は『金沢といえば忍者寺』と言ってませんでしたか?」
「やっぱり基本は抑えておかないとね」
 哀れ南方は徳湖に殴られた。要するに、兼六園を回っていたら電車の時間に間に合わな
いかもしれないということだ。
「ほら南方、部長さんを起こしてきなさい」
 徳湖に尻を蹴られた南方は慌てて自分の部屋に戻った。
「天詳さん、ユゲさん、お世話になりました」
「こちらこそ迷惑をおかけしました」
「気にするなって」
 早くしろと睨んでくる徳湖の視線に追われ、俺も廊下を駆けだした。

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