スチャラカもくれんタマスダれ
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第四話

宿泊先のホテルにて天詳と再会した
北浜雄一は綿々と受け継がれたる
『パウ・ディレル』
の驚異と出会う


『同時 天詳の登場に面食らう南方圭司』



 ずどん、と僕の横を何かが駆け抜けていった。追いかけるように声が被さってくる。
「見たかディレルめ。今度もこの私が貴様を封じてくれる」
 この生き生きとした張りのある声には聞き覚えがある。声の飛んできた方向に目を向け
れば、予想通りそこには天詳さんのすっくと仁王立ちする姿があった。あれ、天詳さんは
こういった態度を見せる人じゃなかったと思ったのにな、と僕は不思議に思い、天詳さん
を良く観察してみれば、顔が赤い。酔っているのだろうか。それでも微塵も呂律が回って
いないように思えるのは流石と言うべきなのだろうか。
 えーと、頭が巧く働いていないな。さっき何かが飛ばされたのは天詳さんの仕業で、そ
の飛ばされた何かって言うのはディレル……ええっ、何だって!
「どうしたの、南方君。突然立ちんぼしたりして」
 僕の耳に心地よい調べが届いた。いつもと同じ涼子先輩の声。
「む、そこにいたのかディレル。性懲りもない奴よ!」
 そう言う天詳さんの視線は涼子先輩に向けられていた。これはピンチなんじゃないだろ
うか。北浜先輩どうしましょう……と、北浜先輩はどこにいるんだろう。
 なるべく短時間で、涼子先輩が襲われたら何とかして守れるように、素早く後ろに首を
巡らせて、光景を目に焼き付ける。北浜先輩は頭を垂れていてぴくりとも動かない。
 それまで天詳さんを睨みつけていた立野先輩が僕の目をまっすぐに見つめてきた。立野
先輩は天詳さんを気にしながら鞄から弁当箱を取りだして、僕に渡す仕草をする。その弁
当箱は先輩が使っているような僕にはちょっとこれで足りるのかな、といった大きさの物
で、弁当が市販のものではないことは一目で分かった。頬を一筋の汗が流れ落ちる。きっ
と冷や汗だ。心なしか身体は強張っていて、舌は干涸らびて、僕の喉は猛烈に水分を欲し
がっていた。脳裏に蘇る苦い記憶。
『嫌です!』
 僕は声に出さずにしゃべった。立野先輩も口パクと目線で意志を伝えてくる。
『何を怯えているのよ。涼子がどうなってもいいの!」
 やりとりを交わす間にも、天詳さんは一歩一歩威嚇するように大股で迫ってくる。僕は
手を回して涼子先輩を庇う。
『それに雄一だって早く手当しないと危険よ。後頭部をごつん、よ』
『……分かりました。でも弁当を食べる時間を稼げますかね?』
『まあ任せておきなさい』
 そう告げて立野先輩は弁当箱を僕に投げて寄越すと、厳しい顔つきから一転してにこや
かな表情で天詳さんに話しかけた。
「あの〜、お奨めの小咄か何かありませんか?」
 天詳さんの興味が立野先輩に移る。僕は弁当箱の蓋を開けて、備え付けの箸を手にする。
見た目はどうということの無い、寧ろコンビニの既製品などに比べれば段違いの、手作り
の暖かさに満ちている。しかし、その中身は……言いたくない。出来ることなら思い出し
たくないくらいだった。
 骨付き鶏肉の唐揚げを箸に取る。肉も少ないし、食べにくいから余り好きな部位ではな
かった。鶏肉は北浜先輩の好物らしいから、元は北浜先輩用に作ってきたものかもしれな
い。
 覚悟を決めて箸を口に運ぶ。
「え?」
 ごめんなさい、涼子先輩。他人の作ってきた手料理を食べる僕を許してください。
「ところで鶏肋の逸話を知っていますか?」
 立野先輩は必死に天詳さんの気を引こうと必死だ。それ以上に僕は必死だった。手料理
という概念を木っ端微塵にうち砕く、戦慄すべきまさに”魔”導の調味だ。
 酔いで判断力が回っているのか、天詳さんは立野先輩の無駄話に付き合っている。僕は
その隙にとヘッドフォンの振幅増幅部風味のホウレンソウとコーンのバター炒めを口にし
た。
 地獄を垣間見る思いをしながら、遂に僕は弁当箱を空にした。すぐさま立野先輩に合図
を送る。立野先輩が天詳さんから離れたのを確認して、

・全身の感覚を視界に集めると天詳さんの頬の筋肉一つ一つの動きまでもが見えてくる。
僕は床を蹴って走る奔る先は天詳さんの真正面から見据えた顔がこちらを向いて目尻が下
がり始める本気になりはじめてこれは困った一撃で決める心づもりで天詳さんの頬を殴り
つける最中に天詳さんの瞳の焦点が消えると天詳さんの姿そのものが僕の視界から消える
どこにいったのか下に潜り込んだのだと気づいて視線を下に向けた時には天詳さんの肘が
僕の脇腹に突き刺さりくの字に曲がった身体を天詳さんの回し蹴りが僕の身体を吹き飛ば
す時に振るった手はあっさりとかわされると通路の壁に打ちつけられ距離が離れてしまっ
たのを確認した僕は同時に天詳さんが扇子を持っていることを確認して咄嗟に耳を手で塞
ごうとするが天詳さんの口が動く方が早く僕は敗北を知る。

「ぬおりあふぺんとと!」

 鼓膜に響く音に僕は更に遠くまで吹き飛ばされ、受け身も取れずに地面に叩きつけられ
た。
 カツ、カツと冷たく無情な音が事態を全く理解していない涼子先輩の前で止まる。
「おうはてもすえかいれ……」
 低い詠唱と唱和して、涼子先輩が苦しみだす。天詳さんはその苦しげな表情は一顧だに
せずに呪文を途切れさせることはない。
「あぁ、ああああ……」
 絶望的な思いに囚われる僕。
「何やっとんだ、お前は」
 不意に闖入してきた声に続いて、鈍い音。天詳さんの身体がゆっくりと崩れ落ちる。床
に倒れた天詳さんの頭を踏みにじりながら、その人はいった。
「いけないだろ、女の子はもっと優しく扱うもんだって」



『五分後 目を覚ます北浜雄一』



 ……ゆっくりと目を開ける。みんなの心配する顔が、ぼやけながらも見えていた。
徳湖、西中島良太、涼子ちゃん、南方、天詳、そして見知らぬ顔が一人。
「大丈夫か、北浜君」
 最初に声をかけてきたのは左方天詳だった。
「天詳……この借りはいつか返してもらうぞ」
 苦い顔のままに天詳は頷いた。
「どうやら大丈夫みたいやな」
 一言呟くと、西中島良太は用は済んだとばかりに腰を上げる。涼子ちゃんと南方も西中
島良太に続いて部屋から出ていった。
「……あんたは?」
「ユゲ・ビブルオックスという名前を聞いた覚えない?」
 聞いたことのあるような、ないような。俺は記憶の襞を開いて、その名前を調べてみる。
「思い出した! ディレルに半殺しにされた触覚魔術師!」
 ひくひくとユゲの頬が動いている。
「私も同じ事言ったんよね」
 ピクピクとユゲの額に浮き出た血管が蠢いている。余程気に障ったらしい。
「事実だから反論はしないがな……」
「ありのままに認められるということは美徳ね」
 このままユゲをからかっていてもしょうがない。俺は本題に入った。
「ところで、天詳さんがここにいるということは、何かあったんですね?」
「私はただ温泉に湯治に来ているだけですよ」
 まあ、それが妥当な受け答えだろうな。
「どうして関西の落語家軍団が金沢に湯治に来ているんですか?」
「私の勝手でしょう。こいつがいるのは温泉と聞いてついて来たからですよ」
「こいつは酷いぞ天詳……」
 ユゲの文句に反応する人間は誰もいなかった。徳湖も天詳の説明には納得できていない
ようだったが、天詳が話そうとしていない以上、どれだけ問いつめても無駄だろう。
「……分かりました。じゃあ、ゆっくりと骨休めして下さい」
 天詳は笑顔のまま頷いた。天詳の好意を無下にするわけにもいかず、俺は起きあがった。
「離してくれませんか?」
 ユゲが俺のズボンの裾を掴んでいた。
「まあ待て。実は俺たちはな……」
「おい、ユゲ」
「いや、こいつらには話しておいた方がいいだろう。何しろディレルとの戦闘経験者だ。
俺たちの任務を聞く権利がある」
 持ち上げられたようでこそばゆいが、あの戦いでもしディレルが俺たちを殺すことを第
一としていたら、万が一の勝利もなかったろう。
「しかしだな、私は二度と彼らを関わらせたくないんだよ」
「もう遅いぜ、天詳」

 一瞬、ユゲの言葉の意味するところを理解できなかった。
「俺たちはもう関わってしまっているのか?」
 俺の質問には答えず、ユゲは話を続ける。
「天詳、いくら酔っていたとはいえ、普通の人間に聴覚魔術をかけるようなことをするか
?」
 ユゲの言葉に愕然とする天詳。ユゲはさっきまでの雰囲気はどこへやら、緊張感を孕ま
せた表情を見せていた。おそらく、この表情こそが真実のユゲ・ビブルオックス。
「結論から先に言えば、お前は軽い暗示をかけられていた」
 聴覚魔術の使い手の天詳に暗示をかけただと? 不吉な予感が俺の背筋に伝わった。
「実は俺たちは、この近辺にあるとされた『パウ・ディレルの書』の写本を探しに来てい
る。複雑な幾何学模様の写本なんてどうやって作ったんだ、と思ったかもしれないが、そ
れこそ高性能なコピー機を使えば事足りる」
 一呼吸おいて、ユゲは断言した。
「間違いなく敵はこの宿の中にいる」
「敵って……ディレルが、か?」
「改めて言うまでもないわね」
 僅かな希望も徳湖が否定する。
「俺がここに滞在するのは二泊だけだぞ?」
「ディレルがその予定を知っているとすれば、この三日の間にケリをつけようと考えるだ
ろうな」
 見逃す可能性も考えたが、かつて出会ったディレルの性格からすれば、むざむざと俺た
ちを逃すようなことはしないはず。あれは、自らの力を誇示することに快感を得るタイプ
だ。そして、俺たちが出ざるを得ない状況を作り出して……
「やばい。涼子ちゃんたちを守らないと」
 立ち上がりかけた俺を天詳が制する。
「私の耳には何も聞こえていませんよ」
 泰然とした天詳の態度に俺は落ち着きを取り戻した。

 それからいくらか話し合い、天詳とユゲ、そして俺とで交代の夜警を行い、明日からの
旅行はなるべく一同が分散しないように誘導することで落ち着いた。



『一分後 自室に戻る立野徳湖』



 全く、どうして私には次から次へとやっかいごとが降って湧いて出てくるのだろう、と
半ば皮肉混じりに考えながら廊下を歩く。
 始まりは……師匠に出会ったことから。あの時、この人についていかなくてはならない
と切に思った瞬間の気持ちは、今でも容易に思い出せる。
 あの後、天山に狙われて、その次はディレルに狙われて、今度もまたディレルに狙われ
て。雄一に手助けしてもらうのは最初の天山の時だけのつもりだったのに、今度も雄一は
自然に私たちに手を貸そうとしている。まあ、そこんとこは、憑き物に憑かれたとでも思
って諦めてもらうしかないわね。そんなこと思いそうに無い奴だけど。
 私はいつも持ち歩いている鞄にそっと手を添えた。師匠から受け継いだ技の象徴ともい
える、調味魔導の原材料の数々、それに特別な器具も収納されている。これらは高価な品
物だから、私が調味魔導師をやっていられるのも短い期間だと思っていたわね。でも、そ
れも天山から毎月一定の金が振り込まれるまでのこと。『お前に調味魔導の奥深さを知ら
しめてやる』とは天山が私に秘密口座を教えるために送ってきた使いから聞いた言葉。掌
で踊っている気にさせられるのは致し方ないことにしておきましょう。
 「調味魔導は女性には効かない」。その法則はあっさりとディレルに破られた。何か手
がかりはないだろうかと思って西中島のお宅にお邪魔したけれど、メモか何かを発見する
ことは出来なかった。全て脳内に記憶しておいたのだろう。となれば、自分で一から研究
するしかないわけだけど、実験体を作るわけにはいかないのよね。
 取り留めない思考のまま、割り振られた二人部屋のドアを開く。
「いやー、待った? 雄一をあやしつけるのに時間かかっちゃって」
 ぶわっと、闇が広がった。室内の電気はすべて消されていた。
「もう寝ちゃったの?」
 部屋の中に入って、スリッパに履き替える。
「あーも、どこだっけ」
 なかなか電灯のスイッチが見つからない。こういう時、視力が弱いことを悔やむことに
なる。
「付けたわよ」
「あー、ごめんごめん……」
 仄かに明るくなった電球。このホテルも例に漏れず、その明かりは弱々しいものだった。
だから、なのだと思った。彼女の服が黒っぽく見えたのは。
 パチ。もう一つ電球が灯る。一対の電球に照らし出され、彼女の姿が目に焼きついた。

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