スチャラカもくれんタマスダれ
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夜が明けた。井戸から水をくみ、顔を洗う。肌を刺すような冷たさだった。
ブルと体を震わせる。太陽の熱気もこの境内には届いていなかった。
横目で「儀式の準備」の進捗を確認する。儀式まで後二日残っているにも関わらず魂の通
り道に見立てた櫓は夜のうちに完成してしまっていた。
本殿から櫓の最上階が見えるということは、櫓からも本殿が見えると言うことだった。
最上階から俺を監視する視線を感じつつ、何も気づいてないそぶりで本殿へ戻った。

白紗の容態は順調に快復の方向に向かっていた。
「お代わりをお願いします」
鍋からうつわに粥を盛り白紗に手渡す。ふう、ふうと粥を冷ましていた白紗は俺が腰に差
している刀に気づいたようだったが、何も言わなかった。
することもなく、俺は本殿の廊下にただ座っていた。櫓を建てた村人たちは小休止してい
るようだ。ならばこちらも小休止していてもよかろう。
目を閉じて体を楽にする。勿論、村人たちの動きを警戒することは忘れなかったが。
太陽が天を指す頃、村人たちに動きが見られた。吊り橋の向こうへ目を向けると、村人が
食料を運んできている姿が見えた。村人たちは吊り橋を渡らずにその場に食料を置き、そ
そくさと逃げ出した。
兵糧攻めと言うことはなさそうだ。もっとも、食料に毒が入ってない保証はなかった。し
かし幸い、将軍の毒味役を務めていた俺はいくつかの毒なら食べて分かる。ここはありが
たく頂戴するとしよう。
立ち上がって歩き出し、吊り橋の側まで近づいた。村人たちに動きは見られない。慎重に
歩を進めて吊り橋の半ばまで渡りきったとき、杖を持った老人が吊り橋に近づいてきた。
蓮見だ。
心中では村人が俺ごと吊り橋を落とすのではないかとびくびくしていたが、外見は平静を
保って吊り橋の向こう側へたどり着く。
蓮見が謝辞を述べた。
「誠に申し訳ない。本来なら社まで運ばねばならぬところじゃが、儀式の準備で村人たち
も疲れてしまっていての」
「いえ、皆様もお疲れでしょう。このくらい私一人で十分です」
心にもない言葉を吐いた。
それにしても、俺一人で、と言ったものの、これだけの量を一人で運ぶのは骨が折れそう
だった。疲れの少ないうちに、重いものから運ぶとしよう。
米俵を担いで吊り橋を渡る俺の後ろに蓮見がついてきていた。
「なあに、儂は疲れておりませんでな」
蓮見が持っているのはネギが数本。それだけとはいっても、片手に杖をついている老人が
よく揺れる吊り橋を渡っているのである。心の臓に悪い光景だ。
「どうかお気遣いなく」
こちらをちらりと見ると蓮見はかすかに鼻を鳴らした。
「馬鹿者が。儂がおらねば、お主は奈落の底へ真っ逆さまだぞ」
背筋に悪寒が走った。
なおも素早い口調で蓮見は続けた。すぐ隣にいる俺でさえ何とか聞こえる程度に抑えた声
だった。
「あとで話がある。儂を本殿まで連れて行け」
俺たちを中止する村人たちに気づかれぬようかすかに頷いた。



何往復かして食料すべてを本殿まで運び込んだ俺は蓮見を本殿へ迎え入れた。
「それで、何の話でしょうか」
「うつけ。話と言えば更科殿のことに決まっておろう」
前置きをすべて廃し、蓮見は結論から入った。
「更科殿を殺せ。それですべてが丸く収まる」
「断る」
話にならないと立ち上がった俺を蓮見が止めた。
「やはり、お主は更科殿を守るのか」
「知れたことだ」
「お主は事の次第を知らぬからそう言えるのだ」
そのとき、奥の間に続く襖が勢いよく開けられた。
「事の次第ですって? よくもそのようなことを口に出せたものですね」
蓮見につかみかかろうとした白紗を俺は羽交い締めにして止めた。
「お離しください順也様」
「落ち着け、相手は老人だぞ」
「だから何だと言うのですか。もともとは長老連中が……」
蓮見は白紗から目をそらしていた。ため息とともに言葉を吐き出す。
「その通りじゃ。もともとは我らの罪」
憤怒に燃える白紗の目。
「分かっていて姉様を殺そうとするのですか」
白紗を痛ましそうに見つめる蓮見。
意外の光景だった。先頭に立って更科さんを殺そうとしている人間だとはとても思えなか
った。
「白紗殿も気づいておるはずじゃ。発作、という言い方が正しいかは分からぬが、発作の
周期がだんだんと短くなって来ておることに」
押さえつけていた白紗の体がびくんと震えた。
「ただの一度の発作なら誰が”さとり”を殺そうと思おうか」
「発作?」
俺の呟きに答えて蓮見は口を開いた。
「やはり知らなかったのだな、順也殿」
「更科殿は――」

突然に。金槌で殴られたような衝撃が頭に加わった。
ガン、ガン、ガン、ガン。
二日酔いの朝に近い痛みだ。ただし、痛みはその比ではなかった。目の玉が飛び出しそう
だ。
「くっ」
立っていられずに俺は床に倒れた。
「やめて……やめて……」
「ぐぅ、ぐ、がぁあぁぁぁ」
白紗と蓮見も苦しそうに床で藻掻いている。
少しずつ、少しずつだが俺は痛みに慣れていった。
「白紗、蓮見殿、気をしっかり持て!」
「あああ、あああ……」
「ぐぉ、ぉおおお……」
頬をかきむしる白紗の手を掴む。
「いやあああああ!」
途端に白紗の叫び声が激しく変わった。振り解かれそうだ。普段の白紗からは想像もでき
ない力だ。
蓮見は杖に自らの頭を打ち付けようとしていた。俺は咄嗟に杖を蹴り飛ばす。蓮見の頭は
畳に打ち付けられた。一度では足りずに何度も打ち付ける。
「ぬおっ」
万力で締め上げられるような力が頭にかかる。途切れそうになる意識の中、白紗の手をし
っかりと握りなおした。

再頂点に達した力は急速に萎んだ。だんだんと弱まっていく力に比例して白紗たちの呼吸
が整ってゆく。
二人の無事を確認して、俺は先ほどの出来事を反芻した。何度考え直しても結論は一つだ
った。
更科さんの力を封じている封印は完全なものではない。もう破れかかっているのかもしれ
ない。
さらに、力に襲われる前の蓮見の言葉を考え合わせる。発作と呼ばれたものが、さっきの
出来事であることは違いあるまい。
「うう、ううう……」
白紗はいつの間にか嗚咽を繰り返していた。蓮見は気絶していた。
「白紗?」
胸に取りすがってくる白紗は俺の決意を見抜いてしまったのか。
「この身は最早さとりではありません。今となっては、人に害を及ぼす化け物に過ぎませ
ん」
更科さんの言葉が事実であると俺は知った。
やがて蓮見も気を取り戻す。もう少し休んでいけという俺の言葉に悠長な、と毒づいた。
「ぼやぼやしていれば、白紗殿まで殺されるのだぞ。そうなればさとりの後継がいなくな
ってしまう」
ほかの村人たちと意を異にしていると感じていたが、これは予想外の言葉だった。
「蓮見殿はさとりを嫌っているとばかり思っていたが」
「今でも嫌いじゃよ。これまで何度、儂たちが必死で考えた案をひっくり返されたことか。
じゃがこれは儂の感情に過ぎぬ。村にはさとりが必要じゃ」
ふん、と自嘲した蓮見は白紗の肩に手をかけた。
「更科殿のことは儂らの責任じゃ。それでも、儂は村人たちを守らなければならん。分か
ってくれ、とは言えぬじゃろうがな」
と言い残して、蓮見は本殿を出て行った。

震える唇で白紗は事の次第を語ってくれた。度重なる儀式で更科さんの体調が悪化してい
ったこと。ついに限界を超えて祭りの最中に力が暴走してしまったこと。暴走した力を防
ぎ止めるため二人で封印を張ったこと。しかし、暴走した力は押さえきれず度々莫大な力
の放出、発作を繰り返していたこと。一週間ごとだった発作の周期がだんだんと短くなり
、三日に一度は起こるようになったこと。村人たちの動きがいよいよ怪しくなるなか俺が
帰ってきたこと。
今もなお俺の胸にすがりつく白紗の体をそっと押しのけた。
立ち上がる俺に対し、何が起こったのか理解できない様子の白紗。
俺は鞘から刀を抜いた。現れた刀身に蝋燭の炎が歪んで映っていた。白紗は悲しげに顔を
伏せる。
俺は鞘に刀身を収めた。最後に確認しておくべき事を白紗に尋ねる。
「更科さんはもう力を押さえられない。そうだな」
白紗は答えなかった。俺は敢えて冷たい口調で、
「ならば、俺は」
怖かった。その言葉を言ってしまったら俺はもう後に引けなくなってしまうのだ。
俺に向けた白紗の瞳が涙で曇る。俺の涙と白紗の涙、二人分の涙で曇る。
「更科さんを殺す」
せめて、白紗が更科さんへの殺意に気づく前に。

廊下へと続く戸を開け、飛び込んでくる空に月を探す。欠けたるところなき満月だった。
欠けてゆく運命を負う満月を背に廊下を進む。
脇に差していた刀を片手に持ち替えて廊下を進む俺の耳に、俺のものではない足音が聞こ
えていた。
泣いているのだろう、その手で顔を押さえていた。
程なくして、更科さんの部屋にたどり着いた。震える手に力を込めて、刀を強く握りしめ
た。
白紗が顔を上げて話しかけてきた。
「姉さんを殺すしか道はなかったのでしょうか」
俺は白紗に振り返り頷き返した。
襖を開いて静かに昨日と変わらぬ室内へと足を踏み出した。更科さんは俺の顔を見つめ、
そっと頭を下げた。
俺は刀を高く振り上げて、差し出された首めがけて一気に振り下ろした。
傾ぐ体から血が飛び散り、俺と白紗の着物に付着した。
「布を」
勘よく俺の意をくみ取った白紗は廊下へ飛び出した。
屈み込んで更科さんの首を両手に抱えて、白紗が戻ってくるまで俺は泣いていた。

首を携えて俺たちは階段を下り、村人たちに首級を見せた。
自らが望んだ結果であるはずのそれを、村人たちは遠巻きにして眺めるだけだった。
「確かに更科殿の首。確かにいただきましたぞ」
蓮見の合図に従って、村人たちは三々五々に散っていった。逃げるかのように村人たちが
去り、その場に三人だけが残されると、蓮見は更科さんの首級を俺たちに返していった。
「どうか丁重に弔ってくだされ」
白紗と相談した結果、更科さんが可愛がっていた芙蓉の側に埋めることにした。
最後の土を盛り、すべてを終えた俺は、草むらにそのまま倒れ込んだ。虚しさが全身を包
み込んでいた。
白紗をずっと見ていると、引き寄せられたかのように白紗の顔が大きくなってゆく。いつ
しか、俺の全身は白紗の体に包み込まれていた。間近で向かい合い、白紗のきらめく瞳、
なめらかな肌、赤く色づく唇と、ちろちろと誘うように踊る舌を見ていた。
やがて――。



再び気づいたとき、自分の体が揺れていることに気づいた。それだけではない。腕も足も
動かせなかった。唯一動きの効く首を動かして、俺は現状を理解した。
俺の体は簀巻きにされていた。そして、男三人に抱えられて山を下っていた。三人はいず
れも俺の知らない顔だった。しかし、前方を進む曲がった腰には見覚えがあった。
「蓮見!」
暴れ狂う俺に手を焼いて、男たちは俺を地面におろした。俺は叫んだ。卑怯者、裏切り者
、更科も殺すつもりだったのだな、殺すなら早く殺せ。
やがて喉がかれ、息が苦しくなる。それでも俺は叫び続けた。
蓮見は俺の罵声を静かに聞き続け、俺の言葉が止まった瞬間に口を挟んだ。
「白紗殿の願いじゃよ」
馬鹿なと叫んだつもりだったが、とうにかれた喉からは声が出なかった。
「だいいち、殺すつもりならお主は既に冥府にいるじゃろうて」
俺の目を見つめたのち、蓮見は山の上手を哀しげに見つめた。そして白紗殿の伝言だと前
置きしてから、
「更科殿を殺した責は私にある、と」
白紗は自分一人で罪をかぶるつもりだったのだと俺は知った。
唇をかみしめた俺は再び男たちに抱えられて、山を下っていった。

運ばれた先は蓮見の屋敷だった。さとりを殺した勇者を歓迎するという名目で、俺は事実
上軟禁されていた。
自由にしたら山にゆくと思われていたのだろう。実際、そのつもりだったのだが。
せめてもう一度白紗と話し合わないことにはとうてい納得できなかった。
一週間後、食事を取ろうとしない俺に根負けした蓮見に付き添われて俺は山へ向かった。
しかし、俺に告げられた言葉は「もう決めたのです」の一言だけだった。

その日から俺は漫然と過ぎてゆく日々を見送った。白紗は蓮見が選んださとり男と結婚し
、夫婦仲は円満らしい。かくいう俺も、毎日の食事を運んでくる侍女が俺の妻ということ
になっていた。
あの日から三年が過ぎた頃、白紗が身ごもり、やがて双子を産んだ。祝いの宴に出席した
俺に、白紗は目を合わせなかった。
双子のうち一人は分社を作るとの名目で物心つく前に親元から引き離された。白紗に対す
る人質だ。村人たちは”さとり”である白紗を恐れていた。時によっては神のお告げを聞
くことのできない、さとりとしての力の弱さは問題にされなかった。
やさぐれていた俺の心も平静を取り戻しつつあった。俺はいつしか妻を愛するようになっ
ていた。そんな矢先、蓮見が亡くなった。
恩人であり庇護者であった彼が亡くなり、俺と白紗に対する警戒は厳しくなった。
さらに二年が過ぎる。再び白紗に懐妊の兆候が見られた。その二月後、妻が懐妊を俺に告
げた。



赤子誕生の報が届き、俺を含むさとりに同情的な人間の間で歓声が沸き起こった。圧倒的
な少数派である我々の歓声はすぐに沈黙に取って代わられた。
やがて何人かずつに分かれて白紗の見舞いを行うことになり、順番を待ちきれなかった俺
は後ろから赤子を覗き込んだ。
元気に産声を上げる赤子をあやしつける白紗の手つきはもう三人目ということもあり手慣
れたものだった。俺の前にいる村人が小さく呟いた。
「髪が白い?」
そう、赤子の髪は白かった。肌も透き通るような、いや病弱ともいえる白だった。赤子は
白子だった。
更に続けてそいつは恐怖に震える声で、
「更科の祟りだ!」
恐怖が村人たちの間に瞬く間に伝播した。危険を感じた俺が産婆から赤子を奪い取ろうと
したことが間に合わず、かえって俺は村人たちに押さえつけられた。藻掻く俺の耳に声が
飛び込んでくる。
祟りだ。何故だ。おかしい、こんなはずは。落ち着け白子だというだけだ。何を悠長なこ
とを。祟りに決まっている。
押さえつけられていたのは俺だけではなかった。白紗の夫だけでなく、子供を産んだばか
りの白紗までも押さえつける村人たちの中で議論が煮詰められてゆく。
雰囲気を感じ取って赤子が泣き出し、さとりの力が暴走する。
暴走が収まったとき、もはや村人たちにまともな理性は残っていなかった。
今すぐ殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。いや待て、殺してもまた祟られるのではないか。ならど
うやって殺す。
白紗もまとめて全員殺してしまえという議論は穏健派によりなんとか封じられた。
ではどうやって殺す。俺たちが殺すからいけないのではないか。俺たちが手をかけずに殺
せばいい。また殺させるのか。馬鹿、それでも祟られているのに何を言っている。
錯綜する議論に終止符は打たれない。このまま有耶無耶になることを俺は望んだ。
それまで黙っていた蓮見文吾――義之の甥だ――が口を開いた。
「神に捧げてはどうだ」
急速に議論がまとまってゆき、その日のうちに速やかに実行された。

蓮見の屋敷に連れ戻されて三日、俺は白紗が自殺したことを知った。
俺をどうにか慰めようとする身重の妻。その膨らんだ腹を見るたび、俺は妻を殴ってしま
いそうになった。
俺は文吾に事を話し、一人離れて生活することにした。
暫くして、生まれた子を連れて妻が引っ越してきた。俺はなるべく子供に会わないように
した。子供がよちよち歩きをできるようになって初めて、子供を抱くことができた。子供
は男の子だった。
子守歌代わりに俺はさとりの話をした。

さとり。
神との交感を交わす一族を我々の村では憧憬と畏怖を込めて、そう呼んでいた。
村人たちは天の意志と疎通する巫女を祭っていた一方で、また、自分たちの意志を自然に
受け取ってしまう巫女を恐れてもいた。
相反する二つの感情を天秤に載せた危うい綱渡り。

息子が成長し、ほかの家の子供たちと接する機会が増えた。しかし、息子は俺が語ったさ
とりの話のため、他の家のこと話が合わなくて孤立してしまった。
俺を嘘つきと非難し、俺が教えたさとりの話を否定して、息子は村の子供たちと遊ぶよう
になった。
二人目以降の子供にさとりの話はしなかった。

時は流れる。また一人、さとりの子供が殺された。性懲りもない俺は息子の目を盗んでは
孫にさとりの話を聞かせていた。



黒かった。
周囲を見回そうとするが、すべては黒一色に塗り潰されたその世界はどこを向いても変化
というのが存在していない。
……と、暗黒の中心に白い点がぽつんと存在しているのに気づく。
ふとおかしなことに気づいた。
もし、あれが光ならば、わずかなりとも周囲を照らし出して、この場の光景をわずかでも
浮かび上がらせているはずなのに……。
だが、あくまでも点は点として存在しているだけで、周囲にその影響を及ぼすこともなく
ただ存在しているだけだった。
・
・・
・・・

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