スチャラカもくれんタマスダれ
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「ところで」
俺は何気ない口調を装って白紗に話しかけた。
「更科さんに会わせてくれないか」
「姉は今、病で床に伏せています。病が癒えたらお知らせしますから」
かたくなな口調だった。これまでも微妙に更科さんの話題を避けていたのであるいはと思
っていたのだが、気持ちのよいものではなかた。
やはり、最初に更科さんと白紗とを取り違えたことを恨んでいるのだろうか。というのは
邪推というものだろう。白紗はそのような娘ではないと俺は信じている。
「病なら尚更だ。世話になった方だ。見舞いぐらいはさせてくれ」
俺の精一杯の気持ちも白紗には届かない。
「駄目です。順也さんに伝染ります」
「それなら白紗だって」
「私はもうかかりましたから」
ということは、麻疹かそこらの病だということか。
確かに軽い病ではないが、死をもたらす病というほどのものでもないではないか。
「いやしかし、一目くらいなら」
「駄目です」
俺の甘い見通しは一言の下に却下された。
あまりにもきっぱりと拒否されて二の句が継げなくなった俺に憐憫の情を感じたのか、白
紗は
「仕方ありません。部屋の外から声をかけるくらいなら許しましょう」
と言うと、後ろを見ようともせずに住居へ戻ろうとした。
その背を俺は呼び止めた。
「待った」
俺の目は山道を歩いてくる集団を捉えていた。風体からすると追い剥ぎではなさそうだ。
と、すると。
「村人たちが登ってきている。今戻っても二度手間になるだけだぞ」
俺の言葉を聞いた白紗の体が震えたように見えた。
こちらに向かってくる白紗の足取りや顔色の不審な点は見あたらない。俺の錯覚だったの
だろうか。

俺たちは吊り橋を渡って村人たちを出迎えた。
が、どうにも様子がおかしい。この張りつめた緊張感はどこから来ているのだ。
白紗も村人たちも今にも斬り結びそうな危うさが漂っていた。
不審な点はもう一つあった。村人たちの先頭に立ち杖をついて歩くあの老人だ。俺の記憶
に比べると随分と老け込んでしまったが、村で一、二を争う有力者の蓮見義之に間違いな
い。さとり嫌いで知られる老人が何故こんなところへ。
白紗が頭を下げるのに合わせて俺も頭を下げた。
蓮見は礼には答えず、ずっと俺を注視している。思わずかっとなる自分を抑えて、蓮見の
出方を窺っていた。
「白紗殿、この者は」
向こうはこちらを覚えていなかった。小作人の息子を覚えているはずもないか。
「戦に出ていらした順也様です。先日より当地に宿泊頂いています」
白紗の説明にあちこちから声が上がる。本当かいや確かに見覚えがあの頬の傷は間違いな
くそんな傷はなかったぞ。
俺はすっかり村の人間に忘れ去られてしまっていたらしい。あるいは、とうに死んだもの
として扱われていたのかもしれない。
どうせ親は俺が戦に駆り出される前に二人とも死んでいるのだから、そこらへんの心配だ
けはしないで済みそうだった。
どよめく村人たちの中で、蓮見は一人冷静だった。
「なるほど。白紗殿が順也殿だと言うのであれば間違いなかろう」
低くつぶれた声に村人たちのざわめきがぴたりと止まった。
地面を杖で一度叩くと、蓮見は話を切りだした。
「白紗殿もご存じであろうが、本日は霊迎えの儀を執り行うべき日。儀式の用意は調って
おられるかな」
脇腹に人の手が当たる感触。白紗が俺の服の裾を掴んでいた。僅かに震える肩が目にとま
った。
「用意は調っております」
ならば、と村人たちは白紗の周りを避けるようにして奥の吊り橋へ向かおうとした。
「なりませぬ」
「それは何故ですかな?」
蓮見が止まり、引き続いて村人達の動きが止まった。しかし、彼らの意志は止まらない。
ギラギラした矢の様な目が白紗を射抜いていた。
戦場を離れてから味わっていなかった、背筋がぞっとする悪寒が俺の背を駆け上った。
俺は白紗との距離をつめた。本当は白紗の前に出て彼女を庇いたかったが、ここは彼女の
戦場だった。
「用意は万端調っております。しかし、姉が病の床では儀式を執り行うことは不可能です」
村人たちから怒号が飛ぶ。ふざけるな。病がどうした引っ張り出してこい。儀式のできぬ
巫女など何の意味がある!
これはどうしたことだ。俺が戦に出ている間に何があったというのだ。
そう、確かにさとりは恐れられていた。だが同時に尊崇も受けていたはずだ。
俺の内心の困惑を余所に、村人たちの怒号は罵声へと変わり、止まるところを知らない。
聞くに堪えない罵詈を押しとどめたのは、枯れ細った一本の細腕だった。
「静まれ皆の衆」
白紗の顔色は既に蒼白を通り越して青ざめていた。
俺の服を掴んでいた手はぎゅっと俺の体を握りしめていた。そこから、彼女の恐怖が伝わ
ってくる。
「白紗殿、皆の暴言どうかお許し頂きたい」
白紗の返事はとても小さく、村人たちに届いたかどうかは甚だ心許ない。
「しかし。儂とて村の衆の不満をいつまでも抑えておけるわけではない。三日後、霊送り
の儀が執り行われなければ、儂にも考えがあり申す」
考えとやらが暴力的なものであり、蓮見の言葉が脅迫――いや、最終通告であることは明
白だった。
蓮見の指示に従って村人たちが嫌々ながらも山を降りてゆく。
唾を吐き捨てる村人に、かつてのさとりに対する畏れの気持ちを見ることはできなかった。



村人たちが見えなくなっても、白紗の体は震え続けていた。
「誰のせいだと思っているのよ。誰の……」
白紗の体が崩れ落ちた。
慌てて受け止めた俺は白紗の体に熱が籠もっていることに気付いた。
白紗の額に手を当て、次に俺の額に手を当てる。白紗の額は明らかに俺よりも熱かった。
俺は白紗の体を抱えて吊り橋を渡り、本殿の廊下に彼女を横たえた。
井戸から水を汲み、丁度日に当てて乾かしていた手拭いを取ると盥に浸けて軽く絞り、彼
女の額にそっと置いた。
白紗の呼吸は浅く、荒い。
「はっぁ、あ、はぁ」
取りあえず廊下に運んだが、白紗の体に日光が直接当たっていた。額に置いた手拭いも、
はや乾き始めていた。場所を変えるべきだ。
戸を押し開いて本殿の中に白紗を移す。
額の手拭いを取って、盥の水に浸けた。急ぎ戻って冷えた手拭いを彼女の額に置く。
それを二度三度繰り返すと、盥の水がぬるくなっていた。俺は井戸から新しい水を汲んで
くる。
俺は白紗の手を握った。
「大丈夫だ」
その言葉は白紗に言ったのか、自分を安心させるためのものなのか。
握った手から力が抜けていく光景を何度も幻視する。その度に挫けそうになりながら、俺
は彼女の手をずっと握っていた。

その日は負け戦だった。
敗走する敵を追っていた俺たちは突然、横合いから伏兵に襲われた。
俺たちは力の限りを尽くして、伏兵の連中も、向きを変えて再度攻めかかってきた奴らも
撃退した。
だが、俺たちの部隊はほぼ壊滅的な損害を受けていた。うめき声を上げていた奴らが次第
に静かになってゆくその日の光景を俺は忘れない。
士気を鼓舞するつもりか将は言った。今日は勝ち戦だ、と。頷く者は誰もいなかった。
明日にはこの場所を撤退するという命令が下っていた。
怪我人はどうするのだと思うような、人の心を残してしまった馬鹿な奴はとうに死んでし
まっていた。
今ここにいるのは、明日の我が身を嘆く者と、明日の命あらんことを願う者。
前者を生者と呼び、後者を死者と呼ぶ。
「おい、しっかりしろ」
目の前に横たわっていたのは一年を共に戦い抜いた戦友だった。
これだけ功績を立てたんだ。領地くらい貰ってもバチは当たらないだろうぜ。
昨日一緒に馬鹿笑いしていた戦友はもう、言葉を出すことすら出来ないでいた。
傷口で蛆が蠢いていた。払いのけても払いのけても奴らはどこからとなくわいて出た。
「領主様になるんじゃなかったのか。目を覚ませよ!」
俺は戦友の手を堅く握っていた。
寒いと言っていた。俺が手を握ると、暖かいな、と言っていた。
肩に手が置かれた。刀傷の多いごわごわとした手。
頭は首を振って言った。もう助からねえよ。お前が生きることを考えな。それがせめても
の手向けだよ。
ずっと握ってやっていたその手は、だというのに、冷たく凍えていた。命の通わぬ冷たさ
だった。

握っていた手が握り返された。
「順也さん……」
白紗の顔は普段の血の巡りを取り戻していた。手は、大丈夫、暖かい。
「済まない。眠ってしまっていたようだ」
額の手拭いを取って、熱を計る。大分下がってきたようだが油断は禁物だ。
手拭いを取り替えていると、白紗が声をかけてきた。
「泣いていらっしゃるのですか?」
「誰がだい?」
「私には順也さんが泣いていらっしゃるように見えます。違いますか?」
俺は目の下に水滴がついてないか確かめた。
あてた布は濡れていない。俺は泣いてないと答えた。
「でも、とても悲しそう」
白紗に話すことだろうか。少し考えて、ほんの断片だけを口にした。
「昔死んだ、戦友の事を思い出していたんだ」
「どうしてですか?」
手拭いを取り替えて、俺は白紗の手を握った。
「こうやってあいつの手を握ってたんだ。けれども、あいつは死んでしまった。白紗ちゃ
んの手を握っていて思い出したんだ」
「私も死ぬと……」
「死ぬな!」
思いの外大きな声だった。
「死なないでくれ。お願いだから……」
もう恥も外聞もなかった。白紗の体に縋って俺は泣いていた。
子供のような俺を白紗は黙って撫でていてくれた。



「順也さん。姉さんが話があるそうです」
唐突に白紗はそう口にした。
「更級さんが? どうしてそんなことがわかるんだ」
と言ってすぐに俺は気づいた。それは勿論、
「さとりの力で伝えられました。姉さんに会ってくれますね」
泣いていた気恥ずかしさもあり、俺は混ぜっ返す。
「さっきまで会いたいと言っても会わせてくれなかったのに、どういった気持ちの変化か
な」
「あなたが私たちの知っている順也さんだと分かったからです」
言葉では信頼していると告げていた。けれども、まっすぐに見つめている白紗の瞳は俺を
試しているかのようだった。
「やはり病ではなかったんだな」
「ある意味、病かもしれません。話は姉さんから直接お聞きください」
うつむいてしまった白紗はそれ以上喋ろうとしない。
「でも、君の体調だってまだ」
白紗は首を振った。
「私はこうして休んでいれば大丈夫です」
そこまで言うならばと、俺は白紗に指示された部屋に向かうことにした。
どうしてなのか、白紗が去り際に見せた寂しげな顔が印象に残った。

じりっ。
その部屋の前に立ったとき痛みが頭の中を駆けめぐった。
「痛う」
蜘蛛に噛まれたのかと思い辺りを探ったが何もない。気のせいだったのだろうか。
俺は襖を開けた。部屋の様子が目に入ってくる。
四方から室内を照らし出す蝋燭。部屋を取り囲むようにして張り巡らされた注連縄。注連
縄に巻かれた無数の呪符。
封印という言葉が頭に浮かんだ。
部屋の中央に座っていた白髪の女が顔を上げ、俺と彼女の視線がぶつかった。
女はまず美しいと言えた。だが、ほほがこけていては美しさは本来の何分の一も現せまい。
女にはどこか見覚えがあった。見覚えがなければ、見る影もないという形容をしただろう。
彼女は変わってしまっていた。かつての面影が残っているだけに余計にやるせなかった。
「お久しぶりです。順也様」
「お久しぶりです」
我ながら間抜けな挨拶だった。
「更科さん、これは一体」
もっと近くで顔を見ようと、室内に入ろうとした俺に対して更科さんの厳しい叱責が飛ぶ。
「触ってはなりませぬ」
叱責? その声は、叱責というにはあまりに悲しみで満ちていた。
「この部屋は力を封じるための部屋。妄りに入ってはなりませぬ」
俺の困惑は頂点に達しようとしていた。
思いつくままに言葉を紡ぐ。
「力? 封じる? 入るな?」
いや、俺が本当にぶつけたい質問は、
「そもそも、一体誰がこのようなことを」
「私です。白紗にも手伝ってもらいはしましたが」
更科さん自身が自らを封じた?
「何故です? 何故、自ら力を――さとりの力を封じたのですか」
「さとりの力、ですか」
彼女は悲しげに微笑した。
「この身は最早さとりではありません。今となっては、人に害を及ぼす化け物に過ぎませ
ん」
「そんな……」
彼女が何を言っているのか理解できなかった。理解したくなかった。
「順也様が今になってお戻りになったのも何かの縁。順也様に是非お願いしたき儀がござ
います」
俺はそのときになって、彼女の髪の色の真の意味に気付いた。
白き髪。それは、さとりの能力が発現していることを意味していた。
今やさとりの能力を彼女の意志で制御できず、封印で無理矢理に力を押さえつけているの
だと俺は悟った。
「私を殺してください」
声が掠れた。
「馬鹿な」
「順也様、あなたにしか出来ぬことなのです」
「何を仰っているのです。更科さんは私を買いかぶっておられる」
俺は虚ろに笑った。
彼女はやはり悲しげに微笑んでいたが、その顔はほんの少し苦笑に近づいていた。
「やはり気付いておられなかったのですね。順也様にはさとりの力が及ばないのです」
俺はただ、彼女の言葉を繰り返す。
「さとりの力が及ばない?」
「それが何故かは分かりません。しかし、私たちが考えを読めない人は順也様、ただ一人
でございます」
「だからどうしたというのです」
本当は訳も理解してしまっていた。俺はただ、僅かな逃げ道をと藻掻いているだけだった。
とっくに塞がれている逃げ道を。
「封印でどうにか抑えているこの力。命の危機を察すれば、たちまち私の制御を離れるで
しょう。たとえ九里の果てより矢を射んとしても、見逃す力ではありません」
「私には出来ません。更科さんを殺すなどと」
「順也様……」
俺を見つめる更科さんの目は、やはり悲しげだ。
「そうです。三人で逃げ出しましょう」
咄嗟の思いつきだったが、この上なく素晴らしい案に思えた。
勢い込んで俺は更科さんの手をとった。
ごほごほと感じの悪い咳の合間に更級さんは言葉を紡ぐ。
「お断りします。この結界を出てしまえば、私の力は無差別に人を襲い、その人を殺すで
しょう。そのようなこと耐えられませぬ」
彼女は既に覚悟を決めてしまっていた。彼女を助ける術はなかった。
「申し訳ありません。私が自刃すれば済むことなのですのに。私はそこまで潔くはなれな
いようです」
心から恐縮した体でお辞儀をする彼女の姿を見て、俺はその場に崩れ落ちた。
涙が止めどなく頬を流れてゆく。
「申し訳ないなどと……」
「白紗のこと、どうぞ宜しくお願いいたします」
更科さんは再度お辞儀をして、俺に本殿に戻って白紗の看病をするよう言った。
言われる通りに部屋を出て行った俺はどこをどのように通って本殿に戻ったのか、今も思
い出せない。



蓮見ら村の有力者が立ち去って、わたしたち姉妹だけが残された。
姉さんの顔色には儀式による疲れが色濃く出ていた。
神との語らいはひどく精神を消耗させる。
「姉さん、今度の祭りは休んでください」
姉さんは私に弱さを見せまいと笑ったのだろう。でも、姉さんの苦しげな仕草は私の心配
を煽るだけだった。
「何を言うのかしら。晴れの舞台を休むなんて出来るわけないでしょう」
あと一週間で村の祭りだ。村人全員が神社に集まり、そのときばかりはこの境内も様々な
出し物で賑わうこととなる。
そして、祭りの締めを飾るのが巫女による踊りだった。
踊りの最中、男は意中の女性を、女は意中の男性を思う。
男女の願いが重なれば、踊り子は二人の想いを繋げ、祝福する。
ここで祝福された二人は、末永く幸せに暮らすことができると言われていた。
「その気持ちは分かるけど。姉さんは最近働き過ぎです」
巫女が執り行う儀式は、一月に一つあれば多い方だった。
それなのにここ一年ほど、月に二度三度ではきかなくなっている。
「村の行く末が気になるからって、姉さんの都合は考えようともしていない」
姉さんは私を窘めた。
「あの人たちにはあの人の、私には私の責務があるのよ」
でも、あの人たちは姉さんのように体調を崩していはいない。
村の大事を神にはかると言って、自信で考えることを投げ出しているだけだ。
「姉さんは人が良すぎます」
姉さんは私の頭をぽんと叩いた。
「こら、他人の悪口は言っては駄目だと口を酸っぱくして言ったでしょう」
「でも……」
そのとき、私は名案を閃いた。
「そうだ、祭りの踊り子が私が」
「却下します」
提案は最後まで言う前に退けられてしまった。自分でも恨みがましいな、と思う声で私は
尋ねた。
「どうして?」
「白紗、あなた意志をより分けられないでしょう」
事実だった。私は姉さんほどの能力は持ってない。人々の心を受け止めることはできても
、混合された人々の心をそれぞれの個人に選り分けることは出来ないのだった。選り分け
、二人だけの心をつなぐことが儀式には求められていた。
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫です。祭りまであと一週間あるのだから、それまで休んでおくわ」
一週間の休みがあれば、姉さんの体調も回復するだろうとそのときは思った。
けれど、僅か三日後。隣の村の若者が動いたとかで、姉さんは神降ろしの儀をさせられる
こととなる。
そして、祭りの当日――。



本殿に戻った俺は白紗の様子を確かめた。やはり、まだ体が熱を持ってた。
まるで操り人形に操られているような動作で俺は白紗の額の手拭いを取り替えた。
白紗の寝顔をずっと見つめていると腹の虫が鳴りだした。自らを罵りながら厨房へ向かう。
白紗の食事も作らねばならなかった。

俺は味付けを確認すると白紗を揺り動かした。
「白紗、起きろ」
二度三度と揺さぶっていると白紗の瞼が僅かに開いた。
「順也さん?」
「寝ぼけているのか。ほら、飯だぞ」
上半身を起こそうとする白紗の背中を支えた俺は、粥を載せた匙を白紗に見せて尋ねた。
「自分で食べられるか? それとも、俺が食べさせてやろうか」
白紗はぼーっとしている。まだ寝ぼけているようだ。
「食べさせてください」
「よし、分かった」
粥を息で冷ましてから、白紗の口へ運んだ。
白紗が匙を飲み込む。まるで、子供に餌をやっている母鳥の気分だ。
「美味しいか?」
塩味だけでは寂しいと思って、辺りの野草を一緒に煮込んでみたのだが。
「しょっぱいです」
病人だからと薄味のものを出されると惨めな気持ちになるものだからと、濃いめに味付け
したのは失敗だったようだ。
「そうか。今度は薄味にしてみよう」
「でも、美味しいです」
手の込んだ料理とは言わないが、自分が作ったものを人に褒められるとやけに嬉しいもの
だ。
「そ、そうか?」
白紗は何も言わず口を開ける。もっとくれ、ということだろう。

結局、白紗は器に選り分けた粥を食べきった。これだけの食欲があれば明日には回復して
いるだろう。
俺は安堵し、器を片付け始めた。
暗い室内を見つめていた白紗がぽつりと洩らす。
「姉さんは順也さんに何の用事だったのでしょうか」
出来れば忘れていたかったのだが。それは虫の良すぎた考えのようだった。
いっそのこと嘘をつこうかとも思ったが、白紗の透き通った瞳を前に嘘をつき通す自身は
俺には無かった。
「俺に自分を殺してくれと」
室内を沈黙が覆った。
「やはり、そうだったのですね」
「気付いていたのか?」
俺が持つ、さとりの力を受け付けない異能に。
俺の質問に更紗は答えず、
「どう答えたのですか?」
「断った。いや、答えられなかったのだと思う」
事が更科さん一人のことなら断ればいい。けれども、事は更級さん一人のことに止まらな
いことだった。更級さんを殺そうとする村人が果たして白紗を生かしておくのだろうか。
俺は二人を守らなくてはならない。しかし、既に――
「私のことは気にしないでいいんですよ」
俺は耳を疑った。白紗の言っていることの意味が分からなかった。
「村人たちが狙っているのは姉さん一人。順也さん、あなたなら姉さんを連れて村から逃
げられるはずです」
残念だが、もはや逃げ道も塞がれていた。
「白紗はずっと寝ていたから知らないだろうけど、吊り橋を渡ったすぐそこに村人たちが
たむろしている」
それでも決して吊り橋を渡らないのは、彼らに僅かでもさとりに対する尊崇が残っている
のか。それとも、単に恐怖しているのか。
「私たちを監視するような真似をお許しになったのですか」
語気を強めて問いつめる白紗を手で押しとどめる。
「儀式の準備だと言われては断れないだろう」
まして今度は霊送りの儀式。魂が浄土へ還る通路として櫓を組み上げることが慣習となっ
ていた。
「それに、更級さんにも断られたよ。更科さんは死ぬつもりだ」
「死ぬつもりならば、自分一人……」
俺は咄嗟に白紗の口に手を当て、彼女の言葉を遮った。決して言わせてはならない言葉だ
った。
更級さんが死ねばすべてが解決するように思えるが、実はそうではない。
自らの死を悟り、置いていけと言った人間の数だけ、俺は余分に死を背負っている。
自分の言葉と抱いてしまった心に恐怖した白紗の背にそっと手を回し、俺は彼女を抱きし
めた。
今更に帰ってきた俺に出来ることは、一人で耐えてきた白紗を慰めることくらいしかなか
った。

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