スチャラカもくれんタマスダれ
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「ずっと、お母さんと一緒だったんだよ・・・」
 俺は、名雪が泣きやむまでずっとそこにいた。そう、そこにいることしか
出来なかったんだ。俺が名雪にしてやれることって何だろう・・・。
そう、ベッドに横になって考えている俺。

 プルルルル・・・

 そんな俺の耳に、一階の電話からの呼び出し音が鳴り響いた。
こんな夜中に、一体誰が、なんの用だというのか?
 カチャ。俺が受話器を取ると、切羽詰まった女性の声が聞こえてきた。
俺が電話を取ってすぐにその女性が話し始めたせいで、
初めの方を聞き逃してしまい、すぐには内容をはっきりと理解できなかった。
「あ、水瀬様ですか? お母様のご容体が・・・急変しました。
今すぐ病院へいらして下さい。水瀬様のお宅ですか・・・」
 電話の女性は、俺を秋子さんの息子だとでも勘違いしていた。
だが、そんなことに構っていられる内容じゃなかった。
電話を最後まで聴いていられず、俺は受話器を放って階段を駆け上った。
「水瀬様、水瀬様!?」
 誰もいない部屋に、虚しく声が響いていた。

 ”なゆきのへや”そう書かれたプレートが掛かっているドアを
それさえも、もどかしげに押し開く。
「名雪ィッ!」
 自分でもここまでやかましい声を出さなくても、と自分でも思ったくらいの大声で、
俺は名雪を呼んでいた。
 名雪は動かない。そんな名雪に、俺は、
「秋子さんの容態が・・・急変した。今すぐ病院へ行くぞ、名雪!」
 びくっと体を震わせて、名雪は震えながら、それでもゆっくりと立ち上がった。
名雪の長い髪は無造作に垂れ下がり、それは俺に幽鬼を連想させた。
「嘘・・・嘘だよね、祐一・・・」
「パジャマ、着替えとけよ!」
 見せかけの希望にさえすがろうとする名雪に、
乱暴に声をかける事が俺の精一杯だった。

 タクシーを呼んで、外出を嫌がる名雪を無理矢理、押し込む。
15分ほどかけて病院に到着しても、名雪は脅えたように一歩も動こうとしない。
いや、実際恐れているんだろう。親子が引き裂かれることを。
 看護婦に案内されながら、名雪を引きずるようにして連れて行き、
俺はICU(集中治療室)のドアを開いた。
そこに見たモノは、すでに点滴も、酸素マスクも外されている秋子さんだった。
それは、秋子さんの治療を、医師たちが断念していたことを如実に表すものだった。
 目は閉じていた。俺にはすやすやと寝入っている様にしか見えなかった。
いや、そのように見たかったのだろう。

「まだご存命です。お別れを済ませてください」
 まだ中にいた医療スタッフたちは、ただそれだけを言うと、慌ただしそうに、
次の患者の所へだろうか、足早に急いで部屋を出ていった。
 ふらふらと、名雪がベッドへと歩み寄った。
そして、秋子さんの手を握り、へたっ、と名雪はへたりこんだ。
膝を冷たい硬質の床へつけ、額を秋子さんの手にこするように、なするように。
いやいやをするように首を左右に振り、声を出さずに・・・泣いていた。
俺は秋子さんが横になっているベッドの横に椅子を置いて座った。
 ふわさっ。いつ秋子さんは目を覚ましたのだろうか?
名雪の髪を秋子さんの右手が優しく撫でている。
秋子さんの視線が名雪と、そして俺と交わされる。
俺は、何かの力に惹かれた様に、しっかりと頷いた。
そして、秋子さんはいつものように、ちょっとばかり困ったように、
首を傾げて、俺たちにその微笑みを向けて、
「あらあら、困ったわね・・・」
 それが、秋子さんの最後の言葉だった。



 それから一週間、俺は名雪の代わりとして葬式や遺産相続の手続きに忙殺された。
名雪とは、忙しさという壁に阻まれ、話す暇さえ取れない毎日。
 名雪は、一面では回復してきている様にも見えた。
初めの二、三日は本当の一言さえ発しなかったけれども、
今では普通に話題を振ってきたりもしてくれる。
 けれど、一切の希望を失った顔で、沈んだ調子で。それは、名雪ではなかった。
少なくとも、俺の良く知っている、大好きな名雪では。

 嵐のような一週間が過ぎ、いつのまにか二月になってしまっていた。
この間にどれだけ学校の授業は進んでしまったのだろうか。
まあ、もともと勉強なんてしていなかったけれども。
 ・・・もしかして俺は情が薄いのだろうか?
まだ一週間しか経っていないというのに、こんな事を考えてしまう俺は。

 ピンポーンッ!

 玄関から呼び鈴の音が響く。来客だろうか。ちなみに、今はまだ午前中。
不登校児でもなければ、学校で机を前に睡魔と戦っている時間だ。
 かといって大事な用事があっては困るので、玄関へ急ぐ。
水瀬家のドアを開けるとそこには、
「いようっ、久しぶりっ!」
「久しぶりね、相川君」
 北川と、香里が仲良く立っていた。いつものメンバーと言えばそうなのだが、
二人が両手に提げているぎゅうぎゅう詰めの旅行用鞄、
それだけでは飽き足らなかったのか、
玄関に所狭しと並べてあるバッグがいかにも怪しかった。
二人ともが悪戯っぽい笑みを浮かべていることも、
余計に俺の不信感を増幅させるのだった。

「駆け落ちぃ!?」
 二人の荷物を三人で居間に運び、
(こんな多くの荷物を見たのは、俺がここに引っ越してきて以来だった)
休憩がてら話を聞いてみれば、北川は事も無げに
『実は俺たち、駆け落ちしたんだ』と言ったのだった。
 確かに、この尋常でない量の荷物もそういう理由なら納得出来るが・・・。
「厳密に言うと違うけど、まあそのようなものね」
 香里が北川の言葉に同意していた。
「それにしてもお前ら、いつの間にそんな仲に・・・」
「お前らが学校にいない間に、だ」
 なるほど。それなら俺が知らないはずだ。
だが、このカップルは一種奇妙な感じを受けるのは何でだろうか?
そんな疑念はおくびにも出さないで、
「できれば事前に連絡してくれると有り難かったんだが」
 大体、こんな近くに、しかも親友の家に駆け落ちなんて、意味があるのか?
「親の了解は二人とも取ってあるから、別に大丈夫よ」
 そう言って香里は笑顔を見せたかと思うと、急に真面目な表情に変わった。



 俺が香里の話をあらかた聞き終えた頃、二回から階段を下る足音が聞こえてきた。
言うまでもなく、きっちりと十二時間睡眠を取った名雪だ。
名雪は部屋を大きく見回して、俺、香里、北川、
そして最後にこれでもか、といった量の荷物に目を向けた。
「大きな荷物・・・誰か引っ越して来たの?」
 事情を話そうとした香里と北川を俺が目で制止した。
俺が話すべきこと、そう思ったから。
「実は、そうなんだ名雪。この二人がうちに引っ越して来たんだよ」
 え? と名雪は口を大きく開いて素直に驚きを表す。
「香里も、そして北川もみんな名雪を心配しているんだ。
名雪が、孤独に打ち震えてはいないか、って。
寂しさをひとりで抱え込んでいないだろうか、って」
「わたしは・・・そんなこと、思ってないよ」
「嘘だ!」
 感情を込めないその否定の言葉を、俺は許せなかった。
側にずっといたのに、そんな言葉を名雪に言わせてしまったことがやるせなかった。
「じゃあ何で笑ってくれないんだよ! 笑えないからだろ! 泣いているからだろ!」
 その時の俺は冷静では無かったろう。その時の自分自身でもその事は解っていた。
そんな激高した状態にあっても、俺は次に言おうとした言葉に躊躇した。
冷酷かもしれない、だが名雪の為には言わなければならない、その言葉だったから。
「秋子さんは、死んだ」
 慌てて止めに入った香里と北川を跳ね飛ばし、反射的に言葉を聞くまいと
耳を塞いだ名雪の手をとって、
「香里が言っていたよ。昔、水瀬家に遊びに来たとき、秋子さんが買い物に出掛けると
名雪に告げたとき、その時の名雪は一瞬、すごく悲しそうな顔をしていたってな。
 だから、励ましに来たって。いいか名雪、お前は一人じゃないんだ。
かけがえのない友人が―香里がいる。北川だっている。そして、俺がいる。
 冬も、春も、夏も、また季節が巡って雪の降りしきる冬が来ても。俺はここにいる。
名雪、お前の側にいる。ずっと、何が起こっても、お前の側にいる。
 本当は、解っているんだろう? 
それでも幸せがいつか終わってしまうようで不安なんだろ?
俺が七年前、名雪の前から消えてしまったように。だから笑えないんだよな。
 でも、名雪はずっと俺を好きでいてくれた。
そして、俺もずっと、名雪の事が好きだったんだ。気付いたのは最近かもしれないけど、
名雪、好きだよ。二度と離れるもんか」

 長い台詞を喋ったものだから、息が苦しくなった。
だがもうちょっとだけ持ってくれ、俺の喉!
「だから、笑ってくれよ。悲しみに押し潰れそうな限界の笑顔でもいいから、
二人で、みんなで笑おう。きっと、秋子さんもそれを・・・」
 息も続かなかったが、それよりも何より感情の迸りが、
涙が俺の言葉に終止符を打った。感情を自制出来ず、俺は名雪を痛いくらいに
強く抱き締めた。耳元で聞こえる声。
「ひどいこと、難しいこと言うね祐一・・・」
 そうだな、俺の言ったことはそうかもしれないな。
「でも、解ったよ。今すぐには無理かもしれないけど、頑張るよ」
 俺は名雪の顔を見た。名雪も俺の顔を見る。
「ふぁいとっ、だよ」
 絶望に負けそうな、儚げな。けれどもそれは、確かに名雪の微笑みだった。
周りで香里と北川が拍手で祝福をしてくれている。
そう、俺たち二人の、新たな始まりを祝して。

 そして、俺・名雪・北川・香里のある種奇妙な同居生活が始まった。

 次回予告
保護者の秋子さんの死。海外で忙しい祐一の両親から一通の手紙が送られたきた。祐一の父親は一つの提案を胸に祐一と出会うことになる。
「名雪ちゃんを私たちが引き取って、お前と一緒に連れて行きたいんだ」

 次回、session 2 TWO couples in ONE house

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